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この20年で変わったこと、変わっていないこと

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2018/08/14 18:57

この20年で変わったこと、変わっていないこと
NPO法人杜の伝言板ゆるる 代表理事 大久保 朝江


1997年6月に、この「月刊杜の伝言板ゆるる」は創刊した。発行部数は1,000部。年会費3,000円の購読会員が250名弱。発行経費は、その購読会費と取材、編集、デザインなどに関わる多くのボランティアの活動でなんとか成り立っていたが、1年半後には、30万円を超える赤字を抱えることとなった。今考えるとそこが大きな分かれ道だった。

当時のメンバーは、事務局を担うせんだんの杜ボランティア応援センターと編集を担うせんだい・みやぎNPOセンター、そして市民活動団体のリーダーで構成する杜の伝言板ゆるる編集部、の3者で発行していたことから、今後について話し合いをすることに。

「継続」を前提に話が進み、生みの親であるせんだんの杜の副杜長(当時)である池田昌弘さんは、続けたいメンバーの自立を促し、中間支援組織であるせんだい・みやぎNPOセンターは、現在の会費収入からみて隔月発行を前提に自団体で発行することを提案。

しかし、それぞれが団体の代表を務める人が多かった編集部は、月刊の発行に拘ったほか、中間支援組織である1つのNPOに情報媒体まで集約されることに危機感を抱き、単独で継続発行することを決断。結果として、当時、特定の団体の代表を担っていなかった私が編集長として経営に乗り出すことになった。これはその後のゆるるにとっても、私個人にとっても未知の世界に踏み出した瞬間だった。


▲創刊号表紙

デラウェア州でNPOの本質を知る

宮城県は、1997年秋に米国デラウェア州と姉妹県州を締結。その友好の一環で1998年9月、デラウェア大学に2週間、仙台のNPOリーダーを招聘してNPOマネジメント研修をするという参加者募集があった。しかも英語力を問わず、NPOリーダーであることと、帰国後に学んだことを実践して地域に貢献することが応募の条件という。NPOの先進地で学べる絶好の機会と、通常は2週間も家を空けるなんて、と躊躇する女性のNPOリーダーも多数応募。1ヶ月という短期間の準備にも関わらず、主婦でありNPO実践者である女性6人を含め14人が参加した。この中にゆるるの関係者が私を含め4人。このことがゆるるの存続にも大きく影響した。前述の月刊ゆるるの存続を話し合ったのは、帰国後、2ヶ月が経った頃だ。

私にとって、アメリカのNPOがどんな位置づけなのか、何を重視しているのか、そしてどんな運営をしているのか、を座学と現場訪問で学んだからこそ、NPOの存在が注目され始めた日本、いや仙台で今後、どのように市民活動やNPO活動を広げていくのかを考えた時、この情報誌を使って情報発信していこう!と決心につながった。

そして、99年、2001年と参加したデラウェア大学のNPOマネジメント研修で出会った米国在住の日本人の次の言葉が心に残り、その後の活動に大きく影響している。「日本からたくさんの自治体や議員の方々が視察に来るけど、NPOに関する仕組みや法制度にだけ関心があって、本来、日本が学ばなければならないNPOの意義を学ばずに帰るのよね。NPOとは、デモクラシーが根底にあって、市民がその力を持つということなのに」以来、このことを念頭にNPOを見てきた。


▲デラウェア大学NPOマネジメント研修での視察

NPOの担い手を育てる

情報誌の発行は、きっかけづくりに過ぎない。NPOが活動している記事や、イベントや募集の情報を見ても、参加したり、会員になったり、寄付したり、あるいは活動を始めたり、何らかのアクションに繋がらなければ、役割を果たせていない。だからこそ、創刊から5年経った2002年に、発行部数1,000部から6,000部に増やし、より多くの市民に見てもらえるよう、無料配布にした。

さらには翌年、次代を担う高校生にNPOを知って体験する機会として「高校生の夏ボラ体験」をスタートさせ現在に至るほか、2005年には、シニアの参加を目的に「NPO訪問バスツアー」を実施した。残念ながら団塊世代をNPOに呼び込もうとした目論みは、時期尚早で見事に外れたが、その後、東日本大震災があったころから徐々に60代半ばのシニアが活動に目を向け始めている。

変わらない意識

もともとNPOは儲からない。もちろんそれを目的にしているわけではないが、活動していくからは、そのための資金が必要ではある。しかし、地域の悩みは何かといえば、困っていても予算が取れず、なかなか解決策に手を付けてくれない行政であったり、需要と収益のバランスが取れずに企業が手を付けないことであったりと、そのまま置き去りになった問題を、「そのままにしては置けない!」と課題解決に踏み出すことが多いのがNPOだったりするわけで、そのこと自体が収益につながるものでもない。だからこそ、活動を継続していく手段として補助金や助成金に申請し、資金を得ながら工夫を重ねていく。

本来は地域の問題に自ら解決に取組むNPOに対して、地域は応援するはずなのに他人事感があり、関心を示す人は少ない。聞けば、市がするのが当たり前、してくれないのは市が悪い、と批判ばかりで、自らのアクションがない。いったい誰がその地域の困りごとを解決するというのか。そこに動き出したことに応援もせず。いつになったら市民の力はつくのだろうか。そのような分野で活動するNPOにとっては、実際の活動に加え、ひたすら理解者を増やしていく努力が付きまとう。

一方で、NPOは経済的に自立しなければ、もっと広報に力を入れなければ、雇用の受け皿となって、など求められることが高い。確かに制度化された福祉事業は、今や非営利に限らず営利企業も進出していることから経営は安定してきているかもしれない。また、ソーシャルビジネスとして企業のごとく収益を上げているNPOも増えている。

しかし、それが電話相談やホームレス支援など活動の性質上、できないNPOもあるのだ。救いは応援する寄付者が増えること。自ら応援する団体を選んで寄付する市民が増えることこそ、市民力を高める一つなのだ。

経済の活性化に流されて

震災を契機にNPOの雇用者が増えている。それは民間の助成金や国の復興予算の中で、人件費が首都圏並みに認められてきたことにある。しかし、緊急雇用創出事業が終了し、尚且つ民間助成も減額傾向にある中で、急激に雇用も萎んできている。既に震災後に設立したNPOの中には解散した団体もあるほか、設立目的を変更している団体もある。

復興に関わる団体なら支援の変化に応じ、活動分野を変えるということもあるだろう。しかし、組織存続のために助成金や補助金、あるいは委託事業など、収益を上げることに変わってはいないか。そして注目されているビジネスの視点で社会課題を解決するソーシャルビジネス。収益につながるサービスのみを提供することだけで、本来の社会課題を解決する活動に取組んでいるのか見えないNPOも多い。そもそもの解決しなければならない問題は何かを忘れてはいないだろうか。ここでNPOのミッションを問い直してみたい。

月刊杜の伝言板ゆるる2017年5月号

http://www.yururu.com/?p=2381