「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

2015年 ともに
佐藤 拓雄
(2015/02/26)


東日本大震災の発生から、まもなく4年になります。
今回は、仙台放送の震災復興キャッチフレーズ「ともに」をテーマに、震災への今の思いを綴ることにします。

去年秋、私自身の家の修理がやっと終わりました。
地震で、壁紙や壁板に大きな亀裂がいくつも入り、キッチンの扉と壁は、落ちた電子レンジの直撃で穴が空きました。
それらが修復され、震災3年半にして、ようやく家の中が、震災の影響を感じない状態に戻りました。

私の家はマンションで、建物全体は一部損壊の判定を受けました。
集合住宅なので、建物も内装も、基本的に管理組合で全体として取り組まなければならず、勝手なことを自分ではできませんが、これほど時間がかかるとは思ってもみませんでした。
人手と資材の不足の中、震災全体の中で言えば被害は小さい方で、かえってこのために後回しにされてしまった、という状況もあったようです。

私の被害などあまりに小さなものですが、それでも、毎日、部屋の中の被害を目にしながら生活するのは、それなりの負担感がなかったといえば嘘になります。
私でさえこうなのですから、家を失った方、今も仮設住宅で暮らす方、半壊した自宅で暮らし続ける方…こうした方々のお気持ちは察するに余りあります。

阪神大震災のあと、兵庫県が行った「生活復興調査」をみると、「自分が被災者だと意識しなくなった」人が過半数となったのは、震災1年となっています。住宅の被害状況別では、一部損壊の人で1年、半壊の人で3年、全壊の人は10年。これが過半数ですから、実際には、もっと時間がかかっていることになります。同様の調査は、宮城県では行われていませんので比較しにくいのですが、感覚的には、私たち東日本大震災からの生活復興のほうが、ペースは遅いように感じられます。

震災や被災者であることを意識しなくなることも、ひとつの復興で、全員が一日も早くそうなってほしいと願います。
一方で、意識しなくなることと、忘れることは違うとも思います。
生活から震災のにおいが消え、それでも、震災を忘れない。大切な人を失った方には、そんなことができるはずもなく、都合のよい考えなのでは、と思いながらも、できれば、誰もがそういう心持で暮らせるようになってほしい。
それが4年経った今の私の気持ちです。

あすは木下アナウンサーです。

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