「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

オリンピック
佐藤 拓雄
(2009/09/17)


不思議なもので、オリンピック中継は、そのときの状況と一体になって、鮮明に思い出されます。

最初の記憶は、1984年のロサンゼルス。開会式の鮮烈な記憶です。めちゃめちゃカッコいいファンファーレ。空から降りてきた「ロケットマン」。
当時、高校1年生。吹奏楽部で、合宿中にこの開会式を見ました。早速ファンファーレを耳コピ、金管のみんなで吹きました。

次に記憶があるのは、1988年の冬季カルガリー。フィギュアスケート女子、カタリーナ・ビット選手や伊藤みどり選手を見ながら、「才能」とは、「芸術性」とは何だろう、ということを、音大受験生の自分に重ね合わせて考えていました。

同じ1988年の夏季、ソウルオリンピックは、ひどい扁桃腺炎で、水も飲めないほど喉が腫れ、うなりながら、男子マラソンを見ました。瀬古選手が結局入賞できなかった、ということを覚えています。

1992年バルセロナは、大学時代。ひとり暮らしのアパートで見た、バスケット、アメリカのドリームチーム。あまりにすごかった。それにしても、なぜビデオを録っていなかったのか、今考えても、自分の行動が不思議でなりません。のちに、NBA好き仲間からダビングしてもらいました。

1996年アトランタ。女子バスケで、日本が中国を破り、明け方のアパートで、ひとり大絶叫。

1998年長野。プレステの冬季オリンピックのゲームに夫婦で大盛り上がり。ジャンプ団体の涙の金メダルは、県警記者クラブ内で先輩と見ました。山下達郎「ヘロン」と、原田選手のろれつの回らないインタビューが、今も耳に残っています。

2004年アテネ。子どもたちのスイミングスクールの大先輩、森田智巳選手が背泳ぎで銅メダル。当時幼稚園児の長男を夜中に起こし、背泳ぎ決勝を一緒に見ました。写真は、その森田選手に見せていただいた、本物の銅メダルです。

2006年冬季トリノ。荒川静香選手の金メダルに、早朝の自宅で、今度は家族4人で大興奮、大絶叫。

なんだかまとまりのない内容ですが、自分の人生とともに、オリンピックを振り返ってみました。

続いては、新人の飯田アナウンサー。

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