「時間は空間?言葉の不思議」
東北大学
2018/08/14 18:57
東北大学 大学院文学研究科 フランス語学フランス文学専攻分野 阿部宏教授
・言葉と心
言葉と心の関係について,少し考えてみたいと思います.
まずは,メタファーという現象から ...
「針のアタマ」「瓶のハラ」「机のアシ」など,人間の体の部位で物体の部分を指し示すことがよくあります.物体を人間の体に見立てているわけです.はじめは誰かが面白がって使った表現なのかもしれませんが,今では辞書にも載るほど定着しています.
もし各物体の各部分毎に別々の名称をあてるとしたら,語がいくらあっても足りないですね.だいいち,そんなに覚えきれません,したがって,「針のアタマ」のような用法は便利なのです.
このように,何かしらの類似点に着目し転用して用いられた表現は,メタファーと呼ばれます.物体への適用以外にも,「アマイ思い出(味覚→心理)」「アタタカク迎える(体感温度→感情)」「株価がアガル(上への動き→増加)」など例がいくらでも思い浮かんできますね.いずれもあまりに定着してしまったので,もともとがメタファーであることにも気づかないくらいです.
図1 増加は上昇
味覚(「甘い」など),体感温度(「温かい」など)は,人間の感覚にとってダイレクトです.また水面の上への動き(「上がる」など)も直接的に視覚に訴えるものです.メタファーが生まれてくる基盤には,それ自体としては捉えにくい対象を感覚や身体などのより身近なものに還元する心の働きがあります.これは人間の心の癖のようなもので,言葉の仕組みにも反映されるのです.
・時間と空間
ところで,次に時間と空間に関わる表現について考えてみます.
図2 人間にとって時間とは?
時間と空間は,「時間とは何か?」「空間とは何か?」と哲学的あるいは物理学的に難しく考えてみるまでもなく,カレンダーや地図として,われわれの日常生活に密接に結びついています.しかし,心にとって時間と空間は同格でしょうか?これについて,言葉の研究は興味深い考察結果を近年提示しつつあります.
・「サキ」「アト」「マエ」
「サキ」「アト」「マエ」など時間表現のほとんどは,以下のように時間的意味と空間的意味で多義になっています.
「サキ(=時間)の将軍/サキ(=空間)に灯台が見える」
「アト(=時間)に責任がもてるか?/アト(=空間)について来い」
「マエ(=時間)にもあったことですが …/マエ(=空間)に犬がいる」
このような場合,歴史的な意味変化を調べるとほぼ必ず「空間→時間」なのです.つまり,空間的な意味がメタファーとして時間に適用され,もとの空間的意味と新たな時間的意味が併存することになった,ということです.このことは,視覚で直接的に捉えられる空間の方が人間にとって身近であることを意味します.
・雲居希膺・和尚(瑞巌寺)
この「空間から時間へ」というテーマは,非常に興味深い謎を提起します.以下は,松島の瑞巌寺の住職であった雲居希膺(うんごきよう)和尚(1582~1658)が,山で山賊に襲われた時の有名な台詞です.
「先の世で借りたる物を今なすか,この世で借りて先でなすのか.(=(山賊たちに)私は今,前世での自分の過ちの罰を,受けているのであろうか.あるいは,お前たちは,いま私にしている過ちの罰を,来世で受けるのであろうか.)」
ここに「先」が2度出てきますが,最初の「先の世」は「前世」の意味,2番目の「先」は「来世」の意味です.時間表現は空間的意味と多義になっているだけではなく,このように「過去」と「未来」という正反対の意味が共存していることがよくあります.なぜなのでしょうか?
・川の流れと一本道
図3 時間は川の流れ
時間を川の流れと考えてみてください.そこに例えば大きな木片が浮いていて,自分の目の前を通過し,やがて流れ去っていきました.引き上げて椅子やテーブルに加工できそうだ,と思った時は手遅れで,その木片は今や下流の方に小さく見えるだけです.この場合,視野の「サキ」にある木片は「過去」ということになります.
他方,時間を1本道と考えてみてください.そこを歩いていく自分の視野の「サキ」に例えば大木が見えています.あと5分ほど歩けば,そこに到着して夏の暑い日差しを避けて一休みできるかもしれません.この場合,視野の「サキ」の大木は「未来」ということになります.
図4 時間は一本道
形のない「時間」というこの捉えづらい対象を,われわれの心は空間にむりやり引き寄せて理解しようとします.その際に,川の流れをイメージするか,1本道をイメージするかで,「サキ」の意味が「過去」になったり「未来」になったりするのです.
・「アト」と「マエ」
「アト」「マエ」も以下のようにやはり多義的です.
「アト(=未来)に責任がもてるか?/未来志向の人は,アト(=過去)は振り返らない」
「マエ(=過去)にもあったことですが …/マエ(=未来)をしっかり見据えて生きていく」
川の流れでは,「アト(=未来)」は上流の方に見える次に自分の前を通過するであろう木片,「マエ(=過去)」はすでに通過してしまった木片,一本道では,「アト(=過去)」はすでに歩いて来た部分,「マエ(=未来)」はこれから歩いて行く部分,ですね.
言葉の仕組みは心の仕組みを反映するものですが,「空間から時間へ」というメタファーは,このことをよく示してくれます.
【プロフィール】
阿部 宏(あべ ひろし)
東北大学大学院文学研究科・教授
専門は,フランス語学,日仏英対照言語学,日本語学,言語学史など.特に最近は,フランスと日本の文学作品の比較などを通じて,フランス語と日本語の共通点や相違点について考えています.
(URL : http://www2.sal.tohoku.ac.jp/French/bun/abe.html)
・言葉と心
言葉と心の関係について,少し考えてみたいと思います.
まずは,メタファーという現象から ...
「針のアタマ」「瓶のハラ」「机のアシ」など,人間の体の部位で物体の部分を指し示すことがよくあります.物体を人間の体に見立てているわけです.はじめは誰かが面白がって使った表現なのかもしれませんが,今では辞書にも載るほど定着しています.
もし各物体の各部分毎に別々の名称をあてるとしたら,語がいくらあっても足りないですね.だいいち,そんなに覚えきれません,したがって,「針のアタマ」のような用法は便利なのです.
このように,何かしらの類似点に着目し転用して用いられた表現は,メタファーと呼ばれます.物体への適用以外にも,「アマイ思い出(味覚→心理)」「アタタカク迎える(体感温度→感情)」「株価がアガル(上への動き→増加)」など例がいくらでも思い浮かんできますね.いずれもあまりに定着してしまったので,もともとがメタファーであることにも気づかないくらいです.
図1 増加は上昇
味覚(「甘い」など),体感温度(「温かい」など)は,人間の感覚にとってダイレクトです.また水面の上への動き(「上がる」など)も直接的に視覚に訴えるものです.メタファーが生まれてくる基盤には,それ自体としては捉えにくい対象を感覚や身体などのより身近なものに還元する心の働きがあります.これは人間の心の癖のようなもので,言葉の仕組みにも反映されるのです.
・時間と空間
ところで,次に時間と空間に関わる表現について考えてみます.
図2 人間にとって時間とは?
時間と空間は,「時間とは何か?」「空間とは何か?」と哲学的あるいは物理学的に難しく考えてみるまでもなく,カレンダーや地図として,われわれの日常生活に密接に結びついています.しかし,心にとって時間と空間は同格でしょうか?これについて,言葉の研究は興味深い考察結果を近年提示しつつあります.
・「サキ」「アト」「マエ」
「サキ」「アト」「マエ」など時間表現のほとんどは,以下のように時間的意味と空間的意味で多義になっています.
「サキ(=時間)の将軍/サキ(=空間)に灯台が見える」
「アト(=時間)に責任がもてるか?/アト(=空間)について来い」
「マエ(=時間)にもあったことですが …/マエ(=空間)に犬がいる」
このような場合,歴史的な意味変化を調べるとほぼ必ず「空間→時間」なのです.つまり,空間的な意味がメタファーとして時間に適用され,もとの空間的意味と新たな時間的意味が併存することになった,ということです.このことは,視覚で直接的に捉えられる空間の方が人間にとって身近であることを意味します.
・雲居希膺・和尚(瑞巌寺)
この「空間から時間へ」というテーマは,非常に興味深い謎を提起します.以下は,松島の瑞巌寺の住職であった雲居希膺(うんごきよう)和尚(1582~1658)が,山で山賊に襲われた時の有名な台詞です.
「先の世で借りたる物を今なすか,この世で借りて先でなすのか.(=(山賊たちに)私は今,前世での自分の過ちの罰を,受けているのであろうか.あるいは,お前たちは,いま私にしている過ちの罰を,来世で受けるのであろうか.)」
ここに「先」が2度出てきますが,最初の「先の世」は「前世」の意味,2番目の「先」は「来世」の意味です.時間表現は空間的意味と多義になっているだけではなく,このように「過去」と「未来」という正反対の意味が共存していることがよくあります.なぜなのでしょうか?
・川の流れと一本道
図3 時間は川の流れ
時間を川の流れと考えてみてください.そこに例えば大きな木片が浮いていて,自分の目の前を通過し,やがて流れ去っていきました.引き上げて椅子やテーブルに加工できそうだ,と思った時は手遅れで,その木片は今や下流の方に小さく見えるだけです.この場合,視野の「サキ」にある木片は「過去」ということになります.
他方,時間を1本道と考えてみてください.そこを歩いていく自分の視野の「サキ」に例えば大木が見えています.あと5分ほど歩けば,そこに到着して夏の暑い日差しを避けて一休みできるかもしれません.この場合,視野の「サキ」の大木は「未来」ということになります.
図4 時間は一本道
形のない「時間」というこの捉えづらい対象を,われわれの心は空間にむりやり引き寄せて理解しようとします.その際に,川の流れをイメージするか,1本道をイメージするかで,「サキ」の意味が「過去」になったり「未来」になったりするのです.
・「アト」と「マエ」
「アト」「マエ」も以下のようにやはり多義的です.
「アト(=未来)に責任がもてるか?/未来志向の人は,アト(=過去)は振り返らない」
「マエ(=過去)にもあったことですが …/マエ(=未来)をしっかり見据えて生きていく」
川の流れでは,「アト(=未来)」は上流の方に見える次に自分の前を通過するであろう木片,「マエ(=過去)」はすでに通過してしまった木片,一本道では,「アト(=過去)」はすでに歩いて来た部分,「マエ(=未来)」はこれから歩いて行く部分,ですね.
言葉の仕組みは心の仕組みを反映するものですが,「空間から時間へ」というメタファーは,このことをよく示してくれます.
【プロフィール】
阿部 宏(あべ ひろし)
東北大学大学院文学研究科・教授
専門は,フランス語学,日仏英対照言語学,日本語学,言語学史など.特に最近は,フランスと日本の文学作品の比較などを通じて,フランス語と日本語の共通点や相違点について考えています.
(URL : http://www2.sal.tohoku.ac.jp/French/bun/abe.html)