「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
私の新人時代
佐藤 拓雄
(2008/03/28)
入社当時の身分証明書が今もありました。これはその写真です。自分で言うのもなんですが、今よりスリムな点を除けば、あまり変わっていないような気がします。妻には爆笑されましたが、子どもたちはあまり驚かなかったので、それほど変わっていない、ということだと思っていいのかな、と。ビシッとした髪型にに新入社員の肩の力と初々しさが(笑)
さて、僕が仙台放送に入ったのは、1993年、15年前です。
入社1年目、担当番組、もちろんなし。夜の定時ニュースまたは昼のニュースまたは「スーパータイム」のスポーツコーナーが出番の全て。それ以外は、来る日も来る日もアナブースにこもり、発声練習、滑舌練習、ニュース原稿の読み練習を繰り返していました。要するに、人目に触れる仕事は非常に少なく、給料をもらいながら研修を続けていたようなものですが、練習はいつも一人。孤独でした。
同期入社の報道記者が一人前に記者リポートをこなしていたり、制作に配属された同期が番組制作にしっかり関わっていたりするのを見るにつけ、正直、僕はこんな毎日でいいのだろうかと悩み、不安だらけでした。入社したその日から「アナウンサー」と呼ばれているのに、自分の実力は「アナウンサー」たりえていない。自分が一人前になる日など訪れるのかと、出口の見えないトンネルの中で、もがき苦しんでいました。
今にして思えば、ニュースなど本番に臨む機会を設けながら、基礎を築く余裕を与えるという、当時の上司のバランスの取れた配慮に頭が上がりませんが、当時は辛かったなあ…。
なんだかやけに暗い話になってしまいましたが、決して「即戦力」ではなかった僕が今もなんとかやっていられるのは、この時期があったからこそ。4月には新人アナウンサーが入ってきますが、地道な基礎を大切に、新人時代を過ごしてほしいと思っています。
次は、大先輩、浅見アナウンサー。写真をチラッと見せていただきましたが、いやー、若い若い!あ、すみません。