「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

シーズンということで…「学園祭の記憶」
佐藤 拓雄
(2014/10/07)


写真は、お題と何の関係もありません。
娘の買ってきた靴下が面白かったので。

本題に入ります。学園祭の記憶。

その1 高校時代
1年生の時、部活の先輩に無理矢理巻き込まれて、文化祭実行委員会の小委員会みたいなのをやることになってしまいました。
仕事は、学校の門に取り付ける、文化祭用の入場門を作ること。
しかも、委員は私を巻き込んだ先輩と私、そしてもう一人同じ部活の同級生女子という、たったの3人。
夏休み、部活が終わると、その3人で自動的に入場門作りへ、という毎日でした。
先輩の考えたデザインに沿って、ベニヤ板や角材を切ってくぎ打ち、ペンキ塗り、という作業をしつつ、足りなくなった資材を買い出しに行ったり、さらに私は、その会計もやらされていて、人数が圧倒的に足りない中で、文化祭が近づいてきて、もしかすると間に合わないんじゃないか?というプレッシャーと忙しさがありました。
しかし、同じ部活とはいえ、特に仲が良かったわけでもない3人で(苦笑)、1ヶ月以上、黙々と作業をしていて、それほど楽しかった記憶もなければ、連帯感が強まったわけでもなく、まして恋が生まれるわけもなく、達成感もそれほどなく、写真をはじめ当時の様子の記録も何もなく、今回このテーマで色々考えていて思い出したというくらいで。
今振り返っても、不思議な思い出です。

その2 大学時代
これは単なる小咄です。
当時所属していたサークルで1年生主体で「やきとり」を出すことになって、先輩達から前年のことをいろいろ聞いていると、ある先輩が、
「いやー、焼き鳥のたれをさあ、『にいがたけん』まで買いに行って車で運んできたんだよねえ」
と言います。
新潟県?!
なんでそんなところまで?たかだか学園祭のサークルの出店で、それほどのこだわりがあるのか?
仙台にお住まいで、勘のいい方は、もうお分かりでしょうか。
「苦竹」の聞き間違いでした。「にがたけ」です。
当時、仙台生活一年目。今では当たり前の地名も、こうやって少しずつ覚えていったということですね。

明日は、広瀬アナウンサーです。

戻る

アナウンサーTOP
HOME