「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ
一番緊張したこと
佐藤 拓雄
(2009/03/04)
またこの季節がやってきました。花粉です。マスクにメガネ、防備体制を整えますが、憂鬱です。思わず眉間にしわが。
さて、「緊張」と「緊張感」は違うものだと僕は思っています。頭が真っ白になったり、足が震えたり、口の中が乾いたりするようなのが「緊張」、身が引き締まるようなのが「緊張感」。もっと簡単に言うと、頭がカッカしているのが「緊張」、クールなのが「緊張感」ということかな。「緊張感」は必要なものですが、「緊張」はないほうがいいもの。
前置きが長くなりました。
今から10年ちょっと前、長男が生まれたとき、出産に立ち会いました。初めての出産、なんとなくのイメージしかないまま、病室と分娩室で陣痛に苦しむ妻の腰をさすり続けました。陣痛開始から13時間、ついにこの世に姿を現したわが子。妻の背後からまず見えたのは、当たり前ですが後頭部と背中でした。そのときの率直な実感は、感動・感激というものとはちょっと違い、「あ、ヒトだ」。次に思ったのが、「一人増えたんだなあ」ということ。人が誕生するということは、人が一人増えるということ、なんと重たいことなんだ、ということ、そして、人(母親)から人(赤ん坊)が出てくるという生命の不思議を、ずしーんと感じました。このときの身が引き締まる思い、緊張感は、今も忘れることができません。さらにその2年後には長女が誕生。このときも出産に立ち会いましたが、やはり同じ感覚を持ちました。背中のあたり、つまり肌が見えると「あー、ヒトだ」って思うみたいです。
なんだかとりとめがありませんが、僕にとって、子ども二人の出産に立ち会えたことは、親としての自覚、責任、そして緊張感を持たせてくれる実によい機会となりました。
とはいえ、時間が経つにつれて、そのかわいい姿に、緊張感はどこへやら、ニヤニヤしっぱなしのバカ親に変身したこと、そして、子どもたちが成長してきた今は、子どもを叱っては自己嫌悪に陥るダメ親であることも、正直に書いておきます。トホホ。
このテーマ、ラストは早坂アナウンサー。出射アナウンサーの退社で席替えがあり、デスクが向かいになりました。