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【セリフで分析シェイクスピアの世界 Part2】第1回 「自分とは何者か」を作るルネサンス人文学

2015/09/28 10:00

突然ですが、人文学(humanities)とはどのような学問でしょう? 


例えば、「文部科学省が国立大学の人文系学部・大学院の統廃合を含めた見直しを要請」などという場合の「人文系」って、何を意味しているのでしょうか。21世紀の我々は、自然科学や数学と区別した場合の文学や哲学、芸術や歴史などのことを考えるでしょう。


でも、ルネサンス期のヨーロッパ人は、ちょっと違う答えを口にしたかも知れません。そして、それには「人文学」に「人間」(human)という単語が含まれていることと関係があります。


人文学の礎を築いたのは、紀元前5世紀頃の古代ギリシアの人々です。パイデイアと呼ばれた、都市国家(ポリス)市民のための教育がそれに当たり、これが古代ローマの政治家・雄弁家・哲学者であるキケロ(前106-43)に引き継がれました。


キケロは人間を人間たらしめる要件として「自由」ということを重要視しました。これにはもちろん、社会的・政治的に抑圧されない自由なども含まれているのですが、キケロが特に重視したのが、精神の自由と自律でした。これを逆に言えば、奴隷状態とは物理的環境のいかんに関わらず、自分以外のものに判断を委ね、盲従している状態を指します。


このような精神の奴隷状態から脱却し、自分で考えることができる人間を形成するために必要な学問を、彼は「フマニタス」(humanitas)と称したのでした。




紀元後の世界でキリスト教がヨーロッパ全土に広まっていくと、こうした人間教育に代わって、神学が学問の最高峰となります。キリスト教においては、人間の生き方とはすでに神のうちに示されており、自分で考えて作るようなものではないからです。ところが、ルネサンス(ご存知のように、「再生」という意味です)の時代に、古典古代のテクストが再発見されると、ヨーロッパ人に大きな衝撃を与えました。


偉大なる神ではなく、人間のような小さなものが学問の対象になり得る、人間は学問を通じて自身の人格を形成できる。


こうした驚きと喜びを込め、ルネサンス人は「人文学」(studia humanitas)という言葉を、「神学」(studia divinitatis)と区別して使っていたのでした(人文学が狭い意味で自然科学などと対置されるようになるのは19世紀に入ってからで、人文学の歴史の中では最近のことにすぎません)。人文学とは、人間賛美に溢れた学問のことだったのです。


では、この「自分を作る」ということ、具体的にはどうやって行うのでしょうか。ルネサンス人にとって、それは「語る」ことを意味していました。聖書というテクストに示された生き方から少しだけ自由になるとしたら、自分で自分という白紙のテクストをどんどん書き換えていくしかありません。自分を語ることと自分を作ることは、密接に結ばれていたのです。


実際、シェイクスピアをはじめとするルネサンス期の英文学は、語ることを通じて「自分とは何か」を構築しようとする人々で溢れています(なお、英文学者スティーヴン・グリーンブラットは、これをルネサンスの「自己成型」(self-fashioning)と名付けました)。


随分と前置きの話が長くなってしまいましたが、次回からはシェイクスピア劇の人物を具体的に取り上げて、彼らの声に耳を澄ましてみたいと思います。そこで問題になるのは、もちろんヒーローだけではありません。シェイクスピア劇では、悪漢や策謀家や女性たちが驚くほど豊かに語っていることを、ご紹介できればと思います。意外な人物の意外な台詞から、ルネサンス人文主義の息吹を感じることができるかもしれません。まずは明日、『ヴェニスの商人』の悪徳高利貸し、シャイロックにご登場いただきましょう。



次回は「第2回 ユダヤ人シャイロックをどう読む?(『ヴェニスの商人』)」です。

配信日程:9月29日(火)午前10時ごろ配信予定



【プロフィール】

岩田 美喜(いわた みき)

東北大学大学院文学研究科准教授

使用言語とアイデンティティの観点から、イギリスとアイルランドの演劇を研究している。

編著書に『ライオンとハムレット』(松柏社、2003年)、『ポストコロニアル批評の諸相』(東北大学出版会、2008年)など。

趣味 演劇鑑賞、油絵、スキー