「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

思い出の味

(2014/08/15)


思い出の味は、母方の祖母お手製の、赤ちゃんでも食べられそうなペチャペチャした饂飩です。
全くコシがないことに気付いたのはいつ頃か。

父が単身赴任中の7歳の時に母の実家で暮らしていました。
その頃から違和感はありました。歯応えゼロ。饂飩だけではなく、ご飯も随分と水気を含みネチョネチョしていました。皆それを当たり前に食べていたので「こんなものか」程度にしか感じていませんでした。
饂飩の表面が凄くベッタリしていることも、たった今思い出しました。ツルッとした喉越しは皆無。ザルから麺1本を掬い上げることは、麺同士がまとまってしまって不可能です。肌に触れると最後、ベタついて離れません。何度こっそりと台拭きで拭ったことか。
誰が食べてもペチャペチャと音がします。今もその響きが耳の奥に残されています。

中学入学前後になると'スタンダードな味'が分かる時期です。
その時には感じていたはずです。
「お婆さんの饂飩は世界一コシがない」と。
ただそれを言い出すことはできませんでした。皆、口に出さないだけなのか、自分だけがそう感じてるのか。疑念ばかりが募る中、食卓は笑顔で溢れていました。

大学生の頃。
母の弟一家も含めて、祖母の家で食事です。もちろん饂飩が盛られています。なみなみと。
相変わらず食卓は和やかな雰囲気です。10歳以上も年下の従兄弟2人は美味しそうに饂飩をすすっています。その光景だけ見れば何ら違和感はありません。
その時お婆さんが「他に何を食べたい?」と問いかけてきました。いくぞ!私は決意しました。「コシのある饂飩」
すると従兄弟の母で小学校の先生をしている叔母が「コシのある饂飩はないよ」とサラリと快活に言ってのけ、祖母は優しい口調で「軟らかい方が美味しいよね」とこれ以上ない自然な流れで答えました。私は正直ホッとしました。
聞けば父も母もそう感じていたそうです。何しろ私より何十年も長く祖母の饂飩を食べています。母は「数分茹でればよい麺を30分以上茹でている」という情報を持ちつつも、口に出せないでいたそうです。
その夜は「お前もそう思っていたのか」「私の方が先に感じていたのよ」「コシがあったらお婆さんの饂飩じゃない」なんて話で盛り上がりました。
親戚一同の心が一つになった夜は思い出の1ページに刻まれています。
次は柳沢さんです。

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