「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

東日本大震災13年
寺田 早輪子
(2024/03/18)


私が長くお話をうかがい続けてきた方々の願いが、東日本大震災発生から13年を前に、ようやく形になりました。
七北田川の河口付近にあった蒲生・中野地区。その歴史や自然、震災前の街の様子、そして、地区の中心にあった仙台市立中野小学校の記憶を展示・紹介する『蒲生なかの郷愁館(がもう・なかの・きょうしゅうかん)』が今年3月3日にオープンしました。

震災発生後の取材をきっかけに10年以上、お話をうかがっているのは、津波で被災し、閉校した中野小学校の学区に代々、暮らしてきた住民の皆さんです。
高齢のご夫婦やそのお子さんたち、お孫さんたち、そして地区の中心にあった中野小学校に勤めていた先生ともつながり続けています。明治時代の開校から143年の歴史があった中野小。「うちは四代続けて、家族みんな中野小の卒業生だ!」と誇らしく話す住民も多く、地域の思い出がいっぱい詰まった場所でした。

七北田川の河口付近にあった集落は津波で流され、家並みの続いていた震災前の景色は、今はもうありません。中野小も津波で被災し、校舎は解体され、震災から5年後、閉校したのです。
故郷を根こそぎ失われた住民の皆さん。
お会いするたびに話していたのは「心の中に生き続ける故郷の様子を後世に残したい」という思いでした。

住民の皆さんが中心となり、様々な協力を得て準備してきた「思い出を展示する場所」。
『蒲生なかの郷愁館』は、震災後、地区に新たに建設されたバイオマス発電所内にオープンしました。
展示室には、日本一低い山として知られる「日和山」やコアジサシの声が響く「蒲生干潟」などの、地区の震災前の様子を再現した模型や、中野小の体育館に掲げられていた校歌のレリーフなどが並んでいます。オープン初日に訪れた元の住民の皆さんは、それらを懐かしそうに眺めながら、思い出話が止まらない様子でした。それを見て、私もまるで故郷に帰ってきたような気持ちになりました。

取材中、住民の方々に何度か聞かれたことがあります。
「寺田さんって蒲生の出身なの?」「中野小の卒業生なの?」と。
「違います、福島出身です」と微笑みながら伝えると、こうした言葉が返ってきました。
「こんなに一生懸命に蒲生や中野小学校を取材して伝えてくれているから、てっきり、ここの出身なのかと思ったよ!」
とても嬉しい言葉でした。
お話を聞きながら、かつての蒲生・中野地区を想像し続けるうち、私にとっても故郷になっていたのかもしれません。
この「想像する」ことが、震災を伝える上で一番大事なことだと感じます。

もし、自分の故郷が、根こそぎ無くなってしまったら…
思い出の詰まった帰るべき家が土台ごと流されてしまったら…
大切な家族と、ある日突然、会えなくなってしまったら…

そんな現実を多くの人にもたらしたのが東日本大震災でした。
二度と、災害で同じような思いをする人が出ないように…
今すぐに出来る防災対策は、「想像する」ことです。
『蒲生なかの郷愁館』を訪れ、あなたも「想像」してみてください。

☆写真は…、『蒲生なかの郷愁館』にて。中野小学校校歌のレリーフです。
アナ・ログ、続いては金澤アナウンサーです。


戻る

アナウンサーTOP
HOME