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仮設住宅からの復興コミュニティ・デザイン~あすと長町での取り組み~ 新井 信幸(東北工業大学)

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2016/07/21 13:14

月刊杜の伝言板ゆるる2016年7月号

仮設住宅からの復興コミュニティ・デザイン~あすと長町での取り組み~
新井 信幸(東北工業大学・准教授)


被災によって絶望を味わった彼らは、仮住まいの環境のなかで新たなつながりや新たな日常を構築し、終の住処になるかもしれない復興公営住宅にむけて、コミュニティの共助機能を維持・発展させようと取り組んできた。

本稿では、そんなあすと長町仮設住宅(あすと仮設・図1)で取り組まれてきた、共助型コミュニティづくりのプロセス(コミュニティ・デザイン)を紹介し、そのうえで、孤立させない環境づくりにむけた示唆を、若干加えたいと思う。

仮設住宅でのコミュニティ形成

あすと仮設は、仙台市内で、最初(2011年4月30日)に入居が開始された市内最大(233戸)のプレハブ仮設団地である。様々な地域から個別に入居した世帯が多かったことから、見知らぬ者同士の寄り合い所帯となり、当初から高齢者等の孤立が懸念された。

そのようななか、一部の居住者らが精力的に見守りや自治活動に取り組み、同年8月に自治会準備組織を立ち上げた。筆者は入居開始直後から、仮設カスタマイズ(軒先収納・縁台等の制作)支援を学生たちと展開していった。この他にも、多くの外部支援団体が、集
会所でカフェやイベントを開催する等して、多様なコミュニケーションの場をつくり出していった。

さらに、居住者自らもペット、カラオケ、農園等のクラブ活動に取り組み、それらの少数人グループをいくつもつなぎ合わせることで、「ブドウの房」のようなコミュニティを形成していった。


▲図1.あすと長町地図および仮設図面.

コミュニティの継承と計画提案

居住者らの献身的な自治活動、充実した外部支援が続いたことで、コミュニティは醸成され、
2012年3月11日、正式に仮設住宅の自治会が発足した。そして、独居の高齢者等から「安心できるので、このままここで暮らしたい」そんな声がいくつもあがるようになっていた。

一方、仙台市によって復興公営住宅整備に伴う入居意向調査が実施され、「どこを選べばいいのか分からない」という相談が自治会役員にいくつも届けられるなど、新たな不安が発生していた。

これを受けて、飯塚正広自治会長を中心に、仮設住宅で育まれたコミュニティを次のステージに継承させて、復興のその先においても高齢者が孤立せず、安心して暮らせる環境を創造していく取り組みに発展していった。

そして、これを筆者らが全面的に支援することになった。具体的には、災害公営住宅の計画内容を提案していくことを通して、孤立しないためのハードソフトの環境について検討していった。また、この取り組みに賛同する居住者約80世帯によって、「コミュニティ構築を考える会(考える会)」が結成された(2012年6月)。

約1年のあいだに、勉強会、ワークショップ、見学会を毎月開催し、毎回30名以上の居住者が参加して議論しながら計画提案を練っていった。提案の内容は、仮設敷地内の空きスペースに108戸の集合住宅を建て、そこに入居する人と仮設にしばらく残る人が一体のコミュニティを維持できるようにしたもので、その他にも、向こう三軒両隣を基調とした各フロア6戸、住戸は玄関側に大きく開いた間取りとした(図2)。

加えて、コモンミールやコミュニティ・カフェのできる集会所を、誰もが通る1階エレベーター脇に設け、高齢者等の居場所となるよう計画した。そして、この提案は、仙台市が実施した復興公営住宅建設に伴う公募買取事業に応募することで実現へ大きな一歩を踏み出した。

さらに、仙台市では、コミュニティ単位で入居申請することで優先的に入居できる制度を導入したため、それも活用することにした。

しかし提案は不採択。失望した居住者たちも少なくなかった。結果的には、あすと仮設の近傍に建設されることになった、3つの復興公営住宅(計326戸)に約80世帯が入居できることになった。


▲図2左 提案図面(左)とワークショップの様子(2012.12.22)

新たなコミュニティ形成

復興公営住宅への転居(2015年4月〜6月)に先駆けて、卒業式ならぬ「卒居式」を開催し、笑いあり涙ありの盛会となった。また、他地域からあすと地区の復興公営住宅へ入居する世帯等に向けてウェルカムマップもつくった(図3)。


▲図3左 ウェルカムマップ抜粋(2014.12.13)

土地勘がなく買い物にも不自由した仮設入居当初を思い出しながら生活利便施設やまち歩きして探し出したお散歩コース等のおススメスポットを地図にプロットした。主にフード(food)と風土を紹介しているので「フゥードマップ」と名付けられた。

3つの復興公営住宅は、あすと仮設からの入居が全体の約4分の1で、それ以外は、みなし仮設から個別での入居がほとんどであった。そのため、再び顔見知りの少ない寄り合い所帯となった。

入居開始当初は、社会福祉協議会が居住者交流会を開催し、そこで積極的に発言をしていた居住者を中心に声をかけるかたちで、自治会形成にむけた有志グループ(世話人会)を、それぞれ同年9月に発足させた。世話人会のメンバーは、それぞれ過半数があすと仮設からの居住者であった。翌月からは居住者が主体的に検討を始めるようになった。

それに対して「考える会」では、世話人会相互の情報共有の場を設けたり、仮設住宅で支援を続けてきた10数団体に声をかけて、支援の継続や情報共有の場として、交流会を開催したりした。そして、2016年3〜4月に、3つの復興公営住宅でそれぞれ自治組織が立ち上がった。

孤立をふせぐ新しい共助の枠組みへ

あすと仮設では、多様な支援団体や居住者たちの活動が毎日のように展開されたことで、集会所が「みんなの居場所」になっていた。

その様子を覗いてみると、各活動で参加者の顔ぶれが少しずつ異なっていて、普段、公の場ではほとんどみかけない方もみられていた。ここには、孤立をふせぐ重要なヒントが隠されているような気がしたので調査も実施した。

最後に、そこで気がついたことを少し客観的に説明したうえで、今後を展望してみたいと思う。要するに、支援には、支援される人、する人の相性があって、あの人のカフェには行くけど、こちらのサロンには行きたくない、そんな関係がみられるわけで、それが継続していくと、それぞれの活動には固定客しか参加しないというふうになる。

それはある意味しかたないことかもしれないが、多様な主体が活動していれば、支援される側は相性を選択でき、より多くの居住者が参加しやすい状況が生まれる。だから、あすと仮設の集会所は、みんなの居場所になっていたのである。

いまは、そうした環境を復興のその先にも継続させることを目指して、あすと仮設で活躍してきたアート、福祉、体操、カフェ等をテーマにした十数団体と連携して、支援を継続する枠組みを整備しようとしている。今秋には「(仮称)つながりデザインセンター」を
設立させる予定でいる。


月刊杜の伝言板ゆるる2016年7月号
http://www.yururu.com/?p=1772