「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
新たなスタート!
佐藤 拓雄
(2012/04/04)
去年の春、我が家の長男は小学校を卒業し、中学校に入学しました。
長男の小学校生活は、2011年3月11日でぷっつり終わってしまいました。
震災後、授業が再開されないまま、卒業式。その卒業式も、小学校の体育館が避難所になったこともあり、6日遅れで行われました。
体育館は使用せず、校内の多目的広場で、6年生のみ、内容も大幅に簡素化しての式でした。
卒業生全員による「誓いの言葉」的なものも、プログラムからなくなってしまいました。長男は、委員の一人としてその「言葉」の中身を考えていたとのことで、残念な様子でした。
親の私はといえば、余震が続いていた頃で、すぐ放送できるようにとほぼ徹夜の泊り勤務があり、卒業式のその日が泊り明けにあたってしまいました。急ぎ帰宅して、大慌てで小学校に向かい、眠たい目をこすりながら式に参列していた覚えがあります。
あっという間の6年間、長男の成長への感慨もさることながら、よく卒業式ができた、ということや、全員無事でよかった、というようなことが、何度も頭をよぎりました。
「卒業祝い」をしようにも、物資不足で買えるものも少なく、なんとか手に入ったドーナツをケーキの代わりにしてみんなで食べました。そのドーナツだって、節電で薄暗いドーナツ屋さんに並び、一人何個までとか制限があり、しかもバリエーションがいつもよりはるかに少ない、そんななかで買ってきたものでした。
今考えてみると、あらゆる面で尋常ではない状況下の卒業式でした。
私の住んでいるような、仙台の内陸部で、津波の被害は全くなく、地震の被害も少ない、そういうところでさえ、一年前は、そんなでしたよね・・・
中学校の入学式も1日遅れで、震災の混乱の中、長男は、新たなスタートを切ったのでした。
そういうことを、長男自身がどのくらい実感として受け止めているのかは、正直よく分かりませんし、今の彼を見る限り、彼の生活に、震災の影響はほとんど感じられません。
ただ、将来、自分自身の卒業式について、「震災で6日遅れたんだよなあ・・・」ということは、思い出すはずで、そういうことを、将来の友人にでも話したりするのかな・・・それも、ひとつの震災体験であり、やはり語り継ぐに値するものだな、と思っています。
明日は、スーパーニュースを一緒に担当している、梅島アナウンサーです。