日本とケニアの架け橋に~アマニ・ヤ・アフリカの取組み~
その他
2017/01/11 10:06
日本とケニアの架け橋に~アマニ・ヤ・アフリカの取組み~
髙橋 実希
杜の伝言板ゆるるインターン 東北大学 2年
1998年、12月末、NPO法人アマニ・ヤ・アフリカ(以下、アマニ)前理事長の石原邦子さんは、東アフリカ最大規模のスラム「キベラスラム」を訪れました。スラムとは、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことです。キベラスラムはケニアの首都ナイロビから北西方向に車で約10分走った場所に位置します。現在キベラスラムの人口は仙台市とほぼ同じ約100万人。それほど多くの人々がわずか2.5平方キロメートルの場所で暮らしています。
なぜ、スラムができたのでしょうか。理由の一つは、田舎から出稼ぎに来る人々の存在です。近年、地球温暖化等の影響で、自給自足の生活は厳しさを増し、食料を得るためには「買うこと」が必要となりました。そのため、仕事を求めて都市部に移動する人が増えたのです。そして、現在もキベラスラムは拡大し続けています。
この地で、前代表の石原邦子さんは過酷な現実と向き合いながらも、明るく前向きに生きる人々の存在を知りました。その時に芽生えた、何とかこの人たちの支援をしたいという想いが、現在のアマニの活動の原点となりました。アマニとはスワヒリ語で「平和」の意味。その名の通り、日本とケニアを結ぶ架け橋として、これまでの19年間貧困に苦しむ人々のために様々な活動を行ってきました。
ケニア人ファーストの支援
学校に通いたくても通えない子どもたちの教育支援が最初の活動でした。それは古い教科書を作り直すための製本機の寄贈から始まりました。その後、現地に長く住む日本人女性、早川千晶さんと、その友人であるスラム住人のリリアン・ワガラさんと出会いました。厳しい立場にいる子どもたちの教育に情熱を持つ彼女らの、独自で学校運営をしたいという提案にアマニが資金援助をする形で参加し、活動が開始しました。
日本でのフェアトレード商品販売や募金活動により、2001年、キベラ地区にストリートチルドレンのための小学校、マゴソスクール(Mashimoni Good Samarian School for the Orphans)が設立されました。アマニでは、給食費や、日本の中等教育に当たるセカンダリースクールへの進学費用等の支援活動を継続しています。
続いての活動は、フェアトレード商品の販売です。スラムで暮らす低所得者は、その日の現金欲しさにほとんど儲けがない状態で商品を売ってしまったり、安い賃金で肉体労働を強いられたりしています。彼らへの注文を適正な価格で継続的・安定的に行うことにより、彼らが毎月安定した収入を得ることを目標としています。
アマニのフェアトレードは牛骨でアクセサリーを作るスラムの工場との取引から始まりました。現在は、ティカ市のハンディキャップグループやバナナ葉で民芸品を作る職人、針金とビーズで動物やオブジェを作るビーズ細工職人との取引も行っています。ビーズ細工の売り上げの一部は、スラムの小学校に勤務する先生の給料支援に充てられています。
人脈が広がるにつれて活動の幅も広がり、数年前からは現地での直接的な支援も始まりました。2009年にNPO法人化したアマニですが、さらに、現地でじっくりと時間をかけてフェアトレード活動、教育支援を行いたいという想いから、2010年6月にケニア政府の認可の元、NGOアマニ・ヤ・アフリカ・ケニアを設立しました。
そして、同年9月にはケニアのティカ市に、貧困により十分な教育を受けることが出来なかったケニアの若者や障がい者のための職業訓練所「アマニ・ファクトリー」を設立し、運営を開始しました。ここでは、彼らが経済的に自立して現金収入を得られるよう、洋裁や民芸品製作のトレーニングを行っています。現在は14名程がこの職業訓練所を卒業しています。
アマニの現理事長である石原輝さんは、フェアトレード商品である、カンガ(ケニアを始め、東アフリカで広く利用されている一枚布。カラフルで様々な模様がある)で作られた巾着を見ながら、「生産者から直接買い付けているので、縫い方を見ると作った人の顔が浮かびます。アマニ・ファクトリーの卒業生が自立して生活できていることが大変嬉しく、やりがいに繋がっています」と話していました。
アマニでは、教育支援や職業支援等、「与える支援」よりも「育てる支援」を大切にしています。時間がかかる分、資金づくりや人材不足での苦労は絶えませんが、ケニアの人々にとって最も有益な支援をしよう、というのが「ケニア人ファースト」のアマニの考え方です。
▲思いがつまった商品と(写真中央 石原輝さん)
日本とケニアの違い
「日本とケニアの大きな違いは、死が身近にあることです」と、石原さんは話します。キベラスラムでは、至る所にゴミが積み重なり、路上には生活排水と人糞。それらの汚染物から菌やウイルスが空気中に舞い、病気が蔓延します。また、食べ物を買うお金を稼ぐために小さい頃から売春をし、エイズに感染する子どもが多くいます。
「日本人は『生活する』ですが、ケニア人は『生きる』という言葉が適切だと思います。キベラスラムはいつ自分に死が訪れてもおかしくない環境です。困難や苦労は当たり前。何とかしよう、やるしかない。毎日を生き抜くために皆必死です」と話す石原さん。ケニアの人々の笑顔からは、生きることに対する底知れないパワーが伝わってくるような気がします。
百年後のケニアを想像して
石原さんの目標は、アマニの活動を百年続けること、そして100年後にケニアの現状が良い方向に変化していることです。キベラスラムに住む人々も私たちも同じ人間という仲間です。仲間が過酷な環境の中で毎日を必死に生きている。
石原さんに、貧困をなくすために必要なことを尋ねると、「より多くの人々が貧困地域の現状を知り、意識を変えることです。現状を知らないままでは、上から目線の支援になってしまいがちです。日本の低価格商品の裏には貧困地域で低賃金労働をする人々の存在があります。日本も発展途上国の貧困サイクルと無関係ではないのです。自らも貧困問題に関わっているという認識をもつことが支援活動を継続するうえで重要です」と話していました。
▲職業訓練所の生徒とスタッフの皆さん
アマニでは、これまでアフリカの文化や生活・貧困の実態等を広く伝えるために、国内イベントやスタディーツアーを主催しています。2016年6月には、マゴソスクールの設立者であるリリアンさんらを日本に迎え、仙台で講演会が行われました。
大切なことは、社会の問題に関心を持つこと、そして、小さなことでも行動に移してみることです。一人ひとりの力は小さくても、協力する人の数が増えればきっと大きな変化に繋がります。
NPO法人アマニ・ヤ・アフリカ
〒980-0803 仙台市青葉区国分町3-10-34-205号
●TEL/FAX:022-797-7556
●E-mail:info@amani-ya.com
●URL:http://www.amani-ya.com/
月刊 杜の伝言板 月刊ゆるる 2017年1月号
http://www.yururu.com/?p=2044
髙橋 実希
杜の伝言板ゆるるインターン 東北大学 2年
1998年、12月末、NPO法人アマニ・ヤ・アフリカ(以下、アマニ)前理事長の石原邦子さんは、東アフリカ最大規模のスラム「キベラスラム」を訪れました。スラムとは、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことです。キベラスラムはケニアの首都ナイロビから北西方向に車で約10分走った場所に位置します。現在キベラスラムの人口は仙台市とほぼ同じ約100万人。それほど多くの人々がわずか2.5平方キロメートルの場所で暮らしています。
なぜ、スラムができたのでしょうか。理由の一つは、田舎から出稼ぎに来る人々の存在です。近年、地球温暖化等の影響で、自給自足の生活は厳しさを増し、食料を得るためには「買うこと」が必要となりました。そのため、仕事を求めて都市部に移動する人が増えたのです。そして、現在もキベラスラムは拡大し続けています。
この地で、前代表の石原邦子さんは過酷な現実と向き合いながらも、明るく前向きに生きる人々の存在を知りました。その時に芽生えた、何とかこの人たちの支援をしたいという想いが、現在のアマニの活動の原点となりました。アマニとはスワヒリ語で「平和」の意味。その名の通り、日本とケニアを結ぶ架け橋として、これまでの19年間貧困に苦しむ人々のために様々な活動を行ってきました。
ケニア人ファーストの支援
学校に通いたくても通えない子どもたちの教育支援が最初の活動でした。それは古い教科書を作り直すための製本機の寄贈から始まりました。その後、現地に長く住む日本人女性、早川千晶さんと、その友人であるスラム住人のリリアン・ワガラさんと出会いました。厳しい立場にいる子どもたちの教育に情熱を持つ彼女らの、独自で学校運営をしたいという提案にアマニが資金援助をする形で参加し、活動が開始しました。
日本でのフェアトレード商品販売や募金活動により、2001年、キベラ地区にストリートチルドレンのための小学校、マゴソスクール(Mashimoni Good Samarian School for the Orphans)が設立されました。アマニでは、給食費や、日本の中等教育に当たるセカンダリースクールへの進学費用等の支援活動を継続しています。
続いての活動は、フェアトレード商品の販売です。スラムで暮らす低所得者は、その日の現金欲しさにほとんど儲けがない状態で商品を売ってしまったり、安い賃金で肉体労働を強いられたりしています。彼らへの注文を適正な価格で継続的・安定的に行うことにより、彼らが毎月安定した収入を得ることを目標としています。
アマニのフェアトレードは牛骨でアクセサリーを作るスラムの工場との取引から始まりました。現在は、ティカ市のハンディキャップグループやバナナ葉で民芸品を作る職人、針金とビーズで動物やオブジェを作るビーズ細工職人との取引も行っています。ビーズ細工の売り上げの一部は、スラムの小学校に勤務する先生の給料支援に充てられています。
人脈が広がるにつれて活動の幅も広がり、数年前からは現地での直接的な支援も始まりました。2009年にNPO法人化したアマニですが、さらに、現地でじっくりと時間をかけてフェアトレード活動、教育支援を行いたいという想いから、2010年6月にケニア政府の認可の元、NGOアマニ・ヤ・アフリカ・ケニアを設立しました。
そして、同年9月にはケニアのティカ市に、貧困により十分な教育を受けることが出来なかったケニアの若者や障がい者のための職業訓練所「アマニ・ファクトリー」を設立し、運営を開始しました。ここでは、彼らが経済的に自立して現金収入を得られるよう、洋裁や民芸品製作のトレーニングを行っています。現在は14名程がこの職業訓練所を卒業しています。
アマニの現理事長である石原輝さんは、フェアトレード商品である、カンガ(ケニアを始め、東アフリカで広く利用されている一枚布。カラフルで様々な模様がある)で作られた巾着を見ながら、「生産者から直接買い付けているので、縫い方を見ると作った人の顔が浮かびます。アマニ・ファクトリーの卒業生が自立して生活できていることが大変嬉しく、やりがいに繋がっています」と話していました。
アマニでは、教育支援や職業支援等、「与える支援」よりも「育てる支援」を大切にしています。時間がかかる分、資金づくりや人材不足での苦労は絶えませんが、ケニアの人々にとって最も有益な支援をしよう、というのが「ケニア人ファースト」のアマニの考え方です。
▲思いがつまった商品と(写真中央 石原輝さん)
日本とケニアの違い
「日本とケニアの大きな違いは、死が身近にあることです」と、石原さんは話します。キベラスラムでは、至る所にゴミが積み重なり、路上には生活排水と人糞。それらの汚染物から菌やウイルスが空気中に舞い、病気が蔓延します。また、食べ物を買うお金を稼ぐために小さい頃から売春をし、エイズに感染する子どもが多くいます。
「日本人は『生活する』ですが、ケニア人は『生きる』という言葉が適切だと思います。キベラスラムはいつ自分に死が訪れてもおかしくない環境です。困難や苦労は当たり前。何とかしよう、やるしかない。毎日を生き抜くために皆必死です」と話す石原さん。ケニアの人々の笑顔からは、生きることに対する底知れないパワーが伝わってくるような気がします。
百年後のケニアを想像して
石原さんの目標は、アマニの活動を百年続けること、そして100年後にケニアの現状が良い方向に変化していることです。キベラスラムに住む人々も私たちも同じ人間という仲間です。仲間が過酷な環境の中で毎日を必死に生きている。
石原さんに、貧困をなくすために必要なことを尋ねると、「より多くの人々が貧困地域の現状を知り、意識を変えることです。現状を知らないままでは、上から目線の支援になってしまいがちです。日本の低価格商品の裏には貧困地域で低賃金労働をする人々の存在があります。日本も発展途上国の貧困サイクルと無関係ではないのです。自らも貧困問題に関わっているという認識をもつことが支援活動を継続するうえで重要です」と話していました。
▲職業訓練所の生徒とスタッフの皆さん
アマニでは、これまでアフリカの文化や生活・貧困の実態等を広く伝えるために、国内イベントやスタディーツアーを主催しています。2016年6月には、マゴソスクールの設立者であるリリアンさんらを日本に迎え、仙台で講演会が行われました。
大切なことは、社会の問題に関心を持つこと、そして、小さなことでも行動に移してみることです。一人ひとりの力は小さくても、協力する人の数が増えればきっと大きな変化に繋がります。
NPO法人アマニ・ヤ・アフリカ
〒980-0803 仙台市青葉区国分町3-10-34-205号
●TEL/FAX:022-797-7556
●E-mail:info@amani-ya.com
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月刊 杜の伝言板 月刊ゆるる 2017年1月号
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