熊本地震 支援活動報告 一般社団法人ワタママスマイル 代表理事 菅野 芳春
2016/06/28 09:50
月刊杜の伝言板ゆるる2016年6月号
熊本地震 支援活動報告
= 一般社団法人ワタママスマイル 代表理事 菅野 芳春 =
4月14日および16日に震度7を記録した熊本地震は死者行方不明者が50名、被害家屋が熊本県内七万棟という甚大な地震被害を及ぼしました。
私は東日本大震災直後からボランティアとして石巻市に入り、指定避難所での運営業務や炊き出しなどの活動を約半年間行った経験があり、その後も石巻市で復興支援活動を続けています。
このたびの熊本地震においても東北での経験を生かした活動ができるではないかとの思いから現地での被災状況や避難所運営、NPO等による支援状況などの調査を中心に現地に入りました。活動した期間は5月3〜5日の3日間と連休のど真ん中ということもあり、ボランティアや支援団体の数も非常に多い時期でした。
▲熊本地震被害家屋(益城町)
現地の避難所の状況
初めの2日間は益城町に入り、主要な避難所を6ヵ所回って避難状況や避難所の運営状況を確認しました。益城町では保健福祉センターや広安小学校、総合体育館などの公共施設が避難所として活用されていましたが、耐震性が確保された施設が少ないこともあり、避難所はどこも避難者で溢れていました。
特に保健福祉センターはトイレの横の軒下(外)に雨風除けのブルーシートを張っただけのところに10組くらいが避難していました。
▲熊本地震 避難所(益城町総合体育館)
訪問初日の5月3日は特に風雨が強く、ブルーシートから雨風が直接避難者の寝床に入り込むという有り様で、避難環境は悪いと言わざるを得ない状況でした。また、どの避難所も通路まで避難者でいっぱいで、通路やエントランスまで避難者で埋め尽くされており、避難経路はまったく確保されておらず、安全への配慮もなされていない状況でした。
その一方、どこの避難所を尋ねても現在は「物資やボランティアの人数は足りている」という返答でした。しかし、避難所の実態をよく見てみると、物資は外のテントに山積みになっていて、まったく管理されていなかったり、トイレなどの定期的な清掃を行うボランティアもおらず衛生環境がよくなかったり、何よりも避難者の実態が掴めていないようで、毎日避難者を数えることが日課という状況でした。やはり、避難者の多くは「安心して眠れる場所がほしい」と訴えていました。
避難所の運営は保健福祉センターや総合体育館では町の職員が中心に運営していました。東日本の時と異なるのは避難所の司令塔である本部機能が弱いように感じました。特にどこも強いリーダーが不在のようで、応援職員はいるものの人数も足りていない、役割分担が不明確で機能的に活動できていないなど避難所運営をどのように行えばよいのかという十分な知識がないまま手探りで運営しているという状況のようでした。この辺は東日本の経験者がサポートすべきかと思います。
3日目に訪問した南阿蘇村は従来までの現地への交通経路が途絶えたことからボランティアの数も少なく、県外からのボランティア受け入れをしているにも関わらず不足している状況でした。全避難者の半数(約380人)が南阿蘇中学校体育館に避難していることから支援団体が集中しており、特に日赤の医療チームが常駐し24時間体制で医療支援に従事しています。また、避難所内も避難者が溢れることもなく、体育館内で十分なスペースを確保することができ、運営も比較的スムーズで機能的に行われていました。すでに子どもたちの「こころのケア」も実施されており、成果が出ているとのことです。
支援団体(NPO等)の活動について
この震災から支援団体の取りまとめ役としてJVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)が活動しています。JVOADはジャパンプラットホームや日本NPOセンターなどが参加している組織で東日本大震災後に結成されました。主に日本国内の大規模災害時に政府や行政と民間支援団体との連絡調整や情報の一元化を図り、被災者支援活動を円滑に行うためのネットワーク組織です。
熊本地震においては発災直後から現地にコーディネーターが常駐し、毎晩19時から支援団体や行政との連絡会「火の国会議」を開催しています。この会議にはこれまでにのべ140団体が参加し、12の活動分野(炊き出し、物資配布など)で毎晩分科会を開催して情報交換や支援調整などを行っています。東日本の「石巻モデル」に近い形のもので熊本県レベルで実施しています。各支援団体は団体の特長を生かしながら支援活動を実施しており、東北で活動を行っていた団体も多数熊本に入り、活動を行っています。
▲熊本地震 「火の国会議」
東日本大震災との違い
熊本地震は東日本大震災のような津波災害(水害)ではなく地震災害のために、地域別ではなく個別に被害状況が異なっていることです。東日本の場合には同じ地域であればほぼ一様な被害状況にありましたが、同じ地域であっても家屋によって倒壊している家もあればほとんど無傷に近い家もあり、被害は広域ですがまだら模様となっています。
また、余震の回数が非常に多く(1,000回以上)、夜に家で眠れない、心理的不安によって家に住めない人が多く、車中泊が極めて多くなっています。そのため被災者の実態が掴みづらい状況です。
支援活動における今後の課題と役割
現在、各避難所は集約され、環境も改善されつつあるものの、避難が長期化することから避難所の改善が必要と思われます。そこで、避難所運営においてはその経験とノウハウを持っている東日本のときに避難所運営に携わった当事者がノウハウを伝授するために現地の支援に入るべきと考えます。特に、福祉避難所は改善すべきところが多く、喫緊に対応が必要です。
現在の一番の課題は住居(仮設住宅等)の早期確保です。これから梅雨の時期に入るとテントや車中泊では厳しく、健康被害のリスクが高くなります。また、東日本と同じように避難所から仮設住宅に移ると孤立や孤独死の問題が発生すると予想され、東日本と同じような課題に直面すると予想されます。
私たちにできる支援としては、まず個人ボランティアとして参加すること。今後は仮設住宅への引っ越しボランティアや介護系の専門ボランティアや見守り支援のニーズ高まると予想されます。また、農業の生業支援などのボランティアも必要となってきます。東日本と同じようにボランティア等での活動では被災者との信頼関係の構築が大切です。その意味では関係性を築いている団体と共に活動することが効果的かと思います。また、東日本で活動している支援団体がそれぞれの特長を生かし協働して「チームみやぎ」のような形での支援活動を行っていきたいと思います。
月刊杜の伝言板ゆるる2016年6月号
http://www.yururu.com/?p=1624
熊本地震 支援活動報告
= 一般社団法人ワタママスマイル 代表理事 菅野 芳春 =
4月14日および16日に震度7を記録した熊本地震は死者行方不明者が50名、被害家屋が熊本県内七万棟という甚大な地震被害を及ぼしました。
私は東日本大震災直後からボランティアとして石巻市に入り、指定避難所での運営業務や炊き出しなどの活動を約半年間行った経験があり、その後も石巻市で復興支援活動を続けています。
このたびの熊本地震においても東北での経験を生かした活動ができるではないかとの思いから現地での被災状況や避難所運営、NPO等による支援状況などの調査を中心に現地に入りました。活動した期間は5月3〜5日の3日間と連休のど真ん中ということもあり、ボランティアや支援団体の数も非常に多い時期でした。
▲熊本地震被害家屋(益城町)
現地の避難所の状況
初めの2日間は益城町に入り、主要な避難所を6ヵ所回って避難状況や避難所の運営状況を確認しました。益城町では保健福祉センターや広安小学校、総合体育館などの公共施設が避難所として活用されていましたが、耐震性が確保された施設が少ないこともあり、避難所はどこも避難者で溢れていました。
特に保健福祉センターはトイレの横の軒下(外)に雨風除けのブルーシートを張っただけのところに10組くらいが避難していました。
▲熊本地震 避難所(益城町総合体育館)
訪問初日の5月3日は特に風雨が強く、ブルーシートから雨風が直接避難者の寝床に入り込むという有り様で、避難環境は悪いと言わざるを得ない状況でした。また、どの避難所も通路まで避難者でいっぱいで、通路やエントランスまで避難者で埋め尽くされており、避難経路はまったく確保されておらず、安全への配慮もなされていない状況でした。
その一方、どこの避難所を尋ねても現在は「物資やボランティアの人数は足りている」という返答でした。しかし、避難所の実態をよく見てみると、物資は外のテントに山積みになっていて、まったく管理されていなかったり、トイレなどの定期的な清掃を行うボランティアもおらず衛生環境がよくなかったり、何よりも避難者の実態が掴めていないようで、毎日避難者を数えることが日課という状況でした。やはり、避難者の多くは「安心して眠れる場所がほしい」と訴えていました。
避難所の運営は保健福祉センターや総合体育館では町の職員が中心に運営していました。東日本の時と異なるのは避難所の司令塔である本部機能が弱いように感じました。特にどこも強いリーダーが不在のようで、応援職員はいるものの人数も足りていない、役割分担が不明確で機能的に活動できていないなど避難所運営をどのように行えばよいのかという十分な知識がないまま手探りで運営しているという状況のようでした。この辺は東日本の経験者がサポートすべきかと思います。
3日目に訪問した南阿蘇村は従来までの現地への交通経路が途絶えたことからボランティアの数も少なく、県外からのボランティア受け入れをしているにも関わらず不足している状況でした。全避難者の半数(約380人)が南阿蘇中学校体育館に避難していることから支援団体が集中しており、特に日赤の医療チームが常駐し24時間体制で医療支援に従事しています。また、避難所内も避難者が溢れることもなく、体育館内で十分なスペースを確保することができ、運営も比較的スムーズで機能的に行われていました。すでに子どもたちの「こころのケア」も実施されており、成果が出ているとのことです。
支援団体(NPO等)の活動について
この震災から支援団体の取りまとめ役としてJVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)が活動しています。JVOADはジャパンプラットホームや日本NPOセンターなどが参加している組織で東日本大震災後に結成されました。主に日本国内の大規模災害時に政府や行政と民間支援団体との連絡調整や情報の一元化を図り、被災者支援活動を円滑に行うためのネットワーク組織です。
熊本地震においては発災直後から現地にコーディネーターが常駐し、毎晩19時から支援団体や行政との連絡会「火の国会議」を開催しています。この会議にはこれまでにのべ140団体が参加し、12の活動分野(炊き出し、物資配布など)で毎晩分科会を開催して情報交換や支援調整などを行っています。東日本の「石巻モデル」に近い形のもので熊本県レベルで実施しています。各支援団体は団体の特長を生かしながら支援活動を実施しており、東北で活動を行っていた団体も多数熊本に入り、活動を行っています。
▲熊本地震 「火の国会議」
東日本大震災との違い
熊本地震は東日本大震災のような津波災害(水害)ではなく地震災害のために、地域別ではなく個別に被害状況が異なっていることです。東日本の場合には同じ地域であればほぼ一様な被害状況にありましたが、同じ地域であっても家屋によって倒壊している家もあればほとんど無傷に近い家もあり、被害は広域ですがまだら模様となっています。
また、余震の回数が非常に多く(1,000回以上)、夜に家で眠れない、心理的不安によって家に住めない人が多く、車中泊が極めて多くなっています。そのため被災者の実態が掴みづらい状況です。
支援活動における今後の課題と役割
現在、各避難所は集約され、環境も改善されつつあるものの、避難が長期化することから避難所の改善が必要と思われます。そこで、避難所運営においてはその経験とノウハウを持っている東日本のときに避難所運営に携わった当事者がノウハウを伝授するために現地の支援に入るべきと考えます。特に、福祉避難所は改善すべきところが多く、喫緊に対応が必要です。
現在の一番の課題は住居(仮設住宅等)の早期確保です。これから梅雨の時期に入るとテントや車中泊では厳しく、健康被害のリスクが高くなります。また、東日本と同じように避難所から仮設住宅に移ると孤立や孤独死の問題が発生すると予想され、東日本と同じような課題に直面すると予想されます。
私たちにできる支援としては、まず個人ボランティアとして参加すること。今後は仮設住宅への引っ越しボランティアや介護系の専門ボランティアや見守り支援のニーズ高まると予想されます。また、農業の生業支援などのボランティアも必要となってきます。東日本と同じようにボランティア等での活動では被災者との信頼関係の構築が大切です。その意味では関係性を築いている団体と共に活動することが効果的かと思います。また、東日本で活動している支援団体がそれぞれの特長を生かし協働して「チームみやぎ」のような形での支援活動を行っていきたいと思います。
月刊杜の伝言板ゆるる2016年6月号
http://www.yururu.com/?p=1624