障害ある子を持つ母の福祉のわかり方
その他
2017/05/30 10:51
障害ある子を持つ母の福祉のわかり方
月刊ゆるる初代編集
宮城県自閉症協会会長 目黒 久美子
ゆるる創刊20年おめでとうございます。かつて、編集会議で出会ったのはみんなユニークで、面白い人々ばかりであったけれど、大久保さんは、なんて編集長に最適な人であったのだろうかとつくづく思う、今日この頃。
福祉の入口
私は自閉症スペクトラムの障害を持つこどもの親です。こどもを産んだときは時、私は全く福祉とは無縁でした。ほとんど、「他の星のできごとかいな?」くらいの認識でした。
ところが、こどもが成長するにしたがって、私の顔を見ない、夜寝ない、赤ちゃんが「なんか変だな?」「誰かに相談したいけど、どうしたらいいのかな?」と思うに至ったのです。思えば、そこは福祉の入口と言うべき場所でありました。
本の中の自閉症とどうも私のこどもは、そっくりだ。相談した近所のお医者さんは「もう少し様子を見たら?」いつまで?精神科医は「自閉症ですね。」そうか、で?なんと、その先はないのです。目の前真っ暗とは、このことです。どう育てる?どう教育する?私は、どう生きてゆく?そんな時、母子通園で友だちができました。
言葉も通じず、変な行動ばかり繰り返す我が子に「なに考えているの!」と私が叫んだ時です。「なにも考えているわけないでしょ。」と笑った人です。あっ!確かにそうだ。こどものせいではないのだ。その瞬間、我が身を振り返ることができたのです。
同じ障害を持つこどもの親の経験を聞くのは得難いものだ、と思ったことを覚えています。まさにビビッときたのです。彼女は、重い発作を抱えたこどもを持っていました。彼女はシングルでした。夜中に発作を起こしたこどもを抱え病院に行ったまま朝になっても彼女は帰れず、お兄ちゃんは、ひとりで起きて、ひとりでパンを食べて、かばんを肩からかけて、ひとりで幼稚園に行ったことがあると聞いて、私は心からびっくりしました。なんだか、今でもその時のお兄ちゃんを思い出すと涙が出るのです。「こどもを育てる」ってのは、大変なことです。そして、世の中は広いものです。他の人の経験を聞けば、深く問題を知ることができるのだと思います。
松島町でも
昨年度、松島町で宮城県発達障害児支援事業が始まりました。厚生労働省のモデル事業として採択されたものです。内容は、1才6ヶ月児検診からの発達障害児の早期の適切な支援の導入「のびっこクラブ」と、ペアレントメンター養成です。
「のびっこクラブ」は児童館を中心に保育士さん、幼稚園の先生が共同で発達障害児の支援の工夫を学び、実践していくものです。また、保育士さんが研修を受けている間、保育園には代替の保育士さんが入ります。これが大きなポイントになります。
ペアレントメンターとは、同じ障害のこどもの親が、我が子の障害を知ったばかりのお母さんのお話しを聞いて、自分の経験の中から寄り添っていこうという取り組みです。専門家と話すのではなく、経験者と話すのです。生きてゆく姿勢を学ぶことに意味があると思います。あの時、目の前真っ暗だった自分を救うということです。今はパソコン、マスコミの溢れるような情報の中、私たちの時とはまるで状況が違っているようにも思えますが、それがかえって母が迷う原因にもなっている気がします。
明けの明星
先日1年間の報告会がありました。その席上、役場の福祉課の方、社会福祉協議会の長も、議員さんも、「小さなときから社会に触れていた子は、きっとよく育つ。家の中に隠して、仕舞っておいてはいけない。この町でこどもが育って生きていくのだから、国のモデル事業が終わっても学校に入っても、ずっと後を見ていく。」と言い切った。
児童館の館長さんが、今まで交流のなかった幼稚園、保育園、保護者の連携による情報交換の様子や「のびっこクラブ」 の事をお話しになっているのを聞き、そのキラキラの目に確かな成果を見て、私は不覚にも涙がこぼれました。福祉の入口が温かければ、私たちの人生は違ってくると、私は思います。関わらせていただいて、良かったなあと思った瞬間でした。
松島町は段々人口が少なくなっている限界集落です。だから、できる部分もあれば、同じ限界集落でも、だから、できない地域もある。宮城県内は同じではありません。でも、ひとつの成功は、明けの明星のように素晴らしい成果と思います。
仙台市のお母さんの部屋「まろん」
仙台市では、独自に発達相談支援センター(アーチル)の中にお母さんの部屋「まろん」「どんぐりころころ」があります。アーチルは、もともと母の「相談支援センターが欲しい!」との声で出来た施設。まろんは、お母さんたちの自治で成っていて、アーチルと綿密に話し合いながら、活動をしています。
先日の話し合いでは、「お母さんバンクがあったら良いよね!それなら出張しても行けるよね。」などという話題にもなりました。アーチルの乳幼児支援課の歴代スタッフが粘り強く、諦めずに寄り添ってくれています。なんと言っても母は、素人。自分たちだけで長く続けるのは、至難の業です。こどもたちが日常安心できる生活をしていなければ、人のためになにかしよう、なんて気にはなれないものです。仙台は、やっぱり都会です。知恵も人材も豊富だと思います。ペアレントメンターという名前がなくても活動している。「ペアレントメンター?なにそれ?」ってなもんです。
障害者差別解消条例
解消法に基づいた条例を策定しました。障害を持っている人を差別しては、いけないんです。差別してはいけないことは、市民みんなが知っています。でも、どうすれば良いのかわからない人がほとんどです。私だって自閉症スペクトラムのことだって、充分わかっているとは、思えない。こどもに代わって生きてあげることはできないわけですから。全て解ってますなんて言ったら、ウソつきですから。
先日、テレビドラマで「障害者は人に迷惑を掛けるのだから、家に居ろ!」と叫んでいる俳優さんを見ました。ドラマの中のことですよ。なんか久しぶりな言葉。未だにそんなこと言う人居るんだというか、本当はまだ、世の中、みんなそう思っているのですよね。昨年のやまゆり園の事件で、改めて思い知りました。被害者は、みんな匿名でした。傷ついても、死んでしまっても匿名。事件は被害者の名前があって、事件です。警察が発表する時は、それが不文律です。しかし発表する警察が、被害者を思いやっての匿名。元々いないのと同じです。犯人の言っている言葉と同じことではないか。なんだか、納得できないことは世の中山ほどあるのです。
人はやさしく思う。「出掛けるの大変なんだから、家に居ればいいのに。」でもね、障害持ってる人は、お出かけするの、大好きなんですよ。映画もお買い物もディズニーランドも温泉も大好きなんですよ。働いて、お給料もらって、自立して、生きていきたいと思っているんですよ。「あら、私たちと同じじゃないの!」なんて、そうなんですよ。そういうこと、わからないのも差別なんですよ。「あら、じゃ私たちどうすればいいのかしら?」おお!気が付いてくれて、ありがとう。「工夫して協力するからね。」そこまで考えてくれたら、もっとありがとうってことです。
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381
月刊ゆるる初代編集
宮城県自閉症協会会長 目黒 久美子
ゆるる創刊20年おめでとうございます。かつて、編集会議で出会ったのはみんなユニークで、面白い人々ばかりであったけれど、大久保さんは、なんて編集長に最適な人であったのだろうかとつくづく思う、今日この頃。
福祉の入口
私は自閉症スペクトラムの障害を持つこどもの親です。こどもを産んだときは時、私は全く福祉とは無縁でした。ほとんど、「他の星のできごとかいな?」くらいの認識でした。
ところが、こどもが成長するにしたがって、私の顔を見ない、夜寝ない、赤ちゃんが「なんか変だな?」「誰かに相談したいけど、どうしたらいいのかな?」と思うに至ったのです。思えば、そこは福祉の入口と言うべき場所でありました。
本の中の自閉症とどうも私のこどもは、そっくりだ。相談した近所のお医者さんは「もう少し様子を見たら?」いつまで?精神科医は「自閉症ですね。」そうか、で?なんと、その先はないのです。目の前真っ暗とは、このことです。どう育てる?どう教育する?私は、どう生きてゆく?そんな時、母子通園で友だちができました。
言葉も通じず、変な行動ばかり繰り返す我が子に「なに考えているの!」と私が叫んだ時です。「なにも考えているわけないでしょ。」と笑った人です。あっ!確かにそうだ。こどものせいではないのだ。その瞬間、我が身を振り返ることができたのです。
同じ障害を持つこどもの親の経験を聞くのは得難いものだ、と思ったことを覚えています。まさにビビッときたのです。彼女は、重い発作を抱えたこどもを持っていました。彼女はシングルでした。夜中に発作を起こしたこどもを抱え病院に行ったまま朝になっても彼女は帰れず、お兄ちゃんは、ひとりで起きて、ひとりでパンを食べて、かばんを肩からかけて、ひとりで幼稚園に行ったことがあると聞いて、私は心からびっくりしました。なんだか、今でもその時のお兄ちゃんを思い出すと涙が出るのです。「こどもを育てる」ってのは、大変なことです。そして、世の中は広いものです。他の人の経験を聞けば、深く問題を知ることができるのだと思います。
松島町でも
昨年度、松島町で宮城県発達障害児支援事業が始まりました。厚生労働省のモデル事業として採択されたものです。内容は、1才6ヶ月児検診からの発達障害児の早期の適切な支援の導入「のびっこクラブ」と、ペアレントメンター養成です。
「のびっこクラブ」は児童館を中心に保育士さん、幼稚園の先生が共同で発達障害児の支援の工夫を学び、実践していくものです。また、保育士さんが研修を受けている間、保育園には代替の保育士さんが入ります。これが大きなポイントになります。
ペアレントメンターとは、同じ障害のこどもの親が、我が子の障害を知ったばかりのお母さんのお話しを聞いて、自分の経験の中から寄り添っていこうという取り組みです。専門家と話すのではなく、経験者と話すのです。生きてゆく姿勢を学ぶことに意味があると思います。あの時、目の前真っ暗だった自分を救うということです。今はパソコン、マスコミの溢れるような情報の中、私たちの時とはまるで状況が違っているようにも思えますが、それがかえって母が迷う原因にもなっている気がします。
明けの明星
先日1年間の報告会がありました。その席上、役場の福祉課の方、社会福祉協議会の長も、議員さんも、「小さなときから社会に触れていた子は、きっとよく育つ。家の中に隠して、仕舞っておいてはいけない。この町でこどもが育って生きていくのだから、国のモデル事業が終わっても学校に入っても、ずっと後を見ていく。」と言い切った。
児童館の館長さんが、今まで交流のなかった幼稚園、保育園、保護者の連携による情報交換の様子や「のびっこクラブ」 の事をお話しになっているのを聞き、そのキラキラの目に確かな成果を見て、私は不覚にも涙がこぼれました。福祉の入口が温かければ、私たちの人生は違ってくると、私は思います。関わらせていただいて、良かったなあと思った瞬間でした。
松島町は段々人口が少なくなっている限界集落です。だから、できる部分もあれば、同じ限界集落でも、だから、できない地域もある。宮城県内は同じではありません。でも、ひとつの成功は、明けの明星のように素晴らしい成果と思います。
仙台市のお母さんの部屋「まろん」
仙台市では、独自に発達相談支援センター(アーチル)の中にお母さんの部屋「まろん」「どんぐりころころ」があります。アーチルは、もともと母の「相談支援センターが欲しい!」との声で出来た施設。まろんは、お母さんたちの自治で成っていて、アーチルと綿密に話し合いながら、活動をしています。
先日の話し合いでは、「お母さんバンクがあったら良いよね!それなら出張しても行けるよね。」などという話題にもなりました。アーチルの乳幼児支援課の歴代スタッフが粘り強く、諦めずに寄り添ってくれています。なんと言っても母は、素人。自分たちだけで長く続けるのは、至難の業です。こどもたちが日常安心できる生活をしていなければ、人のためになにかしよう、なんて気にはなれないものです。仙台は、やっぱり都会です。知恵も人材も豊富だと思います。ペアレントメンターという名前がなくても活動している。「ペアレントメンター?なにそれ?」ってなもんです。
障害者差別解消条例
解消法に基づいた条例を策定しました。障害を持っている人を差別しては、いけないんです。差別してはいけないことは、市民みんなが知っています。でも、どうすれば良いのかわからない人がほとんどです。私だって自閉症スペクトラムのことだって、充分わかっているとは、思えない。こどもに代わって生きてあげることはできないわけですから。全て解ってますなんて言ったら、ウソつきですから。
先日、テレビドラマで「障害者は人に迷惑を掛けるのだから、家に居ろ!」と叫んでいる俳優さんを見ました。ドラマの中のことですよ。なんか久しぶりな言葉。未だにそんなこと言う人居るんだというか、本当はまだ、世の中、みんなそう思っているのですよね。昨年のやまゆり園の事件で、改めて思い知りました。被害者は、みんな匿名でした。傷ついても、死んでしまっても匿名。事件は被害者の名前があって、事件です。警察が発表する時は、それが不文律です。しかし発表する警察が、被害者を思いやっての匿名。元々いないのと同じです。犯人の言っている言葉と同じことではないか。なんだか、納得できないことは世の中山ほどあるのです。
人はやさしく思う。「出掛けるの大変なんだから、家に居ればいいのに。」でもね、障害持ってる人は、お出かけするの、大好きなんですよ。映画もお買い物もディズニーランドも温泉も大好きなんですよ。働いて、お給料もらって、自立して、生きていきたいと思っているんですよ。「あら、私たちと同じじゃないの!」なんて、そうなんですよ。そういうこと、わからないのも差別なんですよ。「あら、じゃ私たちどうすればいいのかしら?」おお!気が付いてくれて、ありがとう。「工夫して協力するからね。」そこまで考えてくれたら、もっとありがとうってことです。
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381