市民が主権者であるために
2017/05/30 10:55
市民が主権者であるために
NPO法人グループゆう 代表理事 中村 祥子
1998年のNPO法制定とともに、市民の社会参画が推進し、市民目線を背策に反映できる社会がくることを信じた。「市民活動の社会的位置づけ」「新しい公益」「市民自治」「地方分権」の門出である。それから10余年、人種差別の根強いアメリカでのオバマ政権の誕生、日本でも野党に政権がチェンジし亀甲する二党政党による成熟した民主政治が到来すると浮足立った。そしてさらに10年がたち、世界における自国主義への傾倒のなか国内での一党支配は次々に市民を縛る法案を進め、憲法の国民主権を根絶やしにするための布石を打っている。
これが、今はまだ主権者である国民の1票の力によるものであることに、NPOは向き合わなければならないのではないだろうか。
主体性を侵されないための自立
中学校の授業でふれた文章がずっと頭の片隅にある。“世の中の情報の意図を考えよ”という内容だった。情報は発信者に意図があり、権力者が市民を操作できるツールになり得るということだ。
「ゆるる」は市民が発行主体の市民情報紙である。当初、自分の所属するNPOへの市民参加を呼び掛けることが目的だったNPOのリーダーたちが編集に参加し、ボランティア募集に加えて市民活動情報の特集を組み、市民目線で取材し記事を書き、編集して世に出した。
事務局・コーディネート・場所の提供をせんだんの杜が行い、編集構成・印刷・配布をせんだいみやぎNPOセンターが担う、今でいう協働体での作業だった。手弁当で助成金に頼っていたが、現在のゆるる事務局が奮闘し、NPOを支援する情報受発信基地としての業務も行うことで経済的自立への挑戦を継続している。
NPOの特に情報の発信NPOは、主体性を侵されないために経済的自立が欠かせない。ゆるるが行政の手足ではなく対等なパートナーシップの構築をすすめていることは、何よりのNPOの支援になっていると思う。
今後も情報発信の主体であり続けるためには、職員の市民目線を育むための教育が求められよう。飢餓や迫害を見聞きした経験のない若者世代には、自身の見聞きの蓄積による市民感覚の育成が必要な時代なのだと思う。そしてこれは、自分事として「暮らしと政治」を考える市民の育成に準じるものがあり、NPOの走り的存在であって、NPOを支援するNPOである“市民情報紙ゆるる”への期待のメッセージでもある。
見えない男女差別
市民操作のもう一つの落とし穴は、作られた社会的価値観に順応する人間の習性である。
私は、生協での環境活動を通じて南北問題にぶつかり、人権と政治について考えるようになった。特に女性自身が気付かされずに操作され読けている「女性差別」を考えてみたいと思った。目指すところは意思決定機関での男女の均衡であるが、地域活動においては“学習”ではなく“実際の生活”に役立つ活動を通して、女性のエンパワーメントを目指すことが女性差別への気付きと納得に通じるのではないかと思った。地域の仲間と福祉NPOを立ち上げ、メンバーのそれぞれの得意を活かして高齢者や障がい児者、子育て中の女性やシニアの社会参画の場になっている。
福祉施策の推進は、女性の社会参加を後押しした。介護保険の実施は、担い手の育成にかかっていたといってもいいだろう。今までアンペイドワークだった主婦業の家事労働や介護労働が研修をうけることで資格がとれる“ヘルパー”に位置づけられた。それは女性の地位の向上でもあり、プロとしての仕事への意識改革にもなった。
当時の福祉NPOの多くが、経験や資格を積み重ね管理職になった女性たちが運営の主体者だった。しかしその後、高齢社会への突入で利用者が増加すると、制度変更のたびに暮らしに係るサービスの単価が下がり始めた。つまり施設や医療関連サービスではなく、家事援助の時間の削減と評価の低下である。介護予防に至っては、今年度から地域支援事業となり、福祉NPOは存続の岐路に立たされている。そしてそれは、再び家族介護への後戻りを意味し「家族主義」への回帰でもあり、憲法改正案もまたそれに及んでいる。
なお、障害者の施策における変化は、家族の就労支援や納税者になりうる障害者の支援が重視され、これまで最も企業の参入が促された。利用者や家族の選択肢が社会に発生したことは歓迎されているが、サービスの質の担保や支援人材育成、1人ひとりに添う支援が求められる人への個別支援は制度では賄えず、今後の課題になっている。子育ての分担は相変わらず女性が担うケースが多く、賃金の格差による「父親勤め」「母親介護」の文化と、育児休業が男性が取得し難いこれも企業文化による女性への依存は今だ変わらない。
20年活動が継続しても“見えない差別に気付かされない”現象は存在し、見えても文化にまで定着している男女の役割分担に変革を求める難しさが横たわっている。
自立した市民の連携を
ではこれからどうするか。それは地道な継続と連携、そして変革への挑戦だろう。
継続すべきは、市民による人権を無視しないサービスを継続していくこと。そして1人ひとりの市民のエンパワメントを着実に重ねて「市民の自立」と「自立した市民の連携」を広げよう。NPOはどこも個性の塊であるが、連携することで可能になる体験を積み重ねている。また個別団体の利益にもまして、社会資源つくりのための共同の意義を共有している団体でありたいと思う。
そして挑戦は、市民感覚を政策に反映させることが可能な社会の創造である。NPO法を推進すると、そんな社会の実現がいずれ来ると思うが、昨今の世界の情勢のなかで気長に進めている場合ではないように思うのだ。生活が政治と密接に関係している事実に気付きつつ自己規制している現状から、NPO法の解釈を研究して、政治問題を“NPOの新しい公益活動”へと位置付けることはできないだろうか。
また、あらゆる施策は必要性よりも資金を優先して操作されるようだとNPOを経験して学んだ。であるが現状は少子高齢化で多様な支援を必要とする人が増加傾向にある。これまでの生産性の向上と利益を限りなく成長路線で考える経済の在り方は難しくなると思う。経済にも新たな価値観への変革が必要な時期なのかもしれない。
でも歩みを続けよう。私たちは、この20年で多くの夢を果たしたわけではないものの、人権の大切さと連携することでの可能性の広がりと市民社会のあるべき姿を思い描くことができる市民には育っているから。
▲地域でワークショップ
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381
NPO法人グループゆう 代表理事 中村 祥子
1998年のNPO法制定とともに、市民の社会参画が推進し、市民目線を背策に反映できる社会がくることを信じた。「市民活動の社会的位置づけ」「新しい公益」「市民自治」「地方分権」の門出である。それから10余年、人種差別の根強いアメリカでのオバマ政権の誕生、日本でも野党に政権がチェンジし亀甲する二党政党による成熟した民主政治が到来すると浮足立った。そしてさらに10年がたち、世界における自国主義への傾倒のなか国内での一党支配は次々に市民を縛る法案を進め、憲法の国民主権を根絶やしにするための布石を打っている。
これが、今はまだ主権者である国民の1票の力によるものであることに、NPOは向き合わなければならないのではないだろうか。
主体性を侵されないための自立
中学校の授業でふれた文章がずっと頭の片隅にある。“世の中の情報の意図を考えよ”という内容だった。情報は発信者に意図があり、権力者が市民を操作できるツールになり得るということだ。
「ゆるる」は市民が発行主体の市民情報紙である。当初、自分の所属するNPOへの市民参加を呼び掛けることが目的だったNPOのリーダーたちが編集に参加し、ボランティア募集に加えて市民活動情報の特集を組み、市民目線で取材し記事を書き、編集して世に出した。
事務局・コーディネート・場所の提供をせんだんの杜が行い、編集構成・印刷・配布をせんだいみやぎNPOセンターが担う、今でいう協働体での作業だった。手弁当で助成金に頼っていたが、現在のゆるる事務局が奮闘し、NPOを支援する情報受発信基地としての業務も行うことで経済的自立への挑戦を継続している。
NPOの特に情報の発信NPOは、主体性を侵されないために経済的自立が欠かせない。ゆるるが行政の手足ではなく対等なパートナーシップの構築をすすめていることは、何よりのNPOの支援になっていると思う。
今後も情報発信の主体であり続けるためには、職員の市民目線を育むための教育が求められよう。飢餓や迫害を見聞きした経験のない若者世代には、自身の見聞きの蓄積による市民感覚の育成が必要な時代なのだと思う。そしてこれは、自分事として「暮らしと政治」を考える市民の育成に準じるものがあり、NPOの走り的存在であって、NPOを支援するNPOである“市民情報紙ゆるる”への期待のメッセージでもある。
見えない男女差別
市民操作のもう一つの落とし穴は、作られた社会的価値観に順応する人間の習性である。
私は、生協での環境活動を通じて南北問題にぶつかり、人権と政治について考えるようになった。特に女性自身が気付かされずに操作され読けている「女性差別」を考えてみたいと思った。目指すところは意思決定機関での男女の均衡であるが、地域活動においては“学習”ではなく“実際の生活”に役立つ活動を通して、女性のエンパワーメントを目指すことが女性差別への気付きと納得に通じるのではないかと思った。地域の仲間と福祉NPOを立ち上げ、メンバーのそれぞれの得意を活かして高齢者や障がい児者、子育て中の女性やシニアの社会参画の場になっている。
福祉施策の推進は、女性の社会参加を後押しした。介護保険の実施は、担い手の育成にかかっていたといってもいいだろう。今までアンペイドワークだった主婦業の家事労働や介護労働が研修をうけることで資格がとれる“ヘルパー”に位置づけられた。それは女性の地位の向上でもあり、プロとしての仕事への意識改革にもなった。
当時の福祉NPOの多くが、経験や資格を積み重ね管理職になった女性たちが運営の主体者だった。しかしその後、高齢社会への突入で利用者が増加すると、制度変更のたびに暮らしに係るサービスの単価が下がり始めた。つまり施設や医療関連サービスではなく、家事援助の時間の削減と評価の低下である。介護予防に至っては、今年度から地域支援事業となり、福祉NPOは存続の岐路に立たされている。そしてそれは、再び家族介護への後戻りを意味し「家族主義」への回帰でもあり、憲法改正案もまたそれに及んでいる。
なお、障害者の施策における変化は、家族の就労支援や納税者になりうる障害者の支援が重視され、これまで最も企業の参入が促された。利用者や家族の選択肢が社会に発生したことは歓迎されているが、サービスの質の担保や支援人材育成、1人ひとりに添う支援が求められる人への個別支援は制度では賄えず、今後の課題になっている。子育ての分担は相変わらず女性が担うケースが多く、賃金の格差による「父親勤め」「母親介護」の文化と、育児休業が男性が取得し難いこれも企業文化による女性への依存は今だ変わらない。
20年活動が継続しても“見えない差別に気付かされない”現象は存在し、見えても文化にまで定着している男女の役割分担に変革を求める難しさが横たわっている。
自立した市民の連携を
ではこれからどうするか。それは地道な継続と連携、そして変革への挑戦だろう。
継続すべきは、市民による人権を無視しないサービスを継続していくこと。そして1人ひとりの市民のエンパワメントを着実に重ねて「市民の自立」と「自立した市民の連携」を広げよう。NPOはどこも個性の塊であるが、連携することで可能になる体験を積み重ねている。また個別団体の利益にもまして、社会資源つくりのための共同の意義を共有している団体でありたいと思う。
そして挑戦は、市民感覚を政策に反映させることが可能な社会の創造である。NPO法を推進すると、そんな社会の実現がいずれ来ると思うが、昨今の世界の情勢のなかで気長に進めている場合ではないように思うのだ。生活が政治と密接に関係している事実に気付きつつ自己規制している現状から、NPO法の解釈を研究して、政治問題を“NPOの新しい公益活動”へと位置付けることはできないだろうか。
また、あらゆる施策は必要性よりも資金を優先して操作されるようだとNPOを経験して学んだ。であるが現状は少子高齢化で多様な支援を必要とする人が増加傾向にある。これまでの生産性の向上と利益を限りなく成長路線で考える経済の在り方は難しくなると思う。経済にも新たな価値観への変革が必要な時期なのかもしれない。
でも歩みを続けよう。私たちは、この20年で多くの夢を果たしたわけではないものの、人権の大切さと連携することでの可能性の広がりと市民社会のあるべき姿を思い描くことができる市民には育っているから。
▲地域でワークショップ
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381