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「津波被災地の幽霊を小学生から研究者まで考える」第3回 被災地に関係ない人でも呼び覚まされる霊性

東北学院大学

2016/06/15 10:24

第3回 被災地に関係ない人でも呼び覚まされる霊性


『呼び覚まされる霊性の震災学』の本は、出版前から重版の出来で、一時期アマゾンの総合ランキングで3位、現在でも災害部門で1位を維持している
詳しくは、こちらから)。

研究書としては異例の売れ行きであった。そこにはあきらかに被災地のみで閉じてしまうような問題ではない普遍的な拡がりがあったように思われる。

人びとの共感を呼んだ背景には、
①幽霊の記事が不確かなものではなく、あるかもしれないというリアリティをもって受け止められたこと、
②おどろおどろしい祟りや怨念を持った幽霊のイメージを覆して、最初は怖がっていたタクシードライバーが温かくそれを迎えてくれる意外性があったこと、
③被災地外の人びとが新しい被災地像を求めていたこと、
④死者との別れが誰かしら経験していて自分に引き付けて我がことの関心として受け止めたこと、などが主な要因としてあげられる。

それを象徴するかのような話を紹介すると、出版元(新曜社)に、本屋に置いていないということで在庫の問い合わせが弊社にきた。世間で一気に話題になり始めた時に小さな出版社ということによるものが大きい。

ある女性がこういう話を電話口でし始めたそうだ。
「主人とタクシーを待っていて、いざ乗ろうとしたところ、なんでもないところでつまずいてしまった。あらあら、年かしら、と二人で乗り込んだところ、タクシーの運転手がいっこうに扉を閉めようとしないの。どうしたのかしら、と運転手さんの方に目を向けると、「連れの女性は?」と聞くのよ。えー私たち二人だけよ、というと、そんなことはない、白い服を着て、細面の……と続ける運転手さんを主人が遮って、誰かいたのかもねーと言って、自宅を告げて、車を走らせたの。運転手さんは最後まで納得していない風だったけど。でも、私たち夫婦には自宅に着く頃には分かっていたの。それが亡くなった姉だということが……」



そのような経験があり、この本の記事を見たときにどうしても読みたくなったのだそうだ。

実はこの種の問い合わせは私の方でもかなりの数来た。東京のタクシーの方や原発被災地の方、物理学会や霊現象の会、宗教関係者など職種や年齢を問わず海外からもきた。一見個別の事象に見えながら、普遍的なテーマであり、そして普段あまりそのことをありえないこととして周りに理解してもらえないと思って、人にいかに話していないのかということがわかった。

真夏石巻の駅で客待ちをしていると、乗ってきた20代の男性のお客さんが厚手のコートを着ていて明らかに季節外れの格好だった。目的地を尋ねても、無言で返答はなかった。バックミラーで後部座席を見ると、まっすぐ男性は前を指さしており、もう一度目的地を聞くと、「日和山」と一言答えた。ドライバーは日和山に向かってタクシーを走らせ到着すると、気づいた時にはもう男性は後部座席にはいなかった。



「怖かったよ。本当に。まさか(幽霊が)出るとは思わなかった。でもなぁ、日和山の海岸側の南浜の更地と夕日を見たら、自然とその怖さもなくなっちゃったんだよね。どうしてかなぁ。また、こんなことがあっても不思議ではないと思ったよ」とドライバーは答えている。

人は死んだら終わりなのだろうか? 死ねば単なる骨だけのリン酸カルシウムになってしまうので、物言わぬ死者に対してあちらの世界に放り投げてしまうこともできるだろう。

しかし、上のタクシードライバーは身内を亡くしていないが、そういう人でも、未曾有の津波とその後の町の破壊、そして石巻地域で何千人もの人を亡くしたことを受けて、今までの死者への捉え方のみでは必ずしも収まりがつかないということがいえるかもしれない。そのことを次回考えてみよう。

次回は「第4回 曖昧な死を曖昧なまま受け入れる被災者」
配信日程:6月16日(木) 予定


【プロフィール③】
東北学院大学教養学部地域構想学科・教授
金菱 清(かねびし・きよし)
http://kanabun.soms9005.com/research/book

2005年時流に乗って社会学博士号を取得し(それまでは定年間際にとるものだった)、仙台にある東北学院大学教養学部にて教鞭をとりはじめる。2008年 著書『生きられた法の社会学―伊丹空港「不法占拠」はなぜ補償されたのか』(新曜社)で単著を初めて世に出す。これが全く売れなかったが、学問の世界では評価され、2009年第8回日本社会学会で奨励賞著書の部を受賞する。(to be continued)