「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

東日本大震災11年
高橋 咲良
(2022/03/22)


東日本大震災の発生から11年となってから数日後の先週水曜日の夜、また、大きな地震が発生してしまいました。
私は地震発生時、仙台市内の自宅におりましたが、どこかにつかまっていないと立っていられないような大きな揺れが、1分近く続いたような感覚でした。
大きくて長い揺れに、不安や恐怖を感じた方が、大変多くいらっしゃると思います。
11年前のあの日よりも、強い揺れを感じたという方もいらっしゃいました。この地震で、家屋の屋根や壁が壊れたり、ガラスが割れたり、断水したりと、様々な被害が確認されています。
一刻も早い復旧を願うと共に、私たちも地域の放送局として、復旧に繋がる情報や皆さんの命や生活を守るための情報を伝え続けます。

今回の地震でも、石巻港で30センチなどの津波を観測しましたが、11年前のあの日の巨大な津波は、それぞれの大切な人、懐かしい故郷、あたたかな住まい、生業、すべてを奪いました。

今回私は、11年前の津波によって自宅と全ての農業用ハウスが流された、山元町のいちご農家の方を取材しました。
仙台放送では、その方を震災発生直後から取材していて、過去のVTRを見ますと、海から2キロ程の場所にあった農園は壊滅状態で、折れ曲がった骨組みだけになったハウスや、泥をかぶり真っ黒になったイチゴなどが映し出されていました。
あれから11年。
震災前と同じ場所には立派な農業用ハウスが再建され、そこには、真っ赤なイチゴが数えきれない程実り、頬張ると思わず笑顔がこぼれる甘いイチゴが育っていました。この風景を取り戻すまでに、どれだけの苦労があっただろうと思いました。
がむしゃらに復興へ向けて走り続け「あっという間の11年だった。」と、その方は話しました。

過去のVTRの中で、おじいちゃんの膝の上にのって、あどけなく笑う女の子。当時2歳だった女の子は、中学1年生・13歳になっていました。
大きくなった彼女は、誰から言われるでもなく、自らイチゴの栽培のお手伝いをはじめました。今の彼女の将来の夢は「農園を継ぐこと」だそう。
その言葉を聞いて、お父さんは「これから、また別のやりたいことが見つかるかもしれないし、それはそれでもちろんいいが、嬉しい」と顔をほころばせました。

彼女は今も、津波の映像は見られないと言います。
当時2歳だった幼い少女の心にも、あの日の光景は悲しい記憶として、深く刻まれているのだと感じました。
そこから立ち上がり、いちごを復活させた家族の背中を見て抱いた「継ぎたい」という思い。いちごを守りたいという思いは、確実に次の世代へ繋がっていると感じました。

続いては、下山アナウンサーです。

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