「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
8月8日は「親孝行の日」
佐藤 拓雄
(2025/08/13)
大学の卒業論文は、「井原西鶴の研究」でした。
実際の中身は、西鶴の作品の一つ「本朝二十不孝」を論じたものです。
この「本朝二十不孝」という作品は、親不孝者の話ばかりを集めた短編集で、中国の「二十四孝」という説話集のパロディと言われています。
本家の「二十四孝」は、文字通り親孝行の話を集めたもの。
その向こうを張って、親不孝話。道徳的な「よい子」の親孝行話ではないからこそ、人間ってこうだよなあ、と何度も頷いてしまいます。
文学研究のほんの入口をかじった程度で言うのはおこがましいですが、私は「文学」とは、「人間とは何か」を問い、描くことだと思っています。
その観点で言えば、西鶴の描いた親不孝者たちは、まさに人間のありようそのもの。今も昔も変わらない人間の姿と、それを見つめる西鶴の鋭さと想像力。300年以上前にこんなことをフィクションとして書いた人がいること自体も面白いというか。
お題の「親孝行」からどんどん逸れてしまいましたが、親孝行の正反対である親不孝の物語が魅力的なのは、人間の本質をズバッと捉えているからなのでしょう。
ちなみに、卒業論文そのものは大した出来ではなく、400字詰め原稿用紙で約200枚と、枚数だけでねじ伏せたようなものですが、大学は卒業できました。卒業証書もあります(笑)
さらに蛇足の私事ですが、その卒論を審査した当時の担当教授からの強い勧めで、今年、夏目漱石に関する論文を書き、審査を経て学会誌に掲載されました。
去年放送した、漱石の手紙に関するニュースの企画を見た恩師から、「このようなことは研究者の誰も調べていない。論文にして形として残した方がいい」と持ち上げられて調子に乗り、上記の卒業論文以来の研究論文執筆となりました。
仕事ではないので、仕事以外の時間に少しずつ進め、執筆には半年かかってしまいました。
素人論文で内容は反省点が目立ちますが、ともかく恩師には恩返しができ、これも一つの「親孝行」だとほっとしています。
【写真】は、東京にある「漱石山房記念館」。漱石が最後に住んでいた自宅の一部を再現した箇所です。
このテーマは私が最後でした。
次は別のお題で、新人の門間陸斗アナウンサーからスタートです。