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「戦国大名の正体」第3回 天下と国家

2016/03/16 09:52

第3回 天下と国家
「天下国家を論じる」との言いまわしがある。

だから天下は国家そのものと思われがちだ。けれども戦国時代においては、イコールで結ばれることが案外と少なかった。

前に登場したロドリゲスは、天下は国王のいる中央地域と述べ、スペイン人の貿易商アビラ・ヒロンは『日本王国記』の中で、五畿内(山城・大和・河内・摂津・和泉)のことを天下と書いている。

天皇と将軍のいる首都京都を中心とする近畿圏が天下と呼ばれていた。いっぽう国家は、「分国」といわれた領国を戦国大名が自称する際に使われた。

戦国大名は神社や寺院に国家安全の祈祷を頼んだが、ほとんどは自国のことである。また大名家中のことも国家と名乗った。まさに家が国そのものと考えた。

たとえば、越前一乗谷(福井市)に城下町を築いた朝倉氏の家訓は、施策の創意工夫が功を奏して、「国家」がつつがなく無事だったと諭している。

室町幕府の将軍政治の復興は、「天下再興」と宣揚された。信長が擁立した15代将軍義昭は、天下再興政権だった。天皇の祭政や将軍執政を指して、天下と呼ぶことがあった。

天下統一といっても、最初から日本列島の統一を意味したわけではなかったのである。


次回は「第4回 戦国乱世の戦争」です。
配信日程:3月17日(木) 予定

【プロフィール】
鍛代敏雄(きたい・としお)
東北福祉大学教育学部 教授
1959年12月12日、神奈川県平塚市生まれ。専門は日本中世史、とくに宗教と社会・経済との構造を研究する。現在、東北福祉大学教育学部教授、石清水八幡宮研究所主任研究員を兼務する。