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【セリフで分析 シェイクスピアの世界】 第3回 「生きるべきか、死すべきか」の先には……

2015/07/15 10:00


シェイクスピア劇の有名な台詞といえば、何が思い浮かぶでしょう。「何も思い浮かばない」という人は別にすると、大多数は『ハムレット』(1600頃)の「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」(3幕1場)という台詞を考えるのではないでしょうか。


19世紀ロシアの作家イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフが、人間の性格の二つの典型(瞑想型と活動型)を論じ、その具体例としてそれぞれハムレットとドン・キホーテを挙げて以来、ハムレットのこの台詞は、うじうじ悩んで行動に移れない「女々しさ」を表すかのように受け止められて来ました。この、ジェンダー学的にちょっと問題のある言い方は、ある意味では的を射ています。


ハムレットのこの台詞は、英語の詩文として意図的に「女らしく」書かれているのです。


ただし、芝居を最後まできちんと読めば、シェイクスピアが決してハムレットの性格を一面的に小さくまとめたりしていないことも分かります。今回は、この有名な台詞の謎解きをしてみましょう。


前回説明したように、シェイクスピア劇の台詞は、基本的には「弱強五歩格」という詩型で書かれています。母音(音節)を「弱音+強音」という組み合わせになるように整え、これを1行に5回繰り返すかたちです。ところが、迷い悩むハムレットの台詞は、このかたちからはみ出ているのです。


ハムレットは父王の亡霊から、自分を殺して新王となった王弟クローディアスの不正を許すなと言われ、復讐を誓っています。しかし、なかなかクローディアスが王殺しだという証拠がつかめず、思い切って行動することができません。長い引用になりますが、原文を日本語訳と照らしながら確認してみましょう(下線を引いた母音を強く読んでください)。


To be, or not to be: that is the ques-tion:

(生きるべきかしすべきか、それが問題だ。)

Whether 'tis nobler in the mind to suf-fer

(どちらが心にとって高貴なことだろう)

The slings and arrows of outrageous for-tune,

(荒れ狂う運命が投げつける石や矢を耐え忍ぶのと)

Or to take arms against a sea of trou-bles,

(困難の海に対して武器を取り)

And by opposing, end them…

(敢然と対峙して終わらせてしまうのと…)


行の途中で引用を切ってしまった最終行を除くと、全ての行で文末に「字余りの弱音節」が加えられていることが分かりますね。このように、余計な弱音節を付して詩行を終わらせることを、韻律学では「フェミニン・エンディング」といいます(この言い方自体に問題がありそうですが、何しろシェイクスピアの時代にそう呼ばれていたので、ご勘弁ください)。


つまり、ハムレットの「割り切れない」心持ちは、弱強五歩格の詩型にくっつく「女々しい」音節によって、韻律的にも表現されているのです。




しかし、その後思いがけずハムレットは、恋人オフィーリアの父親ポローニアスを殺してしまい、国外追放同然になってしまいます。第5幕で故国に戻ってきた彼は、内的な変化を遂げており、より達観した死生観を示します。


父の仇を討たんとするレイアティーズ(オフィーリアの兄)と剣の試合をする羽目になった彼に、親友のホレイショーが「嫌な予感がするなら、わたしが口実をつけて断りましょう」と言ってくれます。するとハムレットは韻文をかなぐり捨てて、散文で「やめてくれ」と答えます。天命から逃れることは誰にもできないから、なんであれ覚悟が大事なのだと。


この台詞を締めるのは「なるようになれ」(Let be)という一言です。


 “To be” と “not to be” の狭間で動けなくなっていたハムレットは、最後に “Let be” という境地にいたる—— シェイクスピアは、この有名な台詞に、実はちゃんとそんなオチを用意していたのです。





次回は「第4回 マクベスと魔女の予言」です。

配信日程:7月16日(木)午前10時ごろ配信予定



【プロフィール】

岩田 美喜(いわた みき)

東北大学大学院文学研究科准教授

使用言語とアイデンティティの観点から、イギリスとアイルランドの演劇を研究している。

編著書に『ライオンとハムレット』(松柏社、2003年)、『ポストコロニアル批評の諸相』(東北大学出版会、2008年)など。

趣味 演劇鑑賞、油絵、スキー