「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
観光
佐藤 拓雄
(2024/09/30)
子どもたちが小さかった頃は、テーマパークや動物園、水族館、体験型アトラクションといったものが、旅行の中心でした。
今は、上の二人はとっくに成人、コロナで旅行どころではなくなった数年を経て、気がつけば末っ子の次男も中3。家族旅行など現実的に不可能です。
そういう状況の中で、最近ちょっと一人旅をしました。
5日間乗り放題のチケットを使い、日帰りの小旅行です。
日帰りなのでそうそう遠くへは行けませんが、テーマパークやいわゆる「観光名所」ではなく、今自分が見ておきたいと思う所をじっくり見てきました。
その一つが、茨城県阿見町にある「予科練平和記念館」。こういう機会でもなければなかなか行けない所だと思いますが、どうしても見ておきたかった所です。
(じっくり見過ぎて足が棒のようになりました。)
予科練とは、旧海軍が、より若いうちからパイロットを育てようと始めたもので、14才半から17才までの少年を集めて、基礎訓練を施したものです。
私の次男と同世代である、十代なかばの少年たちを集め、「過酷」という言葉でも言い表せないような、非合理的な訓練と生活を行うさまは、まるで「兵士工場」だと感じました。(軍隊とはそういうものだ、ということかもしれませんが。)
予科練を経て戦地に赴いたのが2万4千人、そのうち1万9千人つまり8割が、戦死したということです。
募集の段階を含め、全ては国家の欺瞞であり、若者を戦闘要員としか見ていない、ということへの怒りも覚えました。ただ、それは、今の時代にこうして客観的に見るから分かることで、その時代の空気に飲まれていったら、自分だって疑問を持たなかったかもしれないと、恐ろしさも感じました。
【写真】は、記念館前に展示されている、「回天」の実物大模型。太平洋戦争末期に開発されたという「人間魚雷」です。「人間」と「魚雷」が、言葉として結びつくこと自体、狂気の沙汰でしかありません。
搭乗した兵士の多くは、予科練出身の若者だったそうです。
戦争の歴史一つとっても、まだまだ知らないことばかり。その全てを知ることは不可能だとしても、歴史を知る場所を、一つでも多く訪れたいと思っています。
明日は、千坂アナウンサーです。