「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

東日本大震災8年
高橋 咲良
(2019/03/06)


普段の取材の中でも、東日本大震災という言葉を耳にする機会は多いです。

仙台市内でいちごを販売しているのは、被災した亘理町のいちご農家の方であったり、常温保存できる蒲鉾を開発したのは、南三陸町と気仙沼市の、いずれも被災した蒲鉾店であったり。

東日本大震災から8年が経って、再建した、次のステップにうつった、そんなニュースも多く見受けられます。
ただ、私が耳にしている、目にしているものは、ほんの一部であると感じます。

東日本大震災が起きた時、私は宮城にいませんでした。
震災直後の宮城の様子は、映像でしか見ていません。
そんな私ができることは何なのか。

宮城県のアナウンサーになって2年が経ちました。

少しずつ東日本大震災で被災した方に会ったり、被災した場所に行ったりして、もっと知りたい、絶対に忘れてはいけない、という気持ちが強くなりました。

大きな災害を経験した宮城県のアナウンサーとして、最後の1人が復興したと思えるまで。

部長が仰っていたこの言葉を胸に、私ができることを、続けていきます。

写真は、去年の冬に中継した、山元町のコダナリエです。東日本大震災からの復興への思いがこめられています。

続いては牧アナウンサーです。

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