「アナ・ログ」
アナウンサーリレーエッセイ

合格発表
寺田 早輪子
(2009/03/17)


父が泣いている姿を見たのは、後にも先にも、あの日が最後でした。
高校の「合格発表」の日。
その日、合格者氏名が貼り出された掲示板を見に行く前に、同じ高校を受験した友達から「早輪子の名前も、あったよ!合格したよ!」と電話がありました。

「お母さん、お父さん、私、受かったって。」

電話を切った私がそう言うのを聞いて、驚き半分、笑みを浮かべた母。
一方、父は、笑顔でスッ…と、隣りの部屋に…。

泣いていたのです。
なぐさめに行った母は「良かったね。良かったね。」と声をかけていました。

こっそり覗いた隣りの部屋で、父は、笑いながら、顔を真っ赤にして、びっくりするほど泣いていました。
入試後の自己採点の結果が思わしくなく、「落ちたかも…」と意気消沈していた私以上に、両親は落ち込んでいたので、余計に、うれしかったのでしょう。

ただ、生まれてきてそれまでに、「泣き笑い」「うれし泣き」「男泣き」して、喜びを表現する父を見たことがなかったので、やはり、父のその表情は驚きでした。

私の父は、日常の9割を「怒」の表情で生きているような人でした。「喜怒哀楽」の「怒」。
眉間にしわを寄せて、口数も少なく、私がわがままでも言おうものなら瞬間湯沸かし器のように怒る。…今、思えば「極度の照れ屋の照れ隠し」なのでしょうが…。

当時の父は50歳になったばかり。今、父と同じように仕事を持ち、働くようになって、父の「泣き笑い」の意味が分かるような気がします。

「働く」ということは厳しく、ストレスも溜まる。
思い通りに行くことは少なく、本当は夢もあったのに…。
色々な思いを抱え生きる日常の中で、「長女が志望校に合格した」ことは、50歳の父にとって「泣き笑い」してしまうほどのニュースだったのだな……と。

今年も、高校「合格発表」のニュース取材をします。
思い出してしまうのは、父のあの「うれし泣き」。
父が亡くなって、もう8年になります。でも、今でもあの表情は鮮明によみがえります。

さては、あすは、つい最近、仙台放送・アナウンサー採用試験の「合格発表」で、ドキドキを味わったばかり!広瀬アナウンサーです!


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