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「津波被災地の幽霊を小学生から研究者まで考える」第4回 曖昧な死を曖昧なまま受け入れる被災者

東北学院大学

2016/06/16 09:58

第4回 曖昧な死を曖昧なまま受け入れる被災者

幽霊現象の背景には、「曖昧な喪失」(ポーリン・ボス)である死が東日本大震災において多く含まれているという点があげられる。行方不明者の遺族にとって、死はご遺体があがらないままの、実感のわかない死であるといえる。

いわば“さよならのない別れ”なのである。突然家族にさよならも言わず逝ってしまった挨拶のない別れなのである。だから家族はいまだ自分のもとに現れない人に会ってみたいと切に願っている。

生者とも死者ともつかない保留状態の死をどのように考えるのか。つまり、このことは生者にとっての危機であるとともに、魂である死者にとっても危機である、二重の不安定さを抱えているといえるだろう。そのような視点から幽霊現象をみてみよう。



深夜タクシーで巡回していると、やはり真夏にも関わらず、真冬の格好をした小学校くらいの女の子を見つけた。不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると、「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきた。 迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ね、答えてきたのでその付近まで乗せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと思ったら、その瞬間女の子は姿を消した。

噂でそっくりな体験を聞いていたが、その不思議はもうなんてことなくて、「今ではお母さんとお父さんに会いに来たんだろうなって思ってる。私だけの秘密だよ」と、その表情はどこか悲しげで、でもそれでいて確かに嬉しそうであった(幽霊が通う街『呼び覚まされる霊性の震災学』)。


なぜ幽霊への接触を忌避するのでなく、むしろ歓迎しているのだろうか。通常の処理のあり方で言えば、葬儀や慰霊祭のような宗教的儀礼がある。これらは、彼岸の側に立った鎮魂の処理法である。

しかし、行方不明者を多く抱えるような大震災では、未だ彼岸にいない死というものに通常のかたちで対処するには不向きな面もある。行方不明とは死んでいるか生きているかわかない状態が長期にわたって続くことにある。

生者と死者のはざまにある曖昧な(中間)領域に存在する不安定かつ両義的な生/死を無理に無くそうとはせずに、曖昧なものを曖昧なままにして生と死の中間領域を豊富化させ肯定的に転調させることで対処する方法を被災者である当事者たちは自ら工夫している。


(名取市閖上日和山より、左:菅原優、中央:金菱、右:工藤優花)

このことは私たちの日常生活の感覚に置き換えてみるとわかりやすい。哲学者の内田樹などは『死と身体』のなかで、私たちは処理できないものについて中間項という形で無理せず処理するという。

たとえばパソコンでいえば、整理が出来て必要のないものであればトラッシュボックスに入れて処理する。整理が済んだものであれば保存するかフォルダーに入れる。しかし、どちらとも処理できない場合私たちはどうするのか。

それはデスクトップに一時保存された状態で置いておく。このデスクトップに借り預けをしていく領域が中間項であるという。携帯メールでいえば「その他」のフォルダーや受信箱にとりあえず入れておく知恵に近いかもしれない。

このような中間項のプラスへの転化はどのような精神的なケアに寄与しているのだろうか。

今回の震災では行方不明や突然の死、津波の来襲までの物語の不在など大きくなっている現状がある。そのなかで、外部からもう震災から1年経った、あるいはもう5年経過したから早く死者を忘れようということは、いわばデスクトップに保留してあるものを外部から性急に整理を求められるのと同じことを意味する。

いつ整理するのかは被災者である本人が決めればよい話である。いわば“当事者主権”に本来委ねられているはずである。

人によっては20年以上かかるかもしれない。それでもよいのではないかと心のゆとりや安心感をタクシードライバーの語りは与えてくれている。これは身内では必ずしもないが亡くなった人びとを地域で支える意味が込められている。

いわば曖昧なものを曖昧なまま一時預かりのなかで未処理のまま処理する方法をとろうとする。そしてそれをいい形として評価することの大切さを私たちに教えてくれているといえよう(『震災学入門』(ちくま新書)「霊性」の章参照)。

次回は「第5回 従来の救済システムからの離脱」
配信日程:6月17日(金) 予定



【プロフィール④】
東北学院大学教養学部地域構想学科・教授
金菱 清(かねびし・きよし)
http://kanabun.soms9005.com/research/book

「体感する社会学」初版翌年の2011年3月11日、仙台で再び地震に遭遇し(東日本大震災),阪神淡路大震災の時に感じていた違和感から学生とともに被災地を訪ね歩き,身の丈にあった震災体験の記録を集める。その後「災害社会学」へ。2012年編著『3.11慟哭の記録―71人が体感した大津波・原発・巨大地震』(新曜社, 第9回出版梓会新聞学芸文化賞受賞)、 2013年文藝春秋にて「識者が選んだ108人(今後10年間に世界的な活躍を期待できる逸材)に選ばれ、将来を予言される。編著『千年災禍の海辺学―なぜそれでも人は海で暮らすのか』(生活書院)、 2014年『震災メメントモリ―第二の津波に抗して』(新曜社)『反福祉論―新時代のセーフティーネットを求めて』(大澤史伸と共著,ちくま新書)(続)