「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
卒業
佐藤 拓雄
(2015/03/26)
間もなく年長さんになる5歳の次男が、近頃「もうウルトラマンは見ない」と言い出しました。
何か大きな理由があるわけではなく、どうやら次男なりの「卒業」のようです。
ウルトラマン以前にも、次男自身の「卒業」はすでにいくつかあり、テレビ番組で考えても、あんなに繰り返し見ていたのに、というものを、あるタイミングから見なくなりました。
一方で、大量に所有している、ウルトラマンと怪獣のソフビ人形は、まだ卒業しないようで、日々遊んでいます。
そのソフビ人形の大半は、現在高校生の長男から譲り受けたもの。十年くらい前にウルトラマンを「卒業」したお兄ちゃんから、弟へと受け継がれた、歴史と思い出の品々です。
ほかにも、長男が卒業し、しばらくひっそりしまわれていた品々が、次男に受け継がれ、今度は、次男の中で大いに盛り上がっている、というものは多く、最近では、カードバトルゲームや、「かいけつゾロリ」の本などがそうです。
次男は、飽きっぽいどころか、むしろどんどん物事にのめり込むタイプ。
その次男の中での興味の移り変わりは、ブームが去った、というよりも、文字通りの「卒業」のように見えます。言い換えると、いい意味で、もう次男自身の成長に必要がなくなった、といったところでしょうか。
考えてみると、子どもの成長は、卒業の繰り返しかもしれません。
次男の卒業の歴史、その先を行く、長男の卒業の歴史、さらには、長男が卒業したものが次男に受け継がれていく、卒業の連続。
中学生の長女にも、同じような卒業の繰り返しがあります。
もちろん私自身にも。
卒業を繰り返して大人になるんですね。
そして、子どもの卒業の歴史の最後、クライマックスが、親からの卒業でしょう。長男の、「子どもとしての最後の卒業」は、もう数年後に近付いてきているようです。
寂しくもあり、かと言って、自分もかつてそうだったように、卒業していってもらわないといけない、今から、感傷と希望、期待の入り混じった複雑な心境です。
明日は、寺田アナウンサーです。