アナ・ログ

2011年今年を振り返って

稲垣 龍太郎

2011/12/15

稲垣龍太郎の今年を振り返る!
1月:生まれて初めてたこ焼き器を買いました。というのも、この頃、「卒業を前に、大阪出身の稲垣の家でたこ焼きパーティーでもやりながらお酒を飲もう。大阪人ならたこ焼き器あるでしょ。」という大阪出身者なら当然自宅にたこ焼き器があるという認識の誘いが3件くらいあり、人生で初めてたこ焼き器を購入しました。
2月:仙台に引っ越しました。4年間暮らしたチャイムなしの古風なアパートの1室がもぬけの殻になると、少し寂しい気持ちにもなりました。
3月:仙台放送での研修がスタート。3月11日、東日本大震災が発生。目の前のできごとにあたふたし、目に飛び込んでくる映像が信じられませんでした。
4月:仙台放送に入社。下旬には柳沢部長に見守られながら夜のニュースで初鳴き。画像はその時のものです。
とにかく必死でした。終わった後、極限の緊張からの解放で涙が出ました。
5月:スーパーニュースのスポーツコーナーを担当させていただくことになりました。多くの先輩方に助けていただき、初オンエアを終えました。
6月:初めて整骨院へ。今では体調維持のために欠かせません。
7月:楽天戦の野球中継で初めてのサブアナを担当。目の前のプレーを見て、パソコンでデータを調べ、スコアブックを書き・・・目が3つあればいいのにと思いました。
8月:初めて平日のお昼のニュースを担当。8月の勤務表で「昼」の文字を見たときは、「ついに・・・きたか・・・」という気持ちでした。
9月:仙台放送まつり2011で初めてのステージMCをさせていただきました。
10月:関西テレビでフジテレビ系列の新人アナウンサー研修を受けてきました。私の甘さを痛感する4日間でした。ただ、就職活動で知り合った学生時代からの友人の懐かしい顔を見ることもできました。
11月:初めてやらせていただいた旅番組がオンエア。渡辺徹さんと鳴子温泉郷を旅させていただきました。掛け合いの難しさ、自身の表現力の乏しさを実感しました。そして、春の高校バレー宮城県大会で初めての優勝インタビュー。人から話を引き出すために、もっと質問の表現方法を考えなければいけないと痛感。
12月:こうして今年1年を振り返り、貴重な経験をたくさんさせていただいているのだから「あぁ、もっと前進しないと」と思うのでした。
次は金澤さんです。

今年の自分を漢字1字で表すと

稲垣 龍太郎

2011/12/05

今年の私を漢字1字で表すと「新」です。

新社会人、仙台での新しい生活、日々経験することは新しいことばかり…。東北にやってきて、これまで経験したことのない食文化にも触れました。

私が今年、東北で最も感動した食べ物は、「玉こんにゃく」です。特に、こんにゃく好きというわけでもなく、最初は山形県の屋台で見かけただけで、「へぇー、こういうものがあるんだ」というくらいでした。
しかし、ダシがよくしみこんでいることが一瞬見ただけでわかる、茶色のこんにゃく3個を目の前にし、思わず食べてみたくなりました。

口にしてみると、丸みを帯びたこんにゃくのプルプルした食感がたまりません。噛むと、ダシの香りが口から鼻へと抜けていき、癖になりそうです。

それ以来、コンビニのおでんコーナーで見かけると、ついつい買ってしまう、玉こんにゃく。
美味しくて、ヘルシーで、しかもお酒にも合う一品ですね!

次は広瀬アナウンサーです。

あなたのドラ1は?

稲垣 龍太郎

2011/11/16

社会人生活1年目、私が今年もっとも悩まされたのは「肩凝り」です。
サウナ、マッサージ、酸素カプセル…いろいろ試してみて効果はあったものの、不都合な点も…

サウナ…
サウナ5分間と水風呂を3セット。血流が良くなり、疲れが一気に抜けるのですが、次の日の朝、頭がボーッとしてしまうため、翌日が休日でないと行けないという問題が。

マッサージ…
疲れはとれるものの、3日経つとまた肩が凝ってくるため、費用が嵩んでしまいます…。

酸素カプセル…
私、密閉された空間が苦手です。

そんな中、私の肩凝り解消法・ドラ1は、温泉です!
先日、仕事で鳴子温泉郷に行ってきました。2日で6箇所の温泉に入り、仙台に戻ってきたときには、肩凝りは、すっかり解消されていました。

自然の力とは不思議なものです。

次は、広瀬アナウンサーです。

冬が来る前に

稲垣 龍太郎

2011/10/28

今日からのテーマは「冬が来る前に」です。

冬の訪れの前にどうしても買い込んでおきたいものがあります…。
それは…股引!(ももひき)

高校3年生の冬、クリスマスイブ。大学受験を前に特別授業がありピリピリとしていた教室。休み時間も単語帳のにらめっこという殺伐とした中、突然、同じクラスの友人がクリスマスプレゼントをくれました。

そうです、それが股引との初めての出会いでした。

最初は、「なんでクリスマスに股引やねん!」と突っ込みましたが、周囲の空気を和ませてくれる友人のプレゼントに心温まりました。

そして、いざ履いてみると冬の寒さを凌ぐには抜群のアイテムだと知りました。
女性が冬場になぜタイツを履くのか、頭ではわかっていましたが、初めて肌で理解できました。

それ以来、毎年冬になると、ついつい買いだめしてしまう股引。宮城で迎える初めての冬。
まだどれほど寒いのか想像できませんが、まずは股引を買いに行かなければ。

次は、浅見アナです。

いも煮

稲垣 龍太郎

2011/10/21

実は私・・・つい先日まで芋煮を食べたことがありませんでした。東北をもっと知ろうと山形を巡り、ある宿に泊まったときに夕食で初めて頂きました。
それは宿のオーナーの手作りで、まさに家庭の味でした。
ゴロゴロとした大きな芋、具沢山の野菜、味がしみこんだお肉・・・具だけだと、実家で母親がつくってくれたカレーライスを思い出しました。
あまりに美味しくてご飯がすすみ、ついつい翌日の朝食も芋煮を頂いてしまいました。

冬も近づき、そろそろ紅葉のきれいな季節になりますし、どこかで紅葉を眺めながら、アッツアツの芋煮をフーフー言いながら食べて、仲間と楽しむのもいいですね。

私の初芋煮会は、いつになるのかわかりませんが、ぜひ一度やってみたいものです。

次は林アナウンサーです。

2011年 秋

稲垣 龍太郎

2011/10/06

今年の秋、仙台放送の一員として初めて、仙台放送まつりに参加しました。

私は、勾当台公園の野外音楽堂ステージのMCをさせていただきました。

予定通りに進まず、その場で対応しなければいけないこともありました。
どうすればいいのか判断を迷ったこともあり、臨機応変に対応することの大切さを、身をもって学びました。
出演者の皆さんにトークで助けられた部分も多々あり、
もっとうまく言葉のやり取りをしたいと感じた2日間でした。

ステージの司会を初めて担当させていただき、
その場の雰囲気を肌で感じられたり、お客さんの反応がその場でリアルに伝わってくるのは、とても新鮮でした。
前説でお客さんと直にやり取りできるのも、普段と違って、楽しかったです。
テレビの向こう側にいる視聴者の皆さんの反応を直接見ることができました。

拙い司会ではありましたが、最後までお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。

2011年秋は、実り多い秋となりました。


次は、広瀬アナウンサーです。

震災から半年

稲垣 龍太郎

2011/10/06

東日本大震災から半年の前日、あの夏の熱闘が仙台で繰り広げられました。そうです、楽天の田中将大投手と日本ハムの斎藤佑樹投手の投げ合いです。

2006年の夏の甲子園決勝。
マー君世代?ハンカチ世代?の私は、当時高校3年生の受験生でした。テレビの前で繰り広げられる熱戦に一喜一憂しながら観戦しながら、私と同い年の2人が、灼熱の中、一所懸命に投げ合っている姿に、私も自分の目標に向かって、頑張らなくてはと勇気をもらいました。

それから5年。
球史に残る、思い出深い対決が再度、しかも仙台で見られる!当日私は、ニュース担当だったため、現場に行くことはできなかったのですが、会社のテレビで観戦していました。
得点こそ4-1だったものの、同世代の田中投手と斎藤投手の投げ合いに、私もアナウンサーとして、もっと成長しなければと思ったのでした。

あれから5年。
またしても同世代の田中投手と斎藤投手から刺激を受けることになりました。

震災から半年、仙台に来て半年、社会人になって半年、アナウンサーになって半年、私も、もっと前に進んでいかなければ。

次は、
アナウンスや社内での業務について、いつも優しく詳しく教えてくださる林さんです。

2011年、夏

稲垣 龍太郎

2011/09/12

宮城県にやってきて初めての夏、私は高校野球の宮城大会の取材に行かせていただきました。
灼熱の太陽が照りつける中、バックネット裏でスコアをつけながら、試合の一つ一つのプレーに歓喜したり、「惜しい」と思わず声が出てしまったりしました。
こうして試合中に何度も感情が揺れ動くのですが、試合中は、試合のポイントがどこなのかをスコアを見ながら探したり、終わった後、どの選手に何を聞こうか、考えていました。

私が特に印象に残っているのは、石巻のある高校がコールドで負けてしまった試合です。私は、試合終了後に、その石巻の高校の選手にインタビューしたのですが、最初は、選手たちの泣き崩れる姿に、「インタビューさせていただいても、宜しいでしょうか?」と声かけすることすら、ためらわれました。
震災の影響で、例年より練習時間も限られた状況で、夏を目指して仲間とともに必死に練習してきた選手たち。
負けた悔しさが伝わってきて…
正直なところ、選手に何を言えばいいのかわからなくなりました。

時間が経ってから、一旦涙がおさまったキャッチャーの3年生の男の子にお話を聞くことができました。
しかし、インタビューしているうちに、やはりこれまでの過程が選手の頭の中に蘇ってきたのだと思います。キャッチャーの男の子は再び涙を流しながら質問に答えてくれて…
「最後にあいつ(エースピッチャー)の球を受けられて良かった。」
の言葉に、お互いの信頼感や仲間の絆が感じられて、私も思わず、もらい泣きしてしまいそうになりました。
私は、一緒に練習していたわけでもなく、練習のときから選手たちに密着していたわけでもありません。
しかし、選手たちの流す悔し涙と一つ一つの想いの込められた言葉に、今日までどんなに一所懸命に、夏に向けて歩んできたのかが伝わってきました。
こうした選手たち一人一人の想いを一人の伝え手として正確に伝えられるよう精進していきたいと強く思った2011年、夏でした。

ともにII

稲垣 龍太郎

2011/08/17

先日、生まれて初めて仙台七夕まつりに行ってきました。
これまで、「7月7日=七夕」という文化の中で育ってきた私にとっては、8月に初めて迎える七夕です。

一番町のアーケードを通ると、青竹に吊るされた大きな吹流し。想像以上の青竹の太さ、吹流しの煌びやかさに感動しながら、作るのにどれくらいの時間がかかったのだろうか、どれだけの人によって、この七夕飾りはつくられたのだろうか、など七夕まつりに至るまでのことを考えながら、歩いていました。

そういえば、入社前に一度、七夕飾り作りを体験したことがあります。
といっても、本格的なものではなく、ミニチュアサイズのものですが。
宮城初心者の私は、そこで初めて七夕飾りに込められた意味を知りました。

短冊…和歌や願い事を書き、学問や書道の上達を願う。
吹流し…機織の上達を願う。
折鶴…家内安全と長寿を願う。
投網…豊漁を願う。
屑籠…倹約を願う。
紙衣…子どもの成長を願う。
巾着…お金がたまることを願う。

指が人より太すぎるのか、針に糸を通すのに最長で10分もかかってしまうほど手先の不器用な私に、一つ一つ七夕飾りの作り方を丁寧に教えてくださった宮城の人の優しさに触れたのも、このときが初めてでした。

七夕まつりから帰宅後、ふと当時のことを思い出し、久しぶりにミニチュアの七夕飾りを取り出し、部屋に飾ってみたのでした。

短冊には…
思い出すだけで顔が真っ赤になってしまうほど、恥ずかしくなる願い事が書かれていました。

結局、すぐに閉まってしまったのでした。

次は、寺田さんです。

ともに

稲垣 龍太郎

2011/08/03

宮城県の皆様、はじめまして。
今年4月、仙台放送に入社しました稲垣龍太郎(イナガキ リュウタロウ)です。
大阪に18年間、東京に4年間住み、今年から宮城県にやってきました。一人前の宮城県のアナウンサーになれるよう頑張っていきますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。

まず、東日本大震災で被災された方に、謹んでお見舞い申し上げます。
3月11日…私も仙台放送本社で研修を受けていました。右も左もわからない状況で、正直何が起こったのか戸惑いました。目の前に飛び込んでくる映像が信じられませんでした。
大阪出身の私ですが、学生時代には宮城県のさまざまな場所を巡ったことがありました。
気仙沼、松島…以前訪れた場所が全く違う姿になり、言葉を失いました。
正直なところ、これまでずっと宮城で生活されてきた皆様が感じてらっしゃる気持ちを、今年いきなり宮城にやってきた私が、全て理解することは難しいのかもしれません。
しかし、少しでも宮城県の皆様の気持ちに近づいて、情報をお伝えできるよう精進してまいります。

僭越ながら、少しだけ自己紹介させていただきます。
小学生のころからスポーツ中継が好きで、スポーツ実況のものまねをするようになりました。高校時代に体育祭のリレーの実況をしたことで目の前で起こっている選手たちの一所懸命な姿を伝えていくことの楽しさを知り、アナウンサーを志すようになりました。
まだまだ力不足で半人前の私ですが、将来は人の心に熱く響く魂のこもった言葉を発せられるアナウンサーを目指しています。

初めての東北での生活で、まだまだ戸惑うことの多い私ですが、これからの人生、宮城の皆さんと「ともに」歩んでいきたいです。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。

次は、いつも新人の私に優しく丁寧にアドバイスをしてくださる寺田アナウンサーです。

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