アナ・ログ

言葉にまつわる話

寺田 早輪子

2024/05/21

最近、うれしかった言葉、第一位は…、

「VTRに命を吹き込んでくれて、ありがとうございます!」

これは、ある番組のナレーション収録を終えてブースを出た時に、担当ディレクターからかけられた言葉です。正直、涙が出るほど嬉しい言葉でした。

アナウンサーになって以来、様々な研修を受けてきましたが、若手の頃はいつも「読んでいる」と講師に指摘されていました。「伝える」と「読む」の違いがよく分からず、戸惑っていましたが、当時の私は、気持ちを込めている「つもり」になっていたのだと思います。

その「つもり」を取っ払うことができたのは、災害取材を経験してからのこと。
やり場のない怒りや悲しみを抱えながら、それでも歯を食いしばって歩んでいこうとする人々の話を聞くうち、自分の中の何かが大きく変わっていったのです。

「命」についての話を取材するうちに、「命は何にも代えられない、大切なもの」、というメッセージをまっすぐに伝えたいという思いが湧いてきました。「小手先の表現などは決してしてはならない」、そう強く思うようになったのです。

今は、言葉を発する時に心が震える感覚がある…とでも言いましょうか、心の奥底から深い声が出てくるような実感があります。

ナレーションは本当に奥が深く、難しい。でも大好きです。今もまだまだ修行中(?)の身で、勉強・研究の毎日です。正解はないのだけれど、聴く人(見る人)を想像しながら、その時々の最適解を常に追い求めています。
これからも妥協することなく、文章に「命」を吹き込む、そんな仕事をしていきたいです。

☆写真は…、「千坂紗雪アナウンサー検定」を収録しました。YouTube仙台放送アナウンサー公式チャンネルで、近日公開!

アナ・ログ、続いては高橋咲良アナウンサーです。

昭和

寺田 早輪子

2024/05/01

「昭和」が終わったのは、私が小学6年生の時のお正月でした。「昭和64年」は冬休み中にあっと言う間に終わり、次に登校した時には「平成元年」に。子供ながらに「今、歴史の大きな転換点を生きている」という実感がありました。
ですから、私は小学校が昭和の最後の年度である「昭和63年度 卒業」で、中学校が平成最初の新入生「平成元年度 入学」。ちょっと自慢です。

ところで、今年の春、我が息子は中学1年生になりました。初めての学ラン、初めての電車通学、初対面の先生やお友達、そして、初めての部活。初めてづくしで、親の方が緊張の毎日です。

入学式翌日の朝の登校時、息子に「ついてこなくていいから」と言われたものの、心配性の私は、こっそり息子を尾行。すると、駅で早速、友達と合流し、おしゃべりしながら楽しそうに学校へ向かう様子が見られました。ほっと一安心し、探偵ごっこは終了。

昭和生まれの私が中学生の時は、初対面の友達とこんなに早く打ち解けられたかしら…?もっと人見知りだったよなあ…と思うと、
「令和」の中学生の適応能力はすごいなと感じる、今日この頃です。
ちなみに、息子に怒られるので、尾行はもうしません。

☆写真は…、息子の通学用の革靴と私の靴。靴のサイズもあっという間に私より大きくなりました!
アナ・ログ、続いては堤アナウンサーです。

春と言えば!

寺田 早輪子

2024/04/22

春はテレビ各局のサクラ中継が楽しみです。
今年も全国各地のサクラの名所から、テレビ各局のアナウンサーが、「美しい」サクラを「美しい」という言葉ではない、別の様々な表現で、見頃のサクラの様子を生中継で上手に伝えていました。サクラ中継は「言葉のプロ」である我々アナウンサーの、まさに腕の見せ所です。
近年はサクラ中継というと若手のアナウンサーが担当することが多く、「新人アナウンサーの登竜門」のような印象のある仕事でもあります。
私も新人の頃に、全国有数のサクラの名所・青森県の弘前城から全国生中継リポートを担当しました。ガチガチに緊張し、覚えた文言を間違いなくしゃべることで精一杯になってしまって、目の前で咲き誇るサクラとお城の、まるで絵画のような景色の素晴らしさを、思うように伝えきれなかった思い出があります。その悔しさは今も忘れることができません。
でもそんな悔しい経験が、「何を伝えたくてアナウンサーになったのか」と、苦しい時にはいつも自分に問いかけ、自分を奮い立たせるきっかけになりました。あの失敗があったからこそ、「伝える仕事の本質」と、今もしっかり向き合うことができていると思うのです。

お花見のたびに、新人アナの頃の苦い思い出が蘇りますが、サクラは私を前向きな気持ちにもさせてくれるのです。
今年のお花見でも、苦い思い出を日本酒と一緒に、クイっと飲み干したいと思います。

☆写真は…、仙台市・西公園のサクラです。
アナ・ログ、続いては梅島アナウンサーです。


新年度 2024

寺田 早輪子

2024/04/04

私)「もう中学生!」
息子)「まだ小学生!」
ここ最近、私と息子が何かにつけ、口にしているやりとりです。

我が息子は、新年度、中学校に進学します。
先日、注文していた中学校の制服が届きました。
早速、試着させると、肩の辺りや袖丈がかなりぶかぶか。制服を「着ている」というより、制服に「着られている」ような様子。それでも、ランドセルを背負って小学校に通っていた息子とは明らかに違う凛々しさが漂い、「もう中学生だね…」と感慨深く言葉をかけると、息子は照れながら、「まだ小学生!」と返してきました。

息子にとっては初めての制服。照れくさい思いや、新たな環境に飛び込む前の緊張でいっぱいなのでしょう。
かく言う私も、「思春期の息子の母」1年生となるこの春は緊張でそわそわしています。
きっと、あれやこれやと口や手を出し過ぎると嫌がられるので、じっと我慢の日々になることと思います。そばにいることしかできないけれど、「困った時にはいつでも話を聞く」、そんな気持ちで、成長を静かに見守ろうと思います。

☆写真は…、近所にある仙台市の榴岡天満宮。3月下旬、梅の花がキレイに咲いていました。榴岡天満宮には息子の小学校入学前に「ランドセル祈願」でお世話になりました。

アナ・ログ、続いては伊藤瞳アナウンサーです。

東日本大震災13年

寺田 早輪子

2024/03/18

私が長くお話をうかがい続けてきた方々の願いが、東日本大震災発生から13年を前に、ようやく形になりました。
七北田川の河口付近にあった蒲生・中野地区。その歴史や自然、震災前の街の様子、そして、地区の中心にあった仙台市立中野小学校の記憶を展示・紹介する『蒲生なかの郷愁館(がもう・なかの・きょうしゅうかん)』が今年3月3日にオープンしました。

震災発生後の取材をきっかけに10年以上、お話をうかがっているのは、津波で被災し、閉校した中野小学校の学区に代々、暮らしてきた住民の皆さんです。
高齢のご夫婦やそのお子さんたち、お孫さんたち、そして地区の中心にあった中野小学校に勤めていた先生ともつながり続けています。明治時代の開校から143年の歴史があった中野小。「うちは四代続けて、家族みんな中野小の卒業生だ!」と誇らしく話す住民も多く、地域の思い出がいっぱい詰まった場所でした。

七北田川の河口付近にあった集落は津波で流され、家並みの続いていた震災前の景色は、今はもうありません。中野小も津波で被災し、校舎は解体され、震災から5年後、閉校したのです。
故郷を根こそぎ失われた住民の皆さん。
お会いするたびに話していたのは「心の中に生き続ける故郷の様子を後世に残したい」という思いでした。

住民の皆さんが中心となり、様々な協力を得て準備してきた「思い出を展示する場所」。
『蒲生なかの郷愁館』は、震災後、地区に新たに建設されたバイオマス発電所内にオープンしました。
展示室には、日本一低い山として知られる「日和山」やコアジサシの声が響く「蒲生干潟」などの、地区の震災前の様子を再現した模型や、中野小の体育館に掲げられていた校歌のレリーフなどが並んでいます。オープン初日に訪れた元の住民の皆さんは、それらを懐かしそうに眺めながら、思い出話が止まらない様子でした。それを見て、私もまるで故郷に帰ってきたような気持ちになりました。

取材中、住民の方々に何度か聞かれたことがあります。
「寺田さんって蒲生の出身なの?」「中野小の卒業生なの?」と。
「違います、福島出身です」と微笑みながら伝えると、こうした言葉が返ってきました。
「こんなに一生懸命に蒲生や中野小学校を取材して伝えてくれているから、てっきり、ここの出身なのかと思ったよ!」
とても嬉しい言葉でした。
お話を聞きながら、かつての蒲生・中野地区を想像し続けるうち、私にとっても故郷になっていたのかもしれません。
この「想像する」ことが、震災を伝える上で一番大事なことだと感じます。

もし、自分の故郷が、根こそぎ無くなってしまったら…
思い出の詰まった帰るべき家が土台ごと流されてしまったら…
大切な家族と、ある日突然、会えなくなってしまったら…

そんな現実を多くの人にもたらしたのが東日本大震災でした。
二度と、災害で同じような思いをする人が出ないように…
今すぐに出来る防災対策は、「想像する」ことです。
『蒲生なかの郷愁館』を訪れ、あなたも「想像」してみてください。

☆写真は…、『蒲生なかの郷愁館』にて。中野小学校校歌のレリーフです。
アナ・ログ、続いては金澤アナウンサーです。

最近こんなことしています

寺田 早輪子

2024/03/07

最近、20代の後輩に教えてもらった裏技にハマっています。
それはスマホでの画像撮影時に、縦にしたスマホの上下を逆さまして撮影すること。
後輩の言うところによりますと、こうして撮影することで足が長く、スタイル良く映り、目が大きくに写るというのです。
半信半疑で撮影してもらったところ…、心なしか後輩の言うようにスタイル良く、目もクリクリと大きく写っている!気がしました!

それ以来、自撮りもスマホの上下を逆さまにして撮影。
なぜそうなるのか?その仕組みはよく分かっていませんが、撮影する際、いつもの調子でカメラのレンズが付いているスマホ上方を見つめながら撮ると、いつもより目玉がうるうると輝いて写る!気がします!(添付の画像をご参照ください。)
皆様もぜひお試しください。

アナ・ログ、続いては下山アナウンサーです。

寒さの話あれこれ

寺田 早輪子

2024/02/07

先日、息子の小学校の通学路で旗振り当番を務めてきました。
カイロを肩甲骨、お腹、腰に貼り、十字路交差点の横断歩道で、「横断中」と記された旗を振り、登校する児童たちを見送りました。
子供達の元気な「おはようございます!」に励まされ、寒さも吹き飛びました。

年に何度か回ってくるこの役割を果たすとき、私はいつも「どうか事故がないように…」と祈るような思いで務めを果たしています。

というのも、実は私、小学1年生の下校時に、信号機のない横断歩道で車にひかれたことがあるのです。
当時、私は横断歩道で手を挙げて、車が止まるのを確認してから渡ったのですが、止まってくれた車のすぐ後ろの車が、追い越しをして横断歩道に侵入。もう少しで横断歩道を渡り切ろうとしていた私をはねたのです。まだ小さかった私はかなり高く跳ね飛ばされたようですが、奇跡的にもランドセルを背負っていた背中側から着地。頭や体を強打することなく、足に擦り傷を負っただけで事無きを得ました。

ただ驚くのは、ここから。直後に、運転していた男性が車から降りてきて、放心状態の私に声をかけてきたのです。
「おねえちゃん、大丈夫?」
「うん」

返事を聞くと、その男性は車で走り去ったのでした。
当時の私にはまだ理解できなかったのですが、私はひき逃げされたのです。
その後、運転していた人がどうなったのかは聞かされていません。

今朝も旗を振りながら、ふと子供の頃の事故を思い出してしまいました。「あと少し、早く走っていたら、車に真正面からひかれていたかも…」「頭から着地していたら、あるいは…」と、当時を思い出すたびに身震いするような思いに襲われます。
交通弱者の子供たちを守るには、私たち大人の行動が本当に大切と、心から思った朝でした。

アナ・ログ、続いては千坂アナウンサーです。

試験の思い出

寺田 早輪子

2024/01/25

78才の母。今、猛勉強中の受験生です。
来月予定されている「漢検」(日本漢字能力検定)の2級合格を目指して、辞書を引きながら問題集に日々、取り組んでいます。
孫が勉強する姿に触発されたのか、去年、突然「漢検に挑戦する」と言い始めた母。
去年は「3級」に挑戦し、見事合格!自信をつけたのか、今年は「2級」に挑戦することに。
私が子供の頃は、仕事に、家事に、忙しくしていた母。机に向かって勉強する姿は、新鮮です。向上心にあふれ、合格目指して奮闘する様子には本当に頭が下がります。

ただ、道は険しいようです。3級は70%程度正解で合格となるそうですが、2級になると合格基準は80%程度に!難関です。母が学習している2級の問題集をちょっとのぞき見したのですが…、読めるけれど書けない…、送りがなを間違ってしまう…といった問題もありました。

では、母が学習している問題集から一問、ご紹介します。

Q.次の______部を漢字一字と送りがな(ひらがな)に直せ。
「何ともナゲカワシイ事態だ。」

正しく書けましたか???
普段、パソコンやスマホが賢く変換してくれる状況に慣れ切ってしまった私ですが、母と一緒に勉強しようかと、考え中です。

☆写真は、母の問題集&ノート。虫眼鏡で辞書を見ています。

アナ・ログ、続いては千坂アナウンサーです。

2024年どんな年に?

寺田 早輪子

2024/01/12

2024年。辰年。今年、私は年女です。十二支で唯一、存在しない生き物の「龍・竜」。
子供の頃は動物園に行っても、「私の干支の動物だけいない…」と寂しい思いをしたものです。
水族館で初めて、生きている「龍・竜」に会った時は、衝撃でした。水槽の中を浮遊していた「タツノオトシゴ」。テレビや絵本で見ていた力強い昇り龍などのイメージからは程遠い、そのユラっとした動きに釘付けになりました。風まかせならぬ、水流にその身をまかせて、ゆったり浮かぶ小さな小さな生き物に、感動すら覚えました。
今年一年、「昇龍のごとく、今年は運気上昇で!」と願いつつも、「タツノオトシゴ」のように、肩の力を抜いて平穏に過ごせる、そんな一年にしたいとも思っています。
今年のどうぞよろしくお願いいたします。

☆写真はめでたいイメージで撮りました♪千坂アナ、堤アナ、咲良アナと。

「アナ・ログ」、続いては、梅島アナウンサーです。

2023年を振り返って

寺田 早輪子

2023/12/25

2023年。皆様、今年も一年お世話になりました。
私にとってこの一年は、初めて制作番組のディレクター業務に挑戦したり、大人の女性の健康をテーマに初開催した座談会の司会を務めたりと、初めての経験を通して、たくさんの人々との出会いにあふれた日々でした。
また、仕事でも、プライベートでも、コロナ禍の行動制限が明けて、今まで会いたくても我慢してきた友人や親戚、お世話になった方々にやっと会うことができ、久しぶりに大好きなお酒を酌み交わすこともできました。楽しい時間と空間を、大切な人たちと直接会って共有できた一年でした。
年末恒例の今年の漢字一文字を表現するならば、私の場合は迷わず、「会」です。
人と会って、言葉を交わす。コロナが流行する前の日常は、当たり前ではないということを実感しました。相手と向き合って会話することが、私の心の栄養になってきたのだと、つくづく思います。

来年も、「はじめまして」と「お久しぶりです」を言える機会に多く恵まれますように。そう祈りながら、12年に一度の「年女」となる2024年を穏やかに迎えたいと思います♪

☆今年は、披露宴にも久しぶりに出席できました!!素敵な披露宴にうっとり。
「アナ・ログ」、続いては金澤アナウンサーです。