「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
ツキ(月)にまつわる話
(2008/08/29)
8月のアナログは今日で最後。いよいよ秋の入口が見えてきました。写真は7月に中尊寺へ行った時のものです。夏から秋になって自然の楽しみ方も変わってくるでしょう。
さて、自然豊かな日本。私達は生まれながらに自然を愛する環境にいます。そこで、自然を愛する心が今と昔でどう変わっているのか検証します!
まずは昔の話。
時代小説には、いざ討ち入り!という緊迫した決起集会で武士達が突然朗々と即興で歌を読み上げる場面があります。上手・下手に関係なく全員が詠い始めます。派手な討ち入りを期待しているに突如難解な古典和歌が登場して私はいつも戸惑ってしまうのですが、当時はそういう習慣だったようです。このような場合、多くは故郷の自然などを思い出しつつ家族への思いが歌い上げられます。
こういった歌が集められている小倉百人一首には数えてみると「月」という言葉を含む歌が11首あります。「川」は8首、「海」は3首、「山」にいたっては21首もあります。
例えば月を歌った阿倍仲麻呂の歌
「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」
留学先の中国で月を見て、故郷の月を思い出す望郷歌。
いや~風流です。これが約1300年前。
もう一つ大江千里(○おおえ・ちさと。×おおえ・せんり)の歌
「月見れば千々に物こそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど」
離れていても、同じ月を見ているだろう女性への思いを歌っています。
いや~風流です。これも約1100~1200年前。
千年以上前にこういった和歌集が作られているのは世界でも極めて稀で、日本人の自然への親しみが伺えます。
そして現代。上記と似たケースを仮定してみましょう。風流心を変わらず持てているでしょうか?
【別れを惜しむ女性に対して】
「月がいつでも僕らを見ていてくれているから、いつも二人は一緒だよ」
………
これはいただけません。間違いなく「バカじゃないの?」と言われるはずです。きっと「オレって渋いな」と思いながら言っているため、にやけ顔に違いありません。本当はそんなこと思っていないはずなので、目が笑っているでしょう。風流心が裏目に出て、本意とは異なる意味でその日はすぐに解散できるはずです。
いや~時代は変わりましたね…
結論:仮定の仕方が下手だった
さあ!次は金澤アナウンサーのお話です!!