「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

2015年 ともに

(2015/03/10)


明日で震災から4年です。

私が入社した2008年4月から2か月後の6月14日に岩手宮城内陸地震が発生、早番で会社にいた私が速報を伝えることになりました。
1人でニュースを読み始めてまだ5回くらいの私は、何をしてよいのか分からず、全国に届いたのは、カメラの前で慌てふためく私の姿だけでした。
「救えた命も、自分のせいで。。」という思いで、アナウンサー人生がスタートしました。

東日本大震災の発生直後、気仙沼や南三陸町で、中継車などに泊まり込みながら連日中継をしていました。
宿泊先を確保できるようになった期間も含めて、1ヵ月を沿岸部で過ごしました。
気仙沼では、火の海となった町やヘリコプターによる救助活動、バスが運行され交通網が動き出したニュースなどを伝えてきました。
南三陸町では、震災から1ヵ月の4月11日の午後2時46分には、志津川小学校の校庭で黙とうを捧げる方々の様子を中継でお伝えしました。
目の前に起きていることを喋り続けました。
しかしこれらのことが、テレビをご覧下さっている方々に、果たして何か力になっているのか。分からないままでした。

震災から1年後の3月11日に発刊された重松清さん著「希望の地図」という書物があります。
今月、私は初めてその本を手に取りました。
その中に、岩手県北バスの方で「鉄道や飛行機が止まっていても、バスが動いていることを知らせたい一心で、報道機関にリリースを送り続けた。すると3月16日にフジテレビのテロップでバス運行情報が出るようになりました」と仰る方の一節があります。
ふと気仙沼にいた頃、取材した題材の中から「仙台へのバスが動き始めた」ニュースを選んで中継で伝えたことを思い出しました。直後にデスクから「バスの情報を詳しく教えて欲しいと視聴者から電話があった」と連絡が入り、詳細を伝達しました。それからバス運行のテロップが出るようになった記憶があります。
このことと、本の中のバスの話は直接関係ないものでしょう。
ただ、一生懸命に自分の役割をこなすことで、どなたかの思いに繋がる可能性があるのだと考えさせられました。
沢山の方々が色んな思いを抱えている事柄を1つ1つ伝え続けることの大切さを痛感した2015年の3月です。

次は柳沢さんです。


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