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【セリフで分析シェイクスピアの世界 Part2】第4回 “Nobody, I myself” に隠されたメッセージ(『オセロー』)

2015/10/01 10:00

昨日は、夫オセローの立場から、『オセロー』という嫉妬と猜疑が生み出す心理悲劇を見てみました。今日は視点を変えて、妻デズデモーナの社会的立場と気持ちを考えてみましょう。とはいえ、オセローの場合のように、臨終の言葉を長々と引用することはできません。寡黙な彼女は、ほとんど喋らずに死んでしまうからです。

倒れている彼女を見つけ、驚いて駆け寄った侍女のエミリアに告げる彼女の最期の言葉は、たったこれだけです。

彼女ははっきりと、自分は無実の罪で死んでいくのだと訴えておきながら、犯人を尋ねられると「誰でもない、自分でやったの」(Nobody, I myself)と、夫を庇いながら事切れます。この哀れさ(不甲斐なさ?)は、一体何としたことでしょう。400年以上も前に書かれた芝居だから、デズデモーナは決して男性に逆らわない、受動的でつまらないキャラクターになっているということなのでしょうか?


いえ、彼女は決して受動的ではありません。何しろ、父親の反対を押し切って、当時の白人貴族の娘でありながらムーア人のオセローと秘密結婚したのですから、相当に意志の強い女性だと考えるべきでしょう。実際、1幕3場で、オセローとの結婚を認めない父親から、自分は誰に服従すべきなのかと迫られると、彼女は「娘だった時分には父に従うべきであったが、今は夫がいるから夫を優先したい」旨の返事をします。この場面、19世紀フランスの画家ドラクロワの絵では、かなりセンティメンタルに娘が父にすがる構図になっていますが、これは正しくありません。デズデモーナは、徹頭徹尾堂々としています。




ただし、この時彼女は「この点については、義務が引き裂かれているのをひしひしと感じます」(I do perceive here a divided duty)と、含蓄深い言葉をも口にしています。一見なんでもない表現のようですが、これは彼女が家父長制下に生きる女性としてはアウトローになってしまったことを、端的に示しているのです。


フェミニズム系英文学者のE. K. セジウィックは、文化人類学でいう「交換」の概念を用いて、英文学に登場する女性たちを論じています。彼女の主眼は小説ですが、その議論はデズデモーナの状況をもうまく説明していますので、少し簡単に紹介しましょう。


家父長制において婚姻とは、集団(家族)同士が、女性(花嫁)を交換して社会的な連帯を強める互酬的慣行なのですが、セジウィックによれば、男女のジェンダーは平等ではないので、この時絆が生まれるのは男性同士の話に限られます。


さて、このように家父長制下の結婚が「男同士(父と婿)で話し合って女性の受け渡しをする」のであれば、「娘の時は父に従い、嫁すれば夫に従う」という当時の女性の行動規範には一貫性があります。父と夫の意思が共通のものだからです。ところがデズデモーナは、父の意思を無視して自分で結婚を決めてしまうという重大な違反を犯しました。その行動は、彼女が生きる社会では受け入れられないものであり、彼女はそのため「悪女」とみなされることになります。


この場面の直後、ブラバンショーは可愛がっていたはずの娘を一転して蔑むように、「ムーア人、娘には気をつけろ。見る目があるならな。/父を騙した娘だ、お前を騙すかもしれんぞ」(1幕3場)と言い捨てて去ります。これは、デズデモーナが自分の義務を「引き裂かれた」と表現したことと表裏一体で、オセローに従えば従うほど、それが彼女の反逆性のしるしとされてしまう逆説の袋小路に、彼女はすでに追い込まれているのです。


オセロー自身ですら、心の中ではブラバンショーの考え方に同調しているために、イアーゴーの讒言にうかうかと乗せられてしまいます。イアーゴーが、彼女の不実な性格の証拠として「あの女はあなたと結婚して父を騙したんだ/それも、表向きはあなたの顔に震え、怯えていたときに/実際はあなたを心から愛していたんだ」(3幕3場)と言っても、情けないことにオセローは「そうだったな」と即座に同意してしまうのです。

 

芝居の大詰めで、オセローは怯える妻に向かって死ぬ前に罪を悔い改めよと迫りますが、彼女は、自分の罪は「あなたに抱く愛だけ」(5幕2場)と答えます。一見陳腐に聞こえるかもしれませんが、これは実に的を射た素晴らしい答えです。実行犯のオセローや、陰で糸を引くイアーゴーのさらに向こうで、彼女を殺したのは家父長制の社会構造そのものであり、その構造の中で夫を選んだ自分自身の選択だからです。


その点で、確かに彼女の罪は「夫への愛」だけであり、彼女を殺したのは「誰でもない、自分自身」と言えなくもないでしょう。もちろん、デズデモーナが最初から全てを見通していた女預言者というわけではありません。彼女は、急に自分に冷たくなった夫にうろたえるばかりの、普通の女性です。しかし、シェイクスピアが、彼女にどれほど簡潔で鋭い言葉ばかりを語らせているか―それを思うと私はいつも、胸がいっぱいになるのです。





次回は「第5回 歴史に命を吹き込んだ『リチャード三世』」です。

配信日程:10月2日(金)午前10時ごろ配信予定



【プロフィール】

岩田 美喜(いわた みき)

東北大学大学院文学研究科准教授

使用言語とアイデンティティの観点から、イギリスとアイルランドの演劇を研究している。

編著書に『ライオンとハムレット』(松柏社、2003年)、『ポストコロニアル批評の諸相』(東北大学出版会、2008年)など。

趣味 演劇鑑賞、油絵、スキー