東日本大震災13年 金澤 聡 2024/03/19 私には息子が二人います。次男は東日本大震災が発生した2011年に生まれました。小学校を卒業し、この春から中学生になります。この年の宮城県内の出生数は18,062人です。2011年に生まれた子供たちに震災の認知度調査を行った結果、東日本大震災発生年月日を正確に回答できなかった児童が2割弱もいたという新聞記事を読みました。驚いたのと同時に改めて震災を伝える重要性と責任を感じました。宮城に存在するプロスポーツチームは震災発生直後から支援物資の運搬や炊き出しなどの復興支援に携わりいまでも被災地訪問などの社会活動を通じて震災復興を続けています。実際には震災を経験していない選手が増えていく中で被災地チームの存在意義をチーム全体で共有し継承しています。毎年3月11日午後2時46分に震災で犠牲になられた方へ哀悼の意を表し黙祷を捧げています。「2011年3月11日」発生年月日とともに震災の教訓や命の尊さを伝えていきたいと思います。※写真は、今年の荒浜の海岸です次は堤アナウンサーです。
最近こんなことしています 金澤 聡 2024/02/27 仙台放送では、3/24(日)まで『ゴールデンカムイ展』を開催しています。『ゴールデンカムイ』は「週刊ヤングジャンプ」(集英社)に連載されていた漫画です。明治末期の北海道・樺太を舞台にした金塊をめぐるサバイバルストーリーで、アイヌ文化も丁寧に描かれています。この漫画にうちの小学生の息子が夢中…、いわゆる“ドハマり”しまして、去年の夏、函館で開催の『ゴールデンカムイ』展に行きたいと懇願され父子ふたりで夏休みに聖地巡礼に行ってきました。私は単行本全31巻(集英社)を慌てて一気読みしてから函館に向かったので、内容把握も薄いままの展覧会となりました。息子が興奮して展示物を凝視している横で、私が適当に相槌を打っているとそのうち何も話しかけてくれなくなりました。なんとも言えない虚しさと寂しさを感じました。そして、今回は仙台での開催!息子は仙台開催も行きたいということなので、私にとってのリベンジの舞台がやってきました。今回は、当然意気込みが違います。しっかり全31巻を熟読して臨みます。読み返してみると迫力ある戦闘シーンとスリリングな展開の中にアイヌの文化と精神がうまく織り交ぜられていて「生きるとは?」「民族とは?人間とは?」「自然と共存するとは?」など色んな事を考えさせられます。ユーモアもたっぷり散りばめられているのがミソです。(“オソマ”ではありません! ※ゴールデンカムイをお読みになっている方にはお分かりになるかと…すいません)ですから、最近は専ら『ゴールデンカムイ』を読み返しています。あっ、今回の『ゴールデンカムイ展』は金曜日が「白石吉竹フライデー」ですので金曜日に行く予定です・笑次回は、佐藤拓雄アナウンサーです。
寒さの話あれこれ 金澤 聡 2024/02/15 先月、番組で中継するため新潟県村上市に行ってきました。村上市は新潟県の北端に位置し、山形県に隣接しています。新潟出身の私ですが、初めて訪れる地域。仙台からどのルートを通っていくのが最適なのか全くわからなかったのでカーナビで検索しました。最短・時短ルートと表示されたのは、東北自動車道と磐越自動車道の高速道路での道のりではなく、山形自動車道から国道113号線の一般道経由でしたので、それに従って車を走らせました。暖冬の影響で山形の一般道の峠に雪はなく、冬の日差しがまぶしい中、山形県南陽市、小国町を通って3時間くらいで村上市に到着しました。さて、中継も無事終えて、仙台への復路も当然行きと同じルートを選択して帰路に就きました。ところが、穏やかな往路とは一変し、帰りは夜10時近くになって山形の峠で雪が降り始め、気温も低下し路面も凍結し始めました。夕食を食べていなかったので空腹で気分も低下していた時…、そこは南陽市でした。南陽市には、辛みそで全国的に有名なラーメン屋さんがあります。雪が舞う寒さの中、もちろん夕食はその辛みそラーメン一択でした。(写真)辛みがあるので体はすぐに温まりました。一般道を通って久々遠方へ中継に出かけ、加えてラーメン屋さんが夜の11時まで営業していて、気温が低く寒くなったお陰で、熱々の美味しい食にありつけました。その後仙台までの車中で、中継した選手がパリオリンピックに出場したことを想像したら胸まで熱くなりました。(すみません、寒さの話ではないですね。どちらかといえば、熱さですかね…お許しを…)次は、飯田アナウンサーです。
試験の思い出 金澤 聡 2024/01/23 大学入試が終わってすぐに普通自動車免許を取得するために自動車教習所へ通いました。マニュアル車(MT車)かAT(オートマ)車限定の選択は、迷わずマニュアル車にしました。私が物心ついた時から両親がマニュアル車を乗りこなす姿を見てきているので、至極当然の流れで迷わずマニュアル車を選択しました。いまでも両親はマニュアル車一筋の現役ドライバーです。年齢も年齢なので、そろそろ運転免許証の自主返納を考えてほしいかなと思っています。さて、いざ教習所へ通ってみるとマニュアル車で苦労したのは発進時。(マニュアル車取得の方は分かっていただけるのではないかと思いますが…)クラッチとアクセルの絶妙な力加減に苦労しました。クラッチを早めに離すとエンストするし、そうかと言ってアクセルを早めに踏み込めばノッキングするので、この加減を体得するのに手間取りました。技能試験は発進と一時停止からの発進時には眉間にしわ寄せて額に汗しながら運転していたことは想像に難くありません。それでもなんとか一発でパスして最終的に免許取得にいたりました。学生の方の多くは、これからがいよいよ試験本番ですね。体調崩してエンストしないように、そして、緊張しすぎてノッキングしない事を心より願ってオクトパスくんの写真を添付します。「置くと(試験を)パスできる」とご利益があるそうですので、皆さんの願いが成就しますよう陰ながら祈っています。次は梅島アナウンサーです。
2024年どんな年に? 金澤 聡 2024/01/11 新年早々心が痛むことが多く被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。そして、震災に遭われた方の1日も早い復興をお祈り申し上げます。去年の年末、冬至の日に知人からいただいたゆずを風呂に浮かべて湯船に浸かりました。2024年はどんな年にしようか、年始のこの「アナ・ログ」に何を書こうかと思案しながらゆったりゆず浴をしました。この日は、64歳のベテラン監督が率いる全国出場常連校の県外のバレーボール部へ取材に行った日でした。取材を終えて挨拶をした後にその監督は、「この年になってもバレーについて知らないことがたくさんあります。まだまだ学ばなければならないことがたくさんあります。奥が深いし、楽しいものです。生徒たちに感謝しないといけないですね」と穏やかな表情で話されました聞いていた私も心が穏やかに温まりました。こういう監督のもとで練習ができる選手たちは幸せだろうなと思いました。湯船に浸かり、冬至の出来事を反芻しながら思ったのは、私こそ学ぶことがまだまだたくさんあるので、今年は、謙虚に学ぶ生き方を志してもいいのかなということでした。この日は寒波が襲来して冷え込みが厳しかったこともありましたが新たな年に思いを馳せながらゆず風呂に入っていたら、想像以上に身体の芯から温まりました。今年は皆が温まるいい年になるといいですね。もちろん、財布もですけど…。(写真)去年の年始は、ウサギを飼っているという理由からトップバッターで「アナ・ログ」を書かせてもらいましたが、さすがに、“龍”を飼うことができませんでしたのでゆずで表現しました。色んな意味で温まります、よ、ね…。笑今年も仙台放送を何卒宜しくお願い申し上げます。次は寺田アナウンサーです。
2023年を振り返って 金澤 聡 2023/12/26 2023年は光陰矢の如しの1年でした。1年が早く過ぎることを「ジャネーの法則」というそうで、“人生のある時期に感じる時間の心理的長さは年齢に反比例する”というもの。もう少し調べてみると、”50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間にあたり、5歳の人間の1日が、50歳の人間の10日にあたることになる”とのことです。簡単に言えば、年をとるほど時間が早く経つように感じる現象のことなのだと思います。51歳の私。時間が早く感じる訳です。まず、一日が早い。ついさっきまで朝だったのが、もう日が暮れています。そして、一週間があっという間。きのう見たサザエさんをまたきょうも見ている感覚。「カツオの着ているトレーナーの文字 ”K” は”カ”ツオの ”K”か…」と思っている自分が連日いるような感覚です。サザエさん症候群になる暇もないくらい1週間はあっという間です。そんなことを考えているうちに、1カ月が過ぎ、半年が過ぎ、猛暑も一瞬で通り過ぎ、紅葉もページェントも秒で終えて、年末を迎えたこの1年です。ふと、ベッドの周りを見てみると、読みかけの本が10数冊も堆く積み重ねられています。私の場合、時が経つスピードと読書のスピードは反比例しているようです。残り5日、5歳児であれば50日ありますで、童心に帰り全て読み終えて新年を迎えたいと思います。こんな1年のまとめで反省しております…。写真:6月くらいにスーパーで買ったアボガドを食した後、試しに種を植えてみたらこんなに成長しました。植物の生育をジャネーの法則に当てはめたら…うーん、無意味な思考ですね…今年1年「アナ・ログ」をご覧下さり誠にありがとうございました。来年は皆様にとって良い1年となる事を陰ながら祈っております。少し早いですが(51歳にとっては一瞬ですが…しつこいですね・汗)良いお年を。次は千坂アナウンサーです。
冬に思うこと 金澤 聡 2023/12/07 冬はいちご。いとつきづきし。(注:つきづきし=似つかわしい・ふさわしいの意)私の冬のイメージはイチゴです。おそらくクリスマスケーキの印象なのだと思います。我が家はイチゴのないクリスマスケーキは、いとわろし。趣がないのです。勝手ですが…。親としてこの時期にふと思うのが、子供たちがサンタクロースの存在をどう思っているかです。実在する、しないではなく、どう思っているかです。子供たちにとっては嬉しいクリスマスです。イチゴのクリスマスケーキにクリスマスプレゼントがありますから。大事なのは、プレゼントに対する考えです。親にクリスマスプレゼントをお願いした上に、サンタさんにもプレゼントをお願いする訳です。みなさんはどう対応されていますか?いや、違いますね…、サンタさんにどう伝えていますか? 知りたいです。うちの子供たちは大きくなりましたので、サンタさんのプレゼント調達方法は知っていると思いますが子供が小さいときには、どうしたものかと悩みました。皆さんのお宅ではどうなさっているのか、ふと冬に思います。いずれにしても、朝起きて子供たちがプレゼントを見た時の表情はなんとも幸せな気持ちになります。クリスマスはあけぼの。いとをかし。です。次は、下山アナウンサーです。
そろそろ冬支度 金澤 聡 2023/11/15 きょうからテーマは「そろそろ冬支度」。私、金澤からスタートです。タイミングが悪いというか運が悪いというか、先日そんなことがありました。先月末頃、朝刊に冬タイヤの広告チラシがあるのを目にして、そろそろ車も冬支度をしないといけない時季になってきたな、なんて何となく思いました。その日、ガソリンスタンドで給油ついでにこのところ朝晩冷え込んできたので、念のためタイヤの空気圧をチェックしてもらいました。すると店員さんから、タイヤに数か所亀裂があり、すぐに交換した方がいいと告げられました。確認すると、間違いなくタイヤに数か所亀裂はありました。秋が深まってきたとはいえ、日中は20℃前後あり、まだ冬タイヤに交換するには時期尚早。とはいえ夏タイヤは交換必須。あと3~4週間で冬タイヤの交換時期だというのに、このタイミングで夏タイヤを購入するという運のなさ。もちろん自分と家族の安全を考えてその日に新しい夏タイヤに交換しましたが、大きな出費になりました。翌日、車のエンジンをかけようとすると、なかなかかからない。何度か挑戦してようやくエンジンスタート。この状態でエンジンを切ったら、次はエンジンがかかるか保証はない…。ということで、バッテーリー交換に急いでいきました。朝晩冷えてきたからでしょうね…。経年劣化もあると思いますが…。まさかの連日の出費です。さて、タイヤを冬支度する時には亀裂やひび割れがないか、よ~くチェックします。何事もタイミングが大事です。次は、千坂アナウンサーです。
力を付けたいときに食べるもの 金澤 聡 2023/11/06 力をつけたい時に食べるものと言えば、『焼肉』と答える方は多いのではないでしょうか。今は大好きで、それこそ『チカラ飯』『勝負飯』として食べることは多々ありますが、小学生の時まで何故か肉全般が苦手でして、焼肉屋さんやBBQに行ったときは、野菜しか食べませんでした。ピーマンとご飯でお腹を満たしていたのを覚えています。いつ、どういうきっかけで肉が好きになったのか記憶がありませんが、当時肉を好きなってくれた自分を本当に褒めてあげたいと思っています。“でかした自分!”さて、現在、力をつけたい時に食べたいものは、「唐揚げ弁当」です。私にとって仕事で最も力をつけたいときは、スポーツ実況の時。実況前に、必ず食べるのが写真の唐揚げ弁当です。10年以上もこのお弁当にお世話になっているので、ある意味ファミリーです。(あれ?おかしなことを言ってます?)これしか食べたくありません。ファミリーですから。中継弁当がハンバーグやカレーのときも当然ありますが、そういう場合は、実況後に食べたりします。唐揚げ弁当を食べなくても実況が自分なりにうまくできたことはありますが、そこはかとなく違和感があるような感じがします。試合2時間前に唐揚げ弁当を食べて、いざ実況開始!これが私のルーティン。面倒くさいと思っているディレクターがいるのは知っています(笑)このルーティンで実況が上手くいったとき、心の浄化と開放感、まさにカタルシスを感じます。“でかした自分!”唐揚げ弁当こそが力をつけてくれるマイファミリーです。(あれ?おかしなこと言ってます?)次は梅島アナウンサーです。
マラソンあれこれ 金澤 聡 2023/10/20 小中学生のころは持久走が得意でした。35年以上も前の話です。いまではその形跡が跡形も微塵も残っていませんが…とにかく走ることが好きでした。学校の駅伝の選手や地域の選抜選手に選ばれたこともありました。走るたびにタイムが良くなっていく過程が、RPG(ロールプレイングゲーム)の主人公のレベルアップと似ていて自分の経験値が高くなっているような感覚が楽しかったのを覚えています。まさに “ランナーズハイ” を感じていたのだと思います。その当時、日曜日の朝に子供たちのマラソン大会を放送するテレビ番組がありました。走るコースは、主に皇居の周りでした。実況は志生野温夫さん、コント赤信号さんと日高のりこさんが司会の番組で低学年の部と高学年の部に分かれてそれぞれ優勝を競うものでした。(おそらく20代30代の方はご存じないと思います…)私もこの大会に出たくて出たくて何度も何度も応募しましたが、残念ながら一度も当選されませんでした。その番組が放送されなくなると、一気にマラソン熱は冷めて他のスポーツへと興味が移っていきました。私の走るモチベーションは、テレビに映って優勝することだったのかもしれませんね…。あれから40年近くが経ちますが、やっぱり走っていません。トライしては止め、挑戦してみては断念を何度も繰り返すという、精神的な持久力がなく困っています。せめて、5年ぶりに再開する『東北・みやぎ復興マラソン2023』(11/5開催)で颯爽と走るランナーの皆さんを全力で応援させていただければと思っています!(写真は、国立競技場で行われたパリvsインテルの試合開始前の様子です。あの当時私は大人気サッカーマンガ・アニメの影響で陸上からサッカーへ。やはり色んな持久力が足りないようで…)次は、飯田アナウンサーです。