「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
東日本大震災10年
堤 勇高
(2021/03/17)
10年前、私は中学2年生でした。
当時は群馬県に住んでいましたが、友人と外を歩いているとき地面がうねるような感覚をおぼえました。帰り道、停電で消えた信号をケータイの写真に収める友人の姿がなぜか強く印象に残っています。
その日の夜に私はインフルエンザを発症しました。次の日に行った病院は非常電源が使われていて、薄暗い中で診察を受けました。待合室のテレビの映像は現実のものとは思えませんでした。
原発の事故も、寝込むベッドの中で親から聞きました。
それからおよそ8年たって、宮城でこの仕事をするようになり、震災について伝える側となりました。
ニュースをみたり実際に取材をしたりする中で、震災発生の瞬間もその後の10年も、被災された方々の経験はどれ一つとして同じものはなく、中学時代の私が漠然と描いてしまっていた「被災地」という一括りにはまとめられないものだと痛感しています。
私が実体験として伝えられるのは上に書いた程度のことしかありません。実際に故郷を流された方や大切な人を失った方の経験と比べると「経験」とも言えないようなものです。しかし、自分以外の方が経験したことも多くの方に伝えられる仕事をしています。簡単なことではないと承知の上ですが、宮城県のアナウンサーの重要な使命として、これからも学びを絶やさずに伝えられたらと思います。
写真は先日取材させていただいた、津波で流出した写真などの展示・返却会の会場です。10年経つ中でいまだに持ち主のもとに返らない写真などが並べられていました。展示・返却会は今回が最終回となりましたが、今後新たな返却方法が検討されています。まだまだ非常に多くの写真などが残っていましたが、これらが持ち主のもとに返るのも一つの復興なのだと考えさせられました。
次は梅島アナウンサーです。