「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

私のひとり暮らし
佐藤 拓雄
(2008/04/18)


19年前、1989年のちょうど今頃、大学入学と同時に僕の一人暮らしは始まりました。
最初のアパートは今考えてもかなりすごいアパートでした。6畳一間で家賃2万3千円、風呂・トイレ共同、築何年か不明(なほど古い)の木造2階建て。ドアは蹴ったら破れるんじゃないかと思うようなアルミ製のもの。壁も薄かった。さらには階段を誰かが昇り降りすると部屋がガタガタと微妙に揺れました…。
なぜそんなアパートに入ったのか?父の知人のお母さんが経営していて、その紹介で。それだけです。まあこんなものかなあ、と思って特に疑問もなく決めました。
あ、そうそう、電話もしばらくありませんでした。加入権が高かったし、あまり必要なかったので。
つまるところ、風呂なしトイレなし電話なし、もちろん彼女もなし。
でも、アパートのボロさよりも、ないない尽くしの生活よりも、僕にとっては初めての一人暮らし。うれしさ、楽しさのほうがまさっていました。大学の友達と毎晩のように誰かの部屋に集まって飲んで語って笑って。そんな楽しい楽しい毎日でした。
ですが、アルバイトも始め、仕送りの範囲でのやりくりも分かってきて、さらには、風呂ぐらい入りたいときに入りたいものだとか、トレンディドラマのようでなくても、もうちょっと小ぎれいな部屋に住んでみたいとか、段々にそういう欲が出てきます。
結局、その年の冬、近所にできた、フローリング、ロフト付、家賃4万4千円也の新築アパートに引っ越しました。もちろん風呂・トイレ付、階段を誰かが通っても揺れることもなく、ドアも頑丈。一気にグレードアップしたのでした。
その後、仙台放送の社宅、太白区内のアパートと、約9年間一人暮らしをしました。
そう言えば、一人暮らしを始めた1年後の春に、突然花粉症になりました。一人暮らしの自堕落な生活態度がいけなかったのかもしれないと思ったりしますが、後悔先に立たず。

次の当番は梅島アナウンサーです。箱入り娘を一人暮らしに出すとき、親御さんは、さぞかし心配されたことと思います。

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