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「戦国大名の正体」第4回 戦国乱世の戦争

2016/03/17 10:13

第4回 戦国乱世の戦争
○村落間や領主間の境界紛争、○領土拡張や有利な外交を目論んだ大名間の合戦、○百姓・地侍を主体とする土一揆や宗教一揆、○大名家中のクーデターや粛清など、戦国乱世は多様な戦争の先駆けとなった時代である。

戦国大名は、暴力や武力をコントロールして家中の統率を図るために粛清を断行した。

武田信玄や伊達晴宗(政宗の祖父)のような父子相克、今川義元や織田信長のような兄弟内訌、毛利元就や尼子晴久らの家臣粛清。逆に松平清康(家康の祖父)・大友義鑑・大内義隆らのように家臣に討たれた大名もいた。

まさに「王殺し」だ。

明智光秀によって本能寺で討たれた信長が特別なわけではない。謙信や信長が謁見した13代将軍足利義輝は、松永久秀らによって将軍邸で謀殺された。このような謀叛や粛清は、戦国の習いだった。

戦国大名は日本列島の統一を目指して戦争を続けた、といった俗説がある。天下人信長の場合は、尾張(清洲・小牧)→美濃(岐阜)→近江(安土、本能寺の変がなければ大坂へ)と居城を移して京都を掌握した。

小京都の城下町に固執し地域に君臨した戦国大名にはない発想だ。
現に毛利元就は、天下を競ってはならないと、吉川元春に遺言したと伝わる。
次回は「第5回 誰が戦国大名か」です。
配信日程:3月18日(金) 予定

【プロフィール】
鍛代敏雄(きたい・としお)
東北福祉大学教育学部 教授
1959年12月12日、神奈川県平塚市生まれ。専門は日本中世史、とくに宗教と社会・経済との構造を研究する。現在、東北福祉大学教育学部教授、石清水八幡宮研究所主任研究員を兼務する。