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【遺伝学から見た食卓革命】 第2回 ゲノム情報の光と影
2015/08/18 10:00
はじめに
地球上に生きとしいける生命体は、微生物や動植物にかかわらず、たった4つの文字の組み合わせによって、生命活動や次世代への情報の継承を行っています。いわゆる「遺伝子」や「ゲノム」などと呼ばれるものです。
ゲノムは一部のウイルス等を除いて、DNA(デオキシリボ核酸)からできており、長い二重らせん構造を取っています。さらにDNAは4つの塩基が鎖状に繋がっており、この塩基をそれぞれアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)と呼びます。DNAの長さは、ヒトの細胞ひとつ当り2メートルにもなり、これが細胞の核に小さく折り畳まれてあるのです(図1)。
このDNAの並び方(DNA塩基配列決定法)、そこから読み取ることができる遺伝子の暗号情報とは、どの様なものかについては、【補足】の項目をご覧下さい(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/news2/2015/08/12144721.php)。
DNA塩基配列決定の高速化
近年になって、DNA塩基配列を決定する基本技術は変わらないのですが、ナノテクノロジーと新たな化学的検出手法などとの融合によって、一度に大量に塩基配列決定する機械が登場し、「次世代シークエンサー」と呼ばれるようになりました(図2)。
これは、1990年代から2000年代に主流であった機種よりも、塩基配列決定能力が格段に高度なものでした。さらには、決定できた塩基配列情報を、それまでに決定された生物種の全塩基配列情報を用いて、解析用コンピューター上で比較することにより、決めたいと思う生物種、品種、個人などの全ゲノム情報を獲得することが安価かつ短時間で可能になりつつあります。
あくまで例えですが、言うならば、映画「ジュラシックパーク」で、琥珀の中に閉じ込められた恐竜の血液から恐竜のゲノム情報を復元することも可能になりつつある、と言えばよいでしょうか。全ゲノム情報の正確さをどうするかにもよりますが、ある程度の正確さでよければ、10万円から100万円でゲノム情報を決めることが可能であるともいえます。もちろん、日進月歩の技術革新により、より安価になることが確実視されています。
遺伝子機能の理解への道のり
上述の通り、ゲノム情報を安価で簡便に明らかにすることが可能な時代になりました。しかしながら、一方でその中にある個別の遺伝子機能を決定するためには、その遺伝子が壊れた系統を作成・解析するなど、多大な労力が必要となります。
さらに近年、タンパク質をコードしない遺伝子の機能も解明され、それらは、遺伝子発現スイッチをON/OFFするために重要であることも示されつつあります。
このようにA, T, G, Cという文字列、つまり、遺伝暗号の解読までは容易ですが、遺伝情報の真の理解までには、まだ時間がかかると思われます。こうしたゲノム情報を遺伝子機能に結びつけ、それを利活用することで、高機能な遺伝子組み換え作物へ応用するという所へは、倫理・道徳的な説明も含めて、まだ道半ばと言わざるを得ません。
現在の作物品種改良へのゲノム情報の利用は、例えば、耐病性・耐乾燥性が高い品種の原因遺伝子をゲノム上で特定し、味が良い品種と従来の交雑によって掛け合わせ、味が良く病気に強く乾燥に強い品種を作出する程度に留まっています。
ゲノム情報の影
ゲノムの全塩基配列が品種改良などに貢献できるという、ゲノム情報の「光」の側面がある一方で、「影」の側面も明らかになってきました。
植物などであれば、個々のゲノム情報が公開されても、あまり影響はでないと考えられます。しかし、これがヒトの場合には、究極の個人情報が明らかになってしまうことになります。ゲノム情報から、がん・高血圧・糖尿病・アルツハイマー病等にかかりやすいかどうか、寿命の長さの傾向、性格の傾向、瞳の色や髪の色に関わる情報等、いろいろなことが分かってしまうからです。
これらが他者に漏れれば、危険な病気の発病リスクの高さから生命保険に入れなくなる、就職や結婚が不利になる、という遺伝子による差別が行われる未来も考えられます。ゲノム情報がもたらす「影」の部分にも目を向けながら、ゲノム情報を利活用・管理する重要性は明白で、多くの議論がなされています(図3)。
おわりに
このように、全ゲノム配列が特定できるようになった現在でも、その遺伝子情報を全面的に利活用した品種改良までは技術が進んでいません。
そこで、次回はこうした先端遺伝子情報ということから離れて、従来の品種改良法で、現在、最もよく使われている「一代雑種育種法」について概説し、現在の野菜品種がどの様な育成過程をたどって、食卓に並んでいるかなどもお話ししたいと思います。
【豆知識】
ゲノムとは
ゲノムというのは、遺伝子を意味するgeneという単語と総体(オーム)を意味するomeを合わせた、genomeという造語です。
1930年の木原均博士による定義に基づくと、「生物をその生物たらしめるのに必須な最小限の染色体セット」ということになります。もう少し言い換えるとすれば、細胞中の核内に存在する全染色体のうち1組分の全DNA塩基配列、という表現になります。
ゲノムの大きさは、10の何乗・塩基と形式で表記されることが多く、身近なものでは、大腸菌が5x106、イネは4x108、ヒトで3x109と言われています。この3つの生物種の全塩基配列は1997年、2003年、2004年に決定されました。
ただ、これはあくまでも、その生物種を代表する1つの種類、イネであれば、「日本晴(にっぽんばれ)」という品種のゲノムが明らかになっただけで、イネの個別品種(ひとめぼれ、ササニシキ、あきたこまちなど)のゲノム配列、つまり、遺伝情報が明らかになったわけではありません。また、この時代に全ゲノム配列を決定するためには、何億円という規模の予算が必要でした。そのため、決定できる生物種も限られたものでしかありませんでした。
【補足】
はじめに、の最後の段落で記述した「遺伝子の暗号情報とは」、「DNA塩基配列決定法」(http://www.ige.tohoku.ac.jp/prg/watanabe/news2/2015/08/12144721.php)については、渡辺の研究室のHPに補足1, 2として、それぞれの項目で説明してあります。あわせてご覧ください。
次回は「第3回 すごい「トウモロコシ」の作り方」です。
配信日程:8月19日(水)午前10時ごろ配信予定
【プロフィール】
渡辺 正夫 (わたなべ まさお)
東北大学大学院生命科学研究科教授
1984年愛媛県立今治西高等学校卒業。1991年東北大学大学院農学研究科中途退学。1991年東北大学農学部助手。1994博士(農学)。1997年岩手大学農学部助教授。2005年東北大学大学院生命科学研究科教授(現職)。
アブラナ科植物を材料(カブ、ハクサイ、キャベツなど)として、自家不和合性の自他識別にどの様な遺伝子が関わり、この現象を機能させているのかについて、30年近く研究。研究成果は、Nature, Scienceをはじめ、100編以上の論文として発表。この自家不和合性研究が評価され、2011年日本学術振興会賞受賞。平行して、小中高でのアウトリーチ活動を700回以上実践、継続中。
趣味は、旅行、読書(歴史関連本)、サッカー観戦。