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【セリフで分析 シェイクスピアの世界】 第1回 シェイクスピアと英語の世界

2015/08/24 10:00


来年2016年は、イギリスを代表する劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の没後400年になります。日本で同じ年に亡くなったのが徳川家康(1542-1616)ですから、随分昔の人のような感じがするかも知れませんね。この頃から英語は、今のようなグローバルな言語だったのでしょうか? 


そんなことはありません。近代に至るまで、ヨーロッパで広く用いられた共通語は、行政や外交においてはフランス語、学問や宗教においてはラテン語でした。英語は、ヨーロッパの西の果てにある小さな島国で話される地域語に過ぎなかったのです。


英語のステイタスに対して意識の変化が起こってきたのが、ちょうどシェイクスピアが活躍したテューダー王朝という時代でした。というより、そのような変化の中で劇作家シェイクスピアが生まれた、というべきかも知れません。大陸ヨーロッパから伝わったルネサンス人文主義の影響を受けた知識人たちが、英語を洗練させるための言語改革運動を唱え始めたのです。




人文主義の要諦は、古典古代の教養を通じて人間形成を図ることにありますが、その際に重視されたのが修辞学でした。言葉をきちんと操ることができなければ、お互いの人格を陶冶できるような実のある議論が成り立たないからです。ゆえに、当時の教育観では、ラテン語の習得と、それに伴う母語の洗練が、とても大事なことでした。


テューダー朝を代表する女王、エリザベス一世(在位1558-1603)の家庭教師も務めた人文学者、ロジャー・アスカム(1515-1568)は、その著『教師論』(1570)で翻訳教育を徹底すべきだと説いています。




アスカムが特に勧めたのは、ラテン語と英語の二重翻訳という教育法でした。生徒はまず、お手本(古代ローマの弁論家キケローによるラテン語の文章)を、英語に訳します。一時間ほど時間をおいたら、今度は自分の英訳をもとにラテン語の作文をして、出来上がったラテン語を原文と比較することで、両言語の構造を頭に叩き込むのです。


アスカムは、「生徒がもとの名文を変な語句に変えてしまっても、真面目にやっている限り、怒ってはいけない」と教師に注意を促しています。しかし、当時は褒めて伸ばす教育法はまれであり、できない生徒は鞭で叩かれるのが普通でした。詩聖シェイクスピアも、おそらくそんな風にして語学力を磨いてきたはずなのです。


なお、シェイクスピアは大学には行っておらず、後輩にあたるベン・ジョンソン(1572-1637)に「ラテン語はちょっぴり、ギリシャ語はそれ以下」と称されましたが、実際には彼のラテン語力はかなり高かったであろうことが分かっています。


シェイクスピアが語学の勉強を通して得た表現力は、また、現代英語の基礎となりました。言葉を学ぶことは、多様な言語の発展へとつながって行くのです。なんと夢のある話でしょう。


次回からは、シェイクスピアの有名な戯曲を取り上げて、その台詞を吟味し、現代のわたしたちにも訴えかけるその魅力の秘密を、紐解いていきたいと思います。



次回は「第2回 ロミオとジュリエットの愛のささやき」です。

配信日程:8月25日(火)午前10時ごろ配信予定


※本日のコラムは2015年7月13日に配信したものをアンコール企画として再配信しています。



【プロフィール】

岩田 美喜(いわた みき)

東北大学大学院文学研究科准教授

使用言語とアイデンティティの観点から、イギリスとアイルランドの演劇を研究している。

編著書に『ライオンとハムレット』(松柏社、2003年)、『ポストコロニアル批評の諸相』(東北大学出版会、2008年)など。

趣味 演劇鑑賞、油絵、スキー