「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

ともにII
金澤 聡
(2011/08/23)


取材で南三陸町に向ったのは、地震発生から2週間後だった。
峠を越え平地に出るとすぐ、がれきが点在していた。
海岸から4kmほど内陸のところまで津波が到達していた。
海に向っていくと、更地になっていた。建物がない。あるのは、むき出しの鉄骨だけだった。
気仙沼では、がれきが街にうず高く積もっていたが、南三陸町はがれきがほんとんどなかった。
強烈な引き波が、建物を沖へとさらっていったのだろう。
震災前に、何度か南三陸町を訪れたことがあった。その脳裏の映像とは、全く違っていた。どこにお店があったのか、どこに駅があったのか、どこに家があったのか全くわからなくなっていた。
取材で話を聞くたびに、胸がつまる思いだった。九死に一生を得た方がたくさんいらした。そして、犠牲になられた方も…。

高台にある志津川高校には、桜並木があった。
桜はつぼみを固くして春を待っていた。
街は一変してしまったが、花を咲かそうとしている桜をみて復興への思いを強くした。
またこの並木の下で笑顔が戻ることを願って南三陸町を後にした。

まだ復興への道は、一里塚を過ぎたあたり。
ともに長い道を歩んでいきましょう。

次は、佐藤拓雄さんです。


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