「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
寒い日のお仕事
佐藤 拓雄
(2009/01/28)
インフルエンザ流行中。仙台放送社内もマスク着用なかば義務付け状態です。ちょっと異様な光景ですが、仕方ありません。
さて、もう12年も前になってしまうんですね。1997年の1月22日、僕は東京・霞ヶ関で、マイクを片手に何時間も立っていました。入社4年目。20代、独身。「ペーペー」です。そういう仕事が回ってきがちな年代です。
なぜそんなところに立っていたのか。ある人にマイクを向け、声を撮るよう命じられていたためです。「ある人」とは、元仙台市長。いわゆるゼネコン汚職事件で賄賂を受け取ったとして、この日の午前、東京地裁で懲役3年の実刑判決を受けた、その人です。実刑判決を受けたものの、その日のうちに再保釈されることが確実ということで、我々報道陣は、東京地裁の出入り口付近に陣取り、元市長の「一言」を撮ろうと待ち構えていたのです。
ところが、待てど暮らせど、元市長は出てきません。普段は仙台よりは気温の高い東京ではありますが、この日は寒波。冷たい風が吹き荒れる真冬の天気。そんな中、1時間、2時間と時間だけが過ぎ、どんどん体が冷えていきます。正直、東京がこんなに寒いなんて思っていなかった、それほどの寒さでした。
一方で、記者たちからは、まだ裁判所の中にいる、裏から出てくる、もう出て行った、など様々な情報が飛び交い、結局どれも確認が取れません。
…3時間、4時間。座る場所もなく、ひたすら立って待つ。ガタガタ震えながらも待ち続けます。
結局、5時間くらい待ったと記憶しています。陽も傾き始めた頃、「保釈され裏から車で出て行った」という絶望的な情報が確認され、撤収となりました。待ち構えたどの社も撮れなかったことが、せめてもの救いでした。
冷え切った体で新幹線に乗り、仙台に到着すると、そこは年に一度あるかないかのドカ雪。タクシー乗り場は長蛇の列。しかもタクシーはちっとも来ない。ここでまた1時間、震えながら待ったのでした。
帰宅すると、当時住んでいたアパートの外階段は、完全に雪に埋もれていて、膝までの雪をかき分けながら2階の自室に上がりました。
以上、「寒い日のお仕事」の思い出でした。結論も教訓も何もありません。あしからず。
続いては、浅見アナウンサーです。