「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

雨の日の過ごし方
佐藤 拓雄
(2015/06/15)


写真は、梅雨入り直前、空がまぶしい仙台放送本社前です。

さて、雨の日の過ごし方、と言われても、何か特に変わることはありません。
皆さんもそうではないですか?
雨の日と言っても、仕事も、日常の雑事も、すべきことはあまり変わるわけではなく・・・

雨の日に大きく変わることとがひとつありました。長男の野球の予定です。

妻は、雨とわかっていても、中止が決まるまでは、明け方に起きて食事や弁当の準備をしなくてはならず、準備を終えた頃に、中止、集合時間や予定の変更、といった連絡が来ます。
もちろん、とにかく準備しておかないことにはどうにもなりませんし、中止や集合が遅くなったり、というのは、単に時間的な面で見れば余裕が出るものですので、そこから慌てることはありませんが、徒労感は拭えません。
小学校から始まって、高校になった今も、雨の日の野球の朝は、いつも同じです。

私が、雨と長男の野球で思い出すのは、少年野球の時代。
雨が上がった後のグラウンドの水取りを、子どもたちと一緒に何度もやりました。
大きめのスポンジで水たまりの水を吸わせ、バケツに絞って、その水を側溝に捨てる、ひたすらそれを繰り返して、どうにかこうにか野球のできる状態にするのです。
素手でこの作業をやると、とにかく冷たく、おまけに、手はふやけ、砂が爪に入り、こっちの言葉で言う「やんだくなる」状態です。
ある時、ふと気がついて、炊事用のゴム手袋を持って行くようになって、手の辛さからは解放されましたが、屈んで起きての繰り返しによる腰の辛さはどうにもなりませんでした。時には砂を大量に持ってきて、スコップで水はけの悪い所に撒く、ということもあり、これも腰にきましたね・・・
長男が中学生になって以降は、さすがにそういう場面に親が出ていくことはありませんが、当時は、雨の降っている時よりも、前の日の雨があがった朝のほうが憂鬱でした。
今も、雨の上がった休日の朝は、「少年野球のお父さんたちは、水取りやっているんだろうなあ、お疲れ様です」と心の中で思ってしまいます。

ちょっと本題から外れたでしょうか?

続いては、寺田アナウンサーです。

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