「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
テレビと私
金澤 聡
(2018/02/01)
生まれたときから、常にテレビは生活の隣人でした。
幼少のころは、茶の間の中心的な存在でした。
当時は、リモコンなどなく、チャンネルを変えるには手動でガチャガチャ回しました。
次に我が家に登場したのは、手動でもボタンをプッシュしてチャンネルを変えるタイプのテレビでした。
いずれにしても、チャンネル権は父親にありました。
父親がよく見ていた番組は、ニュースと世界紀行、動物生態系、そして、映画でした。
それ以外はブラウン管に映し出されることはありませんでした。
当然、学校でテレビのアニメやバラエティーの話には全くついていけませんでした。
中学、高校くらいになると、テレビが一家に1台ではなくなって、2台3台となり家族団らんの象徴ではなく、個人所有型へと変遷をたどっていきました。
チャンネルもガチャガチャ音をたてて変えるものなどセピアに色あせ、座ったまま寝たまま操作できる「リモコン型テレビ」が台頭してきていました。
高校生になると自分の部屋にも、リモコン型テレビが設置され、最後の反抗期を迎えていた私は、過去の父親へのアンチテーゼがあったのか、バラエティー番組やトレンディ―ドラマを見まくりました。
そして今、ガチャガチャ回していた方の人間が、まさか、その画面に映る方になるとは…
人生なんとも不思議なものです。
『部屋とYシャツと私』がリリースされたのが1992年。
ちょうどそのころ私は、「部屋とリモコンと私」だったわけです。
次回は、梅島アナウンサーです。