「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

ともにII
寺田 早輪子
(2011/08/18)


「序盤はすごく苦しい展開で、自分が崩れてしまって申し訳なかった…」
夏の甲子園。宮城代表・古川工業のエース山田大貴投手。初戦・唐津商に敗れた直後のインタビューで、山田投手は、こう話しました。
「申し訳ない…」。この言葉を聞いて、私は古川工業の野球部が背負ったものの重さを改めて感じました。

ともに戦う気持ちで…。私は、8月8日の第二試合、古川工業の初戦のテレビ中継をかじりつくように見つめました。
初めての甲子園。初陣は、好投手・北方投手を擁する唐津商。30度を超える猛暑。大観衆。そして、何より被災地・宮城の代表として「被災地に元気を!」「勝利を!」「勇気を!」届けたいという思い。いやがうえにも、極度の緊張が彼らを襲ったのだと思います。

そうした様々な思いを背負いながら、彼らは戦いました。
初回、二回と大量9点を奪われながら、そこから4点を取り返した古川工業。
諦めない心。それは、スライディングで真っ黒になった選手たちのユニフォームにもにじんでいました。
山田投手はあの炎天下、9回133球を投げぬいたのです。
みんな猛暑の中、よく集中して、投げて、打って、走って、守ってくれたと思います。

東日本大震災では沿岸部の津波被害が甚大ですが、内陸部では大地震で大きな被害がでました。私は、6月に古川工業のある大崎市古川で中心商店街の被害を取材しましたが、建物が大きな揺れで損壊し、「立ち入りは危険」と判断され、移転や廃業を余儀なくされた商店主が多くいました。

そうした地元・古川の人たち、そして宮城県に住む全ての人たちと、ナインは「ともに」戦ったのです。
「勝ち負けではない、最後まで諦めない心を持つこと」。
古川工業野球部の一生懸命なプレーから、私が学んだことです。
ありがとうございます!古川工業野球部のみなさん!忘れられない一戦になりました。

続いては…、今年も「仙台七夕中継」、おつかれさまでした!飯田アナウンサーです!

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