「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

「まつり」あれこれ

(2008/09/19)


そうそう、「お祭りマンボ」ですね。
でも今回は、この祭り話を。
函館市末広町に「北島三郎記念館」があります。戸建ての建物ではなく、大きな看板はあるものの、ホテルの中にこの記念館が併設されています。ホテルのオーナーが、この方は大阪の方だそうですが、大の北島ファン、所謂、私財を投じて記念館を建設したという訳です。一歩入ると、これが体験型ミュージアムというべきか、実に上手く作られているのです。ちゃんと案内する方がおります。中々いいプレゼンでした。(ホームページでも紹介されていますが、記念館を訪ねるときは、事前に見ない方がいいのです。見ちゃいけません。)
現在の知内町から函館西高校に通っていた列車内に、だるまストーブを前にして朝の弁当を食べる北島少年がいます。本名は大野穣(みのる)といいます。
弁当の中身は、案内する方が教えてくれます。車窓にお母さんの顔が投影されます。泣けます!

歌手を目指して、東京の音楽学校へ。青函連絡船「羊蹄丸」のデッキに出ます。案内人が、両親との別れのシーンを回想します。泣けます!

下宿の三畳間で、大家さんから差し入れされたカレーライスを食べる大野青年。泣けます!下宿の大家さんの娘さんが、今の奥さんとは知りませんでした。

歌謡曲への思いが強く、渋谷の飲み屋街を流しの仕事をしながら、歌手の道を目指すようになります。
当時3曲1000円だったそうですが、高すぎて文句を言われたそうです。

そして、作曲家・船村徹との出会い。演歌歌手への礎を築いていきますが、その出会いを案内する方が、当時の奥さんの話を交えて、得々として話してくれます。泣けます!

これまでの数々の足跡が、レコード大賞表彰やアルバムで物語ります。

そして、いよいよ「まつり」がやって来ます。
最後は、北島三郎オンステージです。シアタールームの舞台には、「まつり」のセットが・・・・・・・
1984年、作詞なかにし礼・作曲原譲二 原譲二は作曲家、作詞家北島三郎のペンネームです。
宝船には七福神が・・・・・
提灯が舞台の周りを囲み・・・・・
宝船のてっぺんから、北島三郎が迫り出してくる!

明日への活力をサブちゃんが歌います。

元気をもらった函館のまつりでした。

では、景気よく!!!お次は原アナウンサーどうぞ。



戻る

アナウンサーTOP
HOME