子ども・子育て支援のあゆみと今後の展望
その他
2018/08/14 18:57
子ども・子育て支援のあゆみと今後の展望
NPO法人チャイルドラインみやぎ 小林 純子
1990年、合計特殊出生率が1.57を示したことから、1994年には「エンゼルプラン」が策定され、宮城県でも地方版エンゼルプラン「みやぎ子どもの幸福計画」が策定された。それでも少子化に歯止めはかからなかった。
東北地方では特に過疎状態が進行し、「子どもが減るのは仕方がない」というあきらめが漂っていた。その結果、高齢者対策は積極的に講じられてきたが、子ども・子育て支援には関心が薄い社会が形成され、東日本大震災時に「子どものことは後回し」の姿勢につながったように思われる。せっかく生を受けた子どもが、いじめ・虐待・事件・事故・災害等で命を落とさないよう、「この危機を乗り越えなければ未来はない」と警鐘を鳴らし続け、次世代に引き継いでいくことが、私たちに課せられた使命である。
NPOと指定管理者制度
特定非営利活動促進法が制定されてからは、NPO活動の拠点整備が行われ、NPOと行政との協働事業や、NPOを対象とした助成金制度などもでき、多くの子育て支援団体が活発な活動を展開した。その頃、仙台市で子育て支援センターをつくるといううわさを聞いて、有志が「子育て支援センターを考える会」を設立し、要望書をまとめて、担当課に提出した。
その過程で、次第に自分たちが運営してみたいと考えるようになり、担当者に冗談半分に「私たちにやらせて」と言ってみた。後日事業受託者が募集され、数社で争った結果、「考える会」で作った団体が受託、子育て支援団体の母親たちの手で運営が開始された。この施設は仙台市の指定管理第1号となった。
行政も民間も新しい制度のもと、協働の実績を積み上げてきた。初期には行政側も、リスクを伴う指定管理者となってくれる団体があるのかと不安を抱えていたようだが、応募団体が増加するにつれて、指定管理団体を下請けのように扱う傾向が出てきているように思われる。「人」を相手にしている事業はコストだけで判断できないことが多々あることを行政には忘れないでほしい。また、指定管理者制度は、NPO団体にとって両刃の剣となりうることを当事者も自覚することが必要だ。
東日本大震災後のNPO活動
震災を経て実感したことがいくつかある。①NGOの機動力②支援の受け方③平時の備えなどである。
①多くのNGOとの出会いがあり、いろいろ問題もあったが、その機動力に学ぶことは多かった。
②阪神淡路大震災から学んでいたことを生かすことができた。支援は物資・支援者ともに怒涛のように押し寄せると聞いてはいたが、聞きしに勝るものだった。子どもの心のケアについても先例に倣って対処ができた。
③防災、備蓄など、平時から備えなければならないことは多々あるが、特に感じたのは「人権」の問題であった。災害弱者となった子どもたちの被害についてはしっかり検証し、後世に伝えなければならないと強く思う。
被災沿岸部で活動していた子ども支援団体の様子を見て、燃え尽きてしまいそうな危うさを感じた。県の子育て支援課に行き、現状を報告した上で、団体を支える補助金制度をつくってもらった。この制度により、活動を継続できた地元団体の多くが、現在、地元の行政から委託事業を受けている。そのことは喜ばしいことであるが、受託したことで活動が制約されたり、急に事業が拡大し、人員が不足して新人を採用したものの、団体の使命が伝わりにくくなったり、マネジメントに苦労していることもある。今後はぜひこれらの困難を乗り越えて行ってほしい。
これらのことを総括すると、支援団体を地元の人が「NPOさん」と呼ぶ等の現象が起き、NPO活動が市民権を得たこと、被災地に地元の団体が多くできたこと、他から入ってきた団体が根づいたこと等々、子どもに関するNPO活動は、震災を経て活性化したともいえる。このことは阪神淡路大震災後の傾向と通じるものがある。
▲支援物資で遊ぶ子どもたち
子どもたちの現状
30年以上活動してきて現状を見れば、いじめは増加するばかり、1日に1人の子どもが自殺、虐待で5日にひとりの子どもが死亡、100人にひとりが不登校、日本の子どもの貧困率は2010年の調査でOECD加盟国中10位、70万人ほどの若者がひきこもっている。少子化の上にこのような状況が続くとどうなるか、想像することも恐ろしい。私たちが活動してきた結果がこのようなものかと思うと忸怩たる思いだが、翻って考えると、子ども・子育て支援NPOの活動がなければこの数値はもっと高くなっていたかもしれないのだ。
行政の役割・NPOの役割
最近の日本の子どもたちは、親の経済力で経験や学力に差が出る傾向がある。子どもたちに平等な機会を与えるために、教育と福祉の両面で子どもを支えることは国が負うべき責任である。しかし、1人1人の子どもにきめ細かく対応するのは、行政の力だけでは難しい。行政とNPO団体の連携のために、行政が団体を良く知り、団体も市民や行政に信頼される関係づくりを怠らないことが必要だ。
そして、子ども支援団体にはもっと政策提言をしてほしい。目の前の子どもに起きていることは、その何倍、何100倍もの子どもたちに同じことが起こっていると想像しよう。食事を与えられていない子どもに食事を与えるのは必要だが、なぜ子どもがおなかをすかせている状況が発生しているのか、その状況を変えるにはどうしたらいいのかを考え、社会に発信し、社会問題として理解してもらい、制度のなかで救われるようにすることが、子どもに関わった支援者の責任ではないだろうか。
「みやぎ子ども・子育て県民条例」を実のあるものに
2015年、「みやぎ子ども・子育て県民条例」が公布された。私も参考人として意見を述べたが、石巻と仙台で子ども関係団体との意見交換会や子どもたちの意見を聞く場を設けるなど、ていねいな対話をしていただいた結果、よい条例ができたと思う。中には「夏休みを長くして」などという、子どものパブコメもあったが、それらも県のHP上で公開されていた。子どもの声を真摯に受け止めてくださったことに感謝し、この条例が実のあるものになるよう私たちも努力したい。
これまでの経験から見ると、子ども関係団体は他ジャンルの団体とのコラボレーションが少ない。また、団体運営についての研修参加も多いとはいえない。目の前の子どもに向き合う小さな活動であっても、社会の大きな動きを理解しているかどうかで、動き方はちがってくる。自分たちの理想に向かい、自分たちの力量を見極めながら、子どもたちの幸せのために共に歩んでくれる人が一人でも増えることを願っている。
▲国連防災世界会議パブリックフォーラムで発表する『いしのまき寺子屋」の子どもたち
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381
NPO法人チャイルドラインみやぎ 小林 純子
1990年、合計特殊出生率が1.57を示したことから、1994年には「エンゼルプラン」が策定され、宮城県でも地方版エンゼルプラン「みやぎ子どもの幸福計画」が策定された。それでも少子化に歯止めはかからなかった。
東北地方では特に過疎状態が進行し、「子どもが減るのは仕方がない」というあきらめが漂っていた。その結果、高齢者対策は積極的に講じられてきたが、子ども・子育て支援には関心が薄い社会が形成され、東日本大震災時に「子どものことは後回し」の姿勢につながったように思われる。せっかく生を受けた子どもが、いじめ・虐待・事件・事故・災害等で命を落とさないよう、「この危機を乗り越えなければ未来はない」と警鐘を鳴らし続け、次世代に引き継いでいくことが、私たちに課せられた使命である。
NPOと指定管理者制度
特定非営利活動促進法が制定されてからは、NPO活動の拠点整備が行われ、NPOと行政との協働事業や、NPOを対象とした助成金制度などもでき、多くの子育て支援団体が活発な活動を展開した。その頃、仙台市で子育て支援センターをつくるといううわさを聞いて、有志が「子育て支援センターを考える会」を設立し、要望書をまとめて、担当課に提出した。
その過程で、次第に自分たちが運営してみたいと考えるようになり、担当者に冗談半分に「私たちにやらせて」と言ってみた。後日事業受託者が募集され、数社で争った結果、「考える会」で作った団体が受託、子育て支援団体の母親たちの手で運営が開始された。この施設は仙台市の指定管理第1号となった。
行政も民間も新しい制度のもと、協働の実績を積み上げてきた。初期には行政側も、リスクを伴う指定管理者となってくれる団体があるのかと不安を抱えていたようだが、応募団体が増加するにつれて、指定管理団体を下請けのように扱う傾向が出てきているように思われる。「人」を相手にしている事業はコストだけで判断できないことが多々あることを行政には忘れないでほしい。また、指定管理者制度は、NPO団体にとって両刃の剣となりうることを当事者も自覚することが必要だ。
東日本大震災後のNPO活動
震災を経て実感したことがいくつかある。①NGOの機動力②支援の受け方③平時の備えなどである。
①多くのNGOとの出会いがあり、いろいろ問題もあったが、その機動力に学ぶことは多かった。
②阪神淡路大震災から学んでいたことを生かすことができた。支援は物資・支援者ともに怒涛のように押し寄せると聞いてはいたが、聞きしに勝るものだった。子どもの心のケアについても先例に倣って対処ができた。
③防災、備蓄など、平時から備えなければならないことは多々あるが、特に感じたのは「人権」の問題であった。災害弱者となった子どもたちの被害についてはしっかり検証し、後世に伝えなければならないと強く思う。
被災沿岸部で活動していた子ども支援団体の様子を見て、燃え尽きてしまいそうな危うさを感じた。県の子育て支援課に行き、現状を報告した上で、団体を支える補助金制度をつくってもらった。この制度により、活動を継続できた地元団体の多くが、現在、地元の行政から委託事業を受けている。そのことは喜ばしいことであるが、受託したことで活動が制約されたり、急に事業が拡大し、人員が不足して新人を採用したものの、団体の使命が伝わりにくくなったり、マネジメントに苦労していることもある。今後はぜひこれらの困難を乗り越えて行ってほしい。
これらのことを総括すると、支援団体を地元の人が「NPOさん」と呼ぶ等の現象が起き、NPO活動が市民権を得たこと、被災地に地元の団体が多くできたこと、他から入ってきた団体が根づいたこと等々、子どもに関するNPO活動は、震災を経て活性化したともいえる。このことは阪神淡路大震災後の傾向と通じるものがある。
▲支援物資で遊ぶ子どもたち
子どもたちの現状
30年以上活動してきて現状を見れば、いじめは増加するばかり、1日に1人の子どもが自殺、虐待で5日にひとりの子どもが死亡、100人にひとりが不登校、日本の子どもの貧困率は2010年の調査でOECD加盟国中10位、70万人ほどの若者がひきこもっている。少子化の上にこのような状況が続くとどうなるか、想像することも恐ろしい。私たちが活動してきた結果がこのようなものかと思うと忸怩たる思いだが、翻って考えると、子ども・子育て支援NPOの活動がなければこの数値はもっと高くなっていたかもしれないのだ。
行政の役割・NPOの役割
最近の日本の子どもたちは、親の経済力で経験や学力に差が出る傾向がある。子どもたちに平等な機会を与えるために、教育と福祉の両面で子どもを支えることは国が負うべき責任である。しかし、1人1人の子どもにきめ細かく対応するのは、行政の力だけでは難しい。行政とNPO団体の連携のために、行政が団体を良く知り、団体も市民や行政に信頼される関係づくりを怠らないことが必要だ。
そして、子ども支援団体にはもっと政策提言をしてほしい。目の前の子どもに起きていることは、その何倍、何100倍もの子どもたちに同じことが起こっていると想像しよう。食事を与えられていない子どもに食事を与えるのは必要だが、なぜ子どもがおなかをすかせている状況が発生しているのか、その状況を変えるにはどうしたらいいのかを考え、社会に発信し、社会問題として理解してもらい、制度のなかで救われるようにすることが、子どもに関わった支援者の責任ではないだろうか。
「みやぎ子ども・子育て県民条例」を実のあるものに
2015年、「みやぎ子ども・子育て県民条例」が公布された。私も参考人として意見を述べたが、石巻と仙台で子ども関係団体との意見交換会や子どもたちの意見を聞く場を設けるなど、ていねいな対話をしていただいた結果、よい条例ができたと思う。中には「夏休みを長くして」などという、子どものパブコメもあったが、それらも県のHP上で公開されていた。子どもの声を真摯に受け止めてくださったことに感謝し、この条例が実のあるものになるよう私たちも努力したい。
これまでの経験から見ると、子ども関係団体は他ジャンルの団体とのコラボレーションが少ない。また、団体運営についての研修参加も多いとはいえない。目の前の子どもに向き合う小さな活動であっても、社会の大きな動きを理解しているかどうかで、動き方はちがってくる。自分たちの理想に向かい、自分たちの力量を見極めながら、子どもたちの幸せのために共に歩んでくれる人が一人でも増えることを願っている。
▲国連防災世界会議パブリックフォーラムで発表する『いしのまき寺子屋」の子どもたち
月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号
http://www.yururu.com/?p=2381