「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
給食の思い出
佐藤 拓雄
(2025/01/30)
【写真】仙台で今季初の積雪があった翌朝、通勤路の風景です。枝が川に張り出しているため採ることができない柿の実に、雪が積もっていました。
さて、給食と聞くと、必ず思い出すことがあります。
以前このアナ・ログにも書いたのですが(2017年3月の「恩師」というテーマでした)、小学2年の時の担任、今で言う「体罰教師」です。
半世紀近く経っても、まだ思い出すのですから、自分のことながら、かなりのショックを残しているのだと思います。
(当時のアナ・ログを一部そのまま再掲します)
忘れ物をした子を立たせるなどは日常茶飯事。
今でも覚えているのは、黒板の前に並ばされ、両手を挙げて立っていなさい、という罰。
何をした罰かは覚えていないのに、受けた罰は鮮明に覚えているのですから、教育的効果もゼロですね。
この体罰、5分もその姿勢でいたら、二の腕あたりに血がたまって、腕がジンジンと重くなり、大変な苦痛です。
そんなことを小2の子たちにさせていたのです。
もっとひどかったのは、給食で使うランチョンマットを忘れてきた子に、給食を一口も食べさせなかったこと。
給食の時間中泣いていたのが忘れられません。
(ここまで再掲)
何度思い出しても、ひどい話です。
特に自分が親になってからは、自分の子どもがこのようなことをされたらと想像すると、強い怒りの気持ちが沸いてきます。
担任と言えど、子どもの給食を奪う権限などどこにもないのですが、給食の問題に限らず、学校の教室という密室のなかで、判断力や批判力に乏しい小学生は、教師の言うことに従うしかなく、そこに背筋が寒くなる思いもします。
その担任教師は、当時30代くらいだったと思いますので、今は80代でしょうか。
名前だけははっきり覚えていますが、その後どうなって今どこで何をしているのか、知る由もありません。
給食を食べさせてもらえなかった同級生も、その後私が転校したこともあり、どうしているのか分かりませんが、傍観者だった私ですら今もこんな思いですから、ご本人はどれほどか。
「給食の『嫌な』思い出」の話になってしまいました。すみません。
明日は、西ノ入アナウンサーです