新生活の思い出 金澤 聡 2025/03/31 新生活の思い出といえば、「2合炊き炊飯器」です。18歳の春の話です。数えるのも嫌になりますが(笑)、いまから30年以上も前の話になります。上京して初めての1人暮らしで初めて購入した家電が、「2合炊き炊飯器」でした。実家で生活していた時は、炊飯器を使ったことなどありませんでしたが、ベッドとデスク以外何もない部屋に、唯一生活感のあるものが、我が根城にやってきたことが嬉しくて住み始めた当初は、必ずその炊飯器でご飯を炊いて食べていたのを覚えています。炊飯器から出る水蒸気で、狭い部屋がお米の香りに包まれるのさえ愛おしく感じられました。しかし、飲食店でのアルバイトを始めると、「まかない」で食事を済ませるようになり、炊飯器と距離を置き、食器棚の奥の方へ…。そして、22歳の社会人1年目の春。何度も捨てるかどうか悩みましたが、人生で初めて買った家電を捨てきれず、「2合炊き炊飯器」とともに仙台へ引っ越しました。さすがに今はもう手元にはありませんが、春になるとときどき「炊飯器」を思い出します。写真は、お題とは関係ありませんが、先日実家へ帰ったときに新幹線の駅のホームで売っていた「笹団子」です。これも一人暮らしを始めた当初、よく実家から送られてきました。いまでも「笹団子」には目がありません。今回も売店で見た瞬間、2箱即購入です!次は、あす4/1(火)に入社する新人アナウンサー登場です。あす仙台放送HPにプロフィールもUPされますので、あわせてご覧ください。皆さま、何卒、2025年度も仙台放送アナウンス部をよろしくお願いします。
東日本大震災14年 金澤 聡 2025/03/19 今月8日(土)にサッカーJ2ベガルタ仙台とV・ファーレン長崎のリーグ戦が行われました。3月11日を前に「復興応援試合」として開催されました。今シーズン前半のベガルタのホームスタジアムは、利府町の「キューアンドエースタジアムみやぎ(宮城スタジアム)」。このスタジアムのピッチ一面には、「復興芝生」と銘打たれた天然芝が敷き詰められています。スタジアムから南へおよそ40キロ、震災で甚大な被害を受けた山元町で栽培された芝生が使用されています。 「復興芝生」は、他の芝と比べて根を深く張るため丈夫で、しかも、柔らかく、けがのリスクが抑えられることから採用されました。復興への思いとともに根を張った芝生の上で、熱い試合が行われました。ベガルタ仙台の森山佳郎監督は、震災復興の原点がある限り、クラブの歩むべき方向は変わらず、復興の一助となる取り組みを継続していくと話します。命を守るために、そして、震災で犠牲になる方をなくすために、防災の根を張り続けていかなければならないと14年経った今も、これからも伝え続けます。次回から新テーマになります。「新生活の思い出」です。西ノ入アナウンサーから始まります。
応援あれこれ 金澤 聡 2025/02/27 来季からJリーグは秋春制へ移行するため、今季は史上最も早いリーグ戦の開幕を迎えました。ベガルタ仙台は2021年以来のJ1復帰に向けたシーズンが幕開け、開幕戦は7年ぶりに白星を挙げ、好スタートを切りました。開幕戦当日、「スポルたん!NEO」のゲストに昨年現役引退した宮城出身の遠藤康さんとベガルタ仙台のレジェンド梁勇基(リャン・ヨンギ)さんが出演。梁さんが現役時、ゲームで活躍し勝利すると、試合後に選手、サポーターが一体となって踊る『リャンダンス』が行われていました。隣同士で肩をくみ、全員同時に飛び跳ねながら横に移動していく勝利のダンスです。番組放送後、突然、遠藤さんが梁さんに尋ねます。「試合後にリャンダンス踊るのは、相当きついですよね?最後のダンスでケガした選手とかいるんじゃないですか?」梁さん曰く、「あーいたねぇ。S川が試合後のダンスでケガをしていた。結構動き的にしんどいからね…」「ですよね !!」と遠藤さん。確かに、勝利のダンスを踊るために余力を残しておく訳にはいかないでしょうから、今年は、歓喜のパフォーマンスは、安全第一でお願いしたいなと個人的には思っています。5年ぶりのJ1復帰へ、今季は相当踊るでしょうから!次は、高橋アナウンサーです。
最近笑顔になれた話 金澤 聡 2025/02/07 生来、じゃんけんが弱いです。幼い頃から、絶対に負けたくないじゃんけんで負けて自分ではやりたくない「係」だったり、「学級委員」になることが多くありました。勝つ確率は、ほぼ同じはずですが、クラス全員参加のじゃんけんは、勝ち抜けできず、いつも最後まで残るので、全くありがたくありませんが、「じゃんけん最弱王」の称号をいただきました。敗因を深く考え、たどり着いたのが「気合不足」といった精神論だったほどじゃんけんに関しては悩みの種でした。朝の情報番組「めざましテレビ」でじゃんけんコーナーがありますが、残念ながら、ここでも勝率がかなり低く、じゃんけん選択権は、いまは私にはありません。最近、家族が部活などで早朝に家を出て、私一人の朝食時に、こっそり、めざましじゃんけんに参戦、「グー」を選択して、久々に勝利!ひとり家の中で、両手で渾身のガッツポーズ。笑顔であったことは間違いありません。あまりに力を入れて喜びすぎたのか、右上の奥歯が欠けて現在治療中です。嘘のような本当の話。型を取るため詰め物をしているので、固いものが食べられず、いただいた写真の果物を有難くいただいています。誰にも幸せを届けられない「笑顔」の話ですいません。50代の同世代の方、喜び過ぎにご注意を。次は、伊藤瞳アナウンサーです。
給食の思い出 金澤 聡 2025/01/22 給食には不思議な力がありました。苦手な食べ物も、給食で出ると平気で食べられました。家では絶対に食べないのに、なぜか給食だと食べられるという、何とも不思議でした。全部きれいに食べると先生に褒められるという承認欲求があったのか、友達と食べるのが楽しかったのかどうかは覚えていませんが、米粒一粒残さずに食べていました。風邪で学校を休んだ日は、給食が食べられなくて、それはそれは残念でした。そんな時、当時私の担任の先生は、学校を休んだ児童にパンと牛乳をクラスの近所の子が持っていくというルールを作りまして、(今ではそんなルールは難しいでしょうね…)、具合が悪くて食欲がなくても、自分のことを気遣ってくれているという優しさが嬉しくて、温めた牛乳に少しだけパンを浸して食べたのを覚えています。さて、写真は、パン牛乳運搬ルールを決めた当時の担任の先生が、去年宮崎に旅行へ行ったときに送ってくれた、宮崎名物「釜揚げうどん」を撮影した写真です。いまでも連絡をしていただき、大変ありがたいのですが、送ってくれた写真が食べ物というのも、ルールを決めた先生らしくて、個人的には当時が思い出されて癒されます。次は、飯田アナウンサーです。
2025年に行きたい場所 金澤 聡 2025/01/10 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、この年末年始は9連休で、仕事始めが今週6日(月)だった方にとっては、おとそ気分がようやく抜けたきょうの金曜日ではないでしょうか。と思ったら、来週月曜日が成人の日で3連休を迎えるという、2025年はなんともゴールデンな年始めだと感じている方も多いかと思います。入社以来、初めて正月三が日に仕事がなく、ゆっくり休むことができました。旅行に行きたかったのですが、予約するのが遅くどこも満席、満室で断念しました。今年は、楽天やベガルタなど宮城のスポーツが、高みへ行ってほしいシーズンです。ベガルタは去年、J1昇格プレーオフ決勝まで進出し、あと1歩のところで4年ぶりのJ1舞台に立つことが出来ませんでした。悔しさを糧に、いるべき場所=J1に復帰することを切に願っています。楽天は、去年は球団史上初めて交流戦優勝を果たしましたが、シーズン通しては残念ながら結果を残せませんでした。楽天、ベガルタともに、去年は多くの若手が萌芽したシーズン。今年は、若手のさらなる成長が躍進に繋がり、秋には優勝という結果が実るのではないかと個人的には楽しみにしています。2025年は宮城のスポーツ界全体が、行きたい場所へ行けるように願っています。次は、西ノ入アナウンサーです。
私の2024年 金澤 聡 2024/12/23 2024年『今年の漢字』が、私の苗字「金」澤に入っていますが、今年の私に金メダルを上げたくなるようなことはなかったですし、もちろん裏金はありませんので、私の苗字ほど「ふてほど」かもしれません。(そうです、これが言いたかっただけです。失礼しました。笑)振り返れば、今年もあっという間に過ぎた1年でした。時間や時代、流行はとてつもない速さで前進していましたが、私だけ思考回路は現状維持のまま、むしろ後退しているような感覚でした。今年の私にタイトルを付けるならば、「慣性の法則2024」でしょうか…。今年は、先輩、後輩、友達関係なく、色んな人から学びを得た年でもありました。名将・野村克也元楽天監督もよく話されていた、「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」。自分に関わる人や物事、見聞きしたことはすべて自分に何かを教えてくれる師であるという意味ですが、それが身に染みた1年でもありました。来年はより謙虚に、誰にでも「50-50(フィフティ・フィフティ)」に接したいと思っています。(今回は、偶然、たまたま、流行語的な言い回しになりました…すいません、笑)2024年の「アナ・ログ」はこれが最後となります。今年も「アナ・ログ」をご愛読いただきまして誠にありがとうございました。来年の「アナ・ログ」のスタートは、1月6日(月)です。梅島アナウンサーから始まります。皆様により楽しんでいただけるブログをお届けできるようアナウンサー一同も楽しみながら精進して参ります。来年も、仙台放送アナウンサーによる「アナ・ログ」を何卒、宜しくお願い申し上げます。少し早いですが、皆様、良いお年を!
今年やり残したこと 金澤 聡 2024/11/29 今年やり残したことを、そこはかとなく書きつくれば…、読みたい本を相当数購入はしましたが、読了しないまま枕元にうずたかく積み重ねられています。速読法を身に付けないと年末までには読み終えることはできなさそうです。録画したスポーツ中継、ドラマも見ていないものがたくさん残っています。映画もたくさん見逃しました。有料配信で年明けに見ますかね…。特に「やり残した感」が強いのは、宿泊旅行です。自分の仕事、子どもたちの部活などで、今年は全く家族のスケジュール調整ができず、家族全員揃って宿泊しての旅行にはいけませんでした。子どもたちが大きくなるにつれ、子どもたちのスケジュールも密になり、土日祝日を利用しての旅行も難しくなってきました。実はそれよりも、子どもたちは親と一緒に旅行するより友達と遊んだほうが楽しいというのが、一番の理由だというのも分かっているんですけどね。それを認めたくない自分がいるのは確かです・・・笑いずれにしても、来年こそは、家族で宿泊する旅行にいけることを願っています。次は、西ノ入アナウンサーです。
私の寒さ対策 金澤 聡 2024/11/22 私は新潟県の雪国育ちです。「雪国で育ったので、寒さは平気でしょう?」とよく聞かれます。ご期待に添えず申し訳ありませんが、雪国で育ったのは30年以上前の話で、寒いものは寒く、寒さの耐性は正直なく、冷え性で寒がりです。子どものころは、友達と雪遊びをしたり、クラブ活動でクロスカントリースキーをして汗だくになっていましたが、汗をかいた後、急激に冷えて寒さが襲いブルブルと震えたのを覚えています。汗をかいた後の対策として、背中と体操着の間にタオルを入れていました。タオルが汗を吸収して、運動後に背中から抜き出す瞬間の何と爽快なこと!風邪予防にも適していたと思います。学校から配られる家庭用のプリントに、『今週はスキー授業がありますので、“背中にタオル”を必ず忘れずに!』と書いてあった記憶があります。いまは発汗作用に優れたジャージがあるので、「背中にタオル」は無用かもしれませんね。寒さ耐性のない雪国育ちは、冬は、アツアツの辛い鍋で汗をかいて寒さを凌いでます。鍋の時は、さすがに背中にタオルは入れませんけど。次は伊藤アナウンサーです。
人生最大の「激走」 金澤 聡 2024/11/05 大年寺山に社屋があるときの話です。当時、会社から200mほど近くの社宅に住んでいました。距離は近いのですが、社宅から会社までは、勾配の急な登りの坂道。歩いて登っても結構息が切れる曲がりくねった道のりです。とある日の事です。朝6時のニュースのOAのため、早朝に出社する勤務の日。目が覚めて、目覚まし時計を見ると時刻は5時55分。「うぁぁぁぁーーー!」の雄叫びの後、慌てて会社に電話。「あと5分以内に出社します!!」と告げ、スーツに着替え、ネクタイを握りしめたまま、社宅を出ます。坂道を猛然とダッシュをしますが、なかなか前に進みません。気力を振り絞って、足を前に出しますが、スピードは上がらず、腕時計を一瞥すると、OAまであと15秒、会社までは残り100m。もうダメだと、道路で膝を屈し、バタッと倒れ込んだ瞬間に、目覚まし時計がけたたましく鳴り、ガバッと起き上がり目が覚めます。夢か…絶対に遅刻できない早朝勤務のときは、こんな激走する夢を何度も見ました。いま思い出しても油汗が滲んできます…ちなみに、遅刻したことはありません、笑。激走のイメージとは対極にある、ラクダがゆっくりと動いているような写真を選びました。(鳥取砂丘ですけど・・・)でも、今では、目覚まし時計より早く起きることがほとんどですけどなぜでしょうか。25年前と何かかわったことがありましたかね??次は、西ノ入アナウンサーです。