アナ・ログ

夏休みの思い出

林 佳緒里

2007/08/10

10歳下の妹と2年前に行った“初の姉妹旅”。舞台は、アメリカ・オーランドにある“ディズニーワールド”でした。

きっかけは、入院をしていた妹の快気祝いにとの親からのリクエストでした。そこで選んだのが“ディズニーワールド”。

私は父の仕事で3歳までアメリカで生活をしていて、家族で行った初めてのテーマパークがディズニーワールドだったんです。だからそんな思い出の場所に今度は妹と行ってみたい!と思っていました。

ほぼ30年ぶりに行ったディズニーワールド。こんなに広かったものかといきなりの衝撃。テーマパークが4つという広さに日本にはないアトラクションもたくさん。(写真はテーマパーク「エプコット」で)

1日1パーク、ファーストフード片手に朝から晩までアトラクションめぐり。しまいには妹に「お姉ちゃん若いふりしないでゆっくり行こうよ、怪我するよ」と言われる始末。その時私29歳、妹19歳。私の奮闘ぶり目に浮かびます?今振り返ると、妹の快気祝い?を兼ねて行ったはずが、私が一番はしゃいでいたような・・・。とにかく子供から大人までの心をつかむディズニーの魅力をあらためて感じさせられました。
あっ!肝心の妹はというと・・・。こちらも私が見る限り相当楽しそうにしていたので、良しとしましょう。

一緒に行きたかった夢が叶った姉妹旅。
普段はゆっくり話す機会がないだけに、そういう意味でも楽しく貴重な旅でした。

2007/08/09

寺田さん、だから、ないですって。惨めになるのでもう勘弁してください。

夏休みといえば、僕の場合『青春18切符』!5枚1つづりで12000円、1枚で1日JR乗り放題(鈍行限定)。夏休みなど大きな休みの時にJRが販売します。うまく利用すれば1日2400円でかなりの距離を進むことができるのです。大学時代はこの切符を使って、夏休み1人で、時には友達と国内ローカル鉄道の旅に出かけていました。
地域独特の列車に乗り込みガタゴトガタゴト。のんびり揺られて、読書に更けたり景色を眺めたり。目的地に着いたら観光はもちろん、その土地ならではの食を食べ歩く。何だか世界と時間を贅沢に楽しんでいる気分になります。

ただ九州へ男友達2人と向かった時、あれは凄かった。まず横浜駅を午前0時過ぎに出る「ムーンライトながら」という夜行列車に乗り込みます。そして午前5時頃、終点、岐阜県の大垣駅に放り出され、あとは鈍行列車に乗り換えて西へ、何度も乗り換えひたすら西へ。お昼に関西地方、夕方に中国地方を通過し、博多駅に着いた時には午後9時。なんと21時間電車に乗りっぱなし!1日経っていないので、使用する青春18切符は1枚。たった2400円で九州まで行けてしまったのです。

とはいっても21時間の乗車。最後は会話のネタが完全になくなり、言葉を発しなくなります。お尻は長時間座り続けたことで激痛。座るのが嫌になり、ならばと立っていたら足はパンパン。景色は見飽き、本も読み飽き、寝ようにもそれまで何度か居眠りしているのでお目目パッチリ。本当にやることがない。博多に着く頃には全員疲労困憊、ぐったり放心状態でした。
ようやく博多駅に着いて、真っ先に屋台で食べた博多ラーメン。あれは格別だったなぁ。疲れきった全身と心に染み渡りました。その後も九州を南下して、阿蘇山を徒歩で登って牛に囲まれるわ、靴の裏がフンだらけになるわと、エピソードはまだまだあるのですがこれ以上書ききれないので今回はここまでということで。

時間と体力を要する旅ですが、それができたのも学生時代有り余るほどの時間があったからこそ。社会人になってからはなかなか実現が難しく、今となっては最高の思い出です。あ、でも今年の夏休みはこれからか。久方ぶりにどこかへふらっと行ってみようかな。

続いては林アナです!林さんも旅にまつわる思い出だとか。

寺田 早輪子

2007/08/08

出射さん?私の夏休みの『リッチ&ラグジュアリー』な過ごし方をお教えしましょうか?
それは…、『蒸し暑い夏の夕食時、窓を開け、蚊取り線香を焚き、スイカを食べながら、テレビでプロ野球のナイターを見る!』これ!夏の夜は、これで決まり!
 子供のころから、寺田家の夏の夕食時は、こんな感じでした。
甚平姿でビールを飲む父と、近所の酒屋からケース買いしていたサイダーを飲む弟と一緒に、ジャイアンツの『4番 サード 原辰徳 背番号8』を応援するのが大好きでした。
今でも、蚊取り線香の匂いをかぐと…、スイカを食べると…、ナイター中継を見ると…、
あの夏休みの思い出がよみがえります。
 …プロ野球と言えば、子どもの頃、私と弟は、「プロ野球を球場で観たい!」と、よく父にせがんでいました。実家のある福島県にはプロ野球の本拠地がなかったため、父は、頭の中で、家族4人分のチケット代、旅費…などなど、色々、計算してしまったのでしょう。
「プロ野球は、テレビで観るものなのだよ。球場で観ているのは、選手の家族だけなのだよ。」と言い切っていました。
仙台には、楽天イーグルスがあります!今年の夏は、フルスタ宮城で!思う存分!マー君を応援しようと思います。
続いては、今年は、どなたと夏休みの思い出を作られるのでしょうか?板垣さん?

2007/08/07

この写真、ホテル仙台プラザのマンゴーココナッツというケーキです☆夏のあじわいです♪
と今なら自由に夏を満喫できますが、中学と高校では水球部に所属していたので、夏休みは全て練習!暑い時期にプールなんて気持ちよさそうね、とよく言われたものですが、その練習といったら・・・。
ちなみに水球って何!?という方のために簡単にご説明します。プールの中でするハンドボールみたいなものです。英語ではwater poloといいます。イギリスで、ポロにヒントを得て水中で樽に乗ってポロみたいなゲームをしたところから始まっているとか・・・。プールの深さは2m以上とされているので浮いている時はシンクロナイズドスイミングのように「巻き足」します。今は樽は使いませんから、とにかく泳ぐのがまず基本。泳力がなければドリブルもシュートもできません。だから練習では競泳と同じようにひたすら泳ぐ+シュート練習などボールを使う練習をするわけです。
私の通っていた中高のプールは屋外でした。5月の連休に入る頃にはプールで練習開始!寒くて寒くて真っ青になっていました。「寒い!」と言えば、その瞬間に「寒いなら体を温めるためにダッシュ10本」と先輩に怒鳴られます。さらに「風邪をひいて熱があります。」と言えば、「プールの水で冷やせ」と言われる、なんとも体育会系の部でした(^^;)
そして待ちに待った夏の日差しのもとでの練習。水の中で汗をかく(イメージ)ほどのつらさ。日差しで「焼ける」より「焦げ」そうですし、ひたすら泳ぎ続けるのでかなり体内でエネルギーが燃焼している感じです。休憩時間が少なく、のどが渇いてプールの水を泳ぎながら飲んだこともありました。それを人に話すと「汚い!」と言われてしまいますが・・・。今でも夢に見るくらい強烈な思い出です。

水球は日本に入ってきた時に恐らく水球と訳されたと思いますが、「水球」の字面を見るとなんだか地味な印象がぬぐえないのはなぜでしょうか。野球、蹴球、庭球と同格だと思うんですけどね・・・。水球がメジャーな国、イタリアのセリエA(サッカーじゃないですよ!)には日本人選手がいるというのに!(泣)
さてさて、次は、夏休みはリッチ&ラグジュアリーに過ごしそうな寺田おねえさまでーす!

佐藤 拓雄

2007/08/06

僕が小学生の頃の夏休み、というと、必ず思い出されるのが、「特急ひばり」です。クリーム色(肌色?)の車体に赤いライン、車両に近寄ったときのモワッという温度や独特のにおい、上野駅の蒸し暑さ、列車の中で食べた冷凍ミカンやホタテの貝柱。どれも五感でよみがえってくる感じです。
向かう先は、いつも郡山。夏休みと言えば、必ず郡山でした。福島県の郡山市です。父の実家があり、祖父母に会いに行くのが、恒例行事になっていたのです。
当時はまだ東北新幹線開業前。東京に住んでいた僕たちは、上野発の「特急ひばり」に乗って郡山へ行く日を、何日も前から指折り数えて楽しみにしていて、それこそ前日は興奮して眠れない、なんてこともあったような気がします。
郡山には4~5日泊まるわけですが、特にビッグイベントがあるわけでもなく、せいぜい阿武隈洞や猪苗代湖、会津若松の鶴ヶ城を見に行ったことがあるくらいで、ほとんどは、祖父母の家の周辺で過ごしました。新鮮なトウモロコシやトマトを縁側で食べたり、近所の駄菓子屋で買い物したり、近くの公園で模型飛行機を飛ばしたり。
大人になって考えると、ホント、なんでもないことばかりをして過ごしていて、どこにも行ってないよなあ、と思います。でも、それでも、子ども心には楽しくて仕方なかった大切で幸せな思い出。つくづく「モノより思い出」だなあと思いますし、自分の子どもたちにも、「モノより思い出」をたくさん作ってあげられるといいなと思っています。

写真は、撮りたてホヤホヤ、今年の夏休みの思い出の一枚です。家族で沖縄へ行ってきました。本島のちょっとした離れ島のビーチです。文字通り透きとおった海に一家で大感激!ひざ上くらいの浅いところなのに、ちょっと水の中を覗くと、熱帯魚がたくさん泳いでいました。
子どもたちが大人になったときに「モノより思い出」と思える旅行になっていればいいと思っています。

それにしても、「特急ひばり」の終着駅・仙台に住むことになろうとは、その当時は、夢にも思いませんでした。人生は不思議です。

続いての出射アナウンサーは、今でも夢に見るほどツラい思い出があるそうです。どういうこと!?

金澤 聡

2007/08/03

小学生の頃、自分だけの秘密の木がありました。
両親にも、兄にも親友にも、誰にも教えていない木。
夏休み期間中、ほぼ毎日その木へ行きました。

ラジオ体操が始まる前の午前5時。自転車に乗って河原の方へ15分。
そこから藪をかきわけて歩いていくと、その木はありました。
その木は、ちょうど目線の高さに穴がありました。

穴の中は、樹液に群がっているカブトムシにミヤマクワガタ、ノコギリクワガタなどまさに宝庫。
さらに、その木を思い切り蹴ると上からオオクワガタが落ちてきたり、
木の周りの腐葉土を掘るとカブトムシのさなぎが出てきたりと、
当時の僕にとっては、魔法の木でした。
夢中になりすぎてラジオ体操に遅れていったことも何度かありました。

高校生のとき、堤防工事でその木は伐採されてしまいました。
カブトムシ採集に興味はなくなっていましたが、ものすごく寂しい思いをしたのを覚えています。

いまでも夏になるとあの木のことを思い出します。子供のころの夏休みのいい思い出です。


次は、二児のパパ、佐藤拓雄アナウンサー。お子さんに夏休みのいい思い出を作ってあげるんだろうな。

梅島 三環子

2007/08/02

夏休みといえば部活動。
中学・高校と、夏休みはクーラーのない実験室にこもって汗を流していました。
わたしの所属した化学部にも、ちゃんと夏トレがあるのです。

むし暑い上に、薬品臭い部室。
9月の学園祭に向け、朝から実験を続けると、帰りにはもうげっそりしてきます。


テニス、コーラス、吹奏楽にクッキング部…。
『これぞ女子校の夏!』というさわやかな風景を横目に、1人で部室に直行。
茶褐色の瓶に入った、いかにも危険な謎めいた液体を持ち、ぶつぶつと独り言をつぶやきます。
実に怪しい、悶々とした1日を過ごすのです。

ちなみに5年間の部活動で1番思い出に残っているのは、
中学1年の夏に取り組んだ水質検査。
学校の前にあったお城の堀や神社、
近くの小学校のプールに行っては水をもらい調べていました。
午前中は、水を取りに先輩とサイクリング、そして午後は部室にこもって検査。
結果にたいした違いが出てこなくて、夏休み終盤に慌てたりもしました。
まあ今となっては、いい思い出。
流れるようなさわやかな汗ではなく、じとっと、じわーっと流れる汗。
これが私の夏休みの思い出です。

続きましては、金澤アナウンサー。
楽しい夏休み、どんな思い出ありますか??

2007/08/01

きょうから8月。本格的に夏ですねぇ~
う~ん。夏休みの思い出・・・って
思い出そうとしても、思い出が見つからず・・・
( ̄□ ̄;)!!
なぜ、見つからないのか?!

毎年、夏期講習に通っていたからかしら???
幼稚園のころから、塾に通い始め、高校3年生まで、毎年欠かさず、夏期講習に行っていました。
今思えば、そんなに勉強しなくても・・・と思う。
まぁ、身についているかと言われると、全くね。
もっと友達と遊んで、旅行して、思い出いっぱい作ったほうが・・・と後悔しているんです。
別に、勉強好きなわけじゃなかったし。でも、なんか行っていないと、取り残される気がして・・・。受験戦争って怖いですね。

さらに、高校&大学時代の合わせて3年間ぐらいは、声優のレッスンにも力を入れていましたね~
新宿中央公園で、みんなと発声練習をしたり、日曜日は、声優のレッスンと・・・

夏休みも、塾と声優のレッスン。特に代わり映えのない日々。
だから、夏休みの思い出は・・・ない?!
ガァ~~~ン!!!
絶対、勿体なかった・・・。

という、夏休みの思い出。

明日は、どんな思い出が出てくるのでしょう??まだまだ若い(うらやましい!)梅島アナウンサーです。

2007/07/31

私にとって夏休みの思い出といえば、キャンプです!

わたしは中学生までガールスカウトという団体に所属していたため
毎年夏休みには2泊3日のキャンプを行っていました
山の中や、河原などでテントを張りかまどを作って、ご飯を炊きます。

お米は各自が家から持ってきたものを混ぜた(ある意味)ブレンド米、
それを飯ごうで炊き上げたあの美味しさは忘れられませんねー、特におこげが美味しかった・・・
夜は寝床に訪れる虫などと格闘しつつ
寝袋に包まりながらみんなで怪談話や気になる人の話(だったのかな?)
そして最終日は楽しいキャンプファイヤーでクライマックスを迎えます

キャンプとは不思議なもので
普段は洗い物さえ手伝わないようなぐうたらな私でも
食事の片づけから寝床の準備から率先してテキパキ動いてしまうんです!

自然の中で皆で共同生活をすると、
それぞれの役割や責任がシンプルな分
今自分は何をしなければいけないのかどうしたらもっと楽しくできるか
といったことを自然に考えて行動できていたように思います。
まあ、また家に戻るとぐうたら娘になるんですが( ̄― ̄;)ははは

さあ明日で8月ですね、まさに盛夏!
長い夏休みを迎えたお子さんたちには
是非色んな経験をして欲しいな~と思います

そして写真は、実家の愛犬エアリーちゃん
トイプードルでまだ3ヶ月未満、そのあまりの可愛さに・・・ついアップしてしまいました(汗)
今年の夏は
この子と楽しい思い出を作りたいです( ̄ー ̄)♪

お次のこの方の夏休みは楽しい思い出が沢山ありそうです♪水上さ~ん(^o^)/


2007/07/30

「扇子」と「手拭い」があれば、なんでも出来るのです!

スタジオセットのライブペイントが7月から衣替えしました。ライブペインターの佐藤健史さんに、今回は2日間で仕上げてもらいました。見事です。前回のパリの市場「カフェ・ドゥ・ムービン」から旅に出て3ヶ月余り、辿り着いたのが、ここヨーロッパのとある港町。「港町」といっても「十三番地」ではありません。「ムービン・ブルー」というタイトルです。もう夏休み気分ですね。

さて、「夏休みの思い出」 また、唸りますね。ウー。
臨海学校という言い方は今でもするのですか?
硬く言うと、
夏期に海辺で、健康の増進、水泳訓練、その他特別の教育計画のもとに開設される教育施設ということになります。
我が高校では1年生が必修の授業になりましたが、入学時には、こういう伝統があるということは知る由もありません。どういう伝統?水泳には「赤ふん」を着用するんです。そうです。そうです。何がそうです?「ふんどし」です。「赤いふんどし」です。石原裕次郎の「赤いハンカチ」は知っていましたが、「赤いふんどし」はネェ!漢字ですと「褌」と書きますが、褌祝は男女13歳から15歳に行う成人式の祝いだそうですが、臨海学校で何も祝うことはありませんよね。当時、「赤ふん」を着用していた学校は、あの学習院と我が母校ぐらいだったのか?周りの海水浴客からは羨望の的だったらしいです。しかし、しかしですよ。こういう伝統というものは、いつか変えなければいけない時期がくるもので、その時が我々の時だったのです。「海パン」変更に決定!その当時はほっとした表情で臨海学校に参加したのでしょうが、今思うと「赤ふん」最後の年の方が絵になりましたかね。浅見少年15歳の夏の思い出でした。

さて、お次は、原アナのキャンプ便りです。

2007/07/27

今回からのアナログのテーマは「夏休みの思い出」です!


早坂の夏休みの思い出は、青春の汗!!です。

高校時代、ダンスサークル(正しくは、宝塚のように女性だけで繰り広げるダンスショーを披露するサークル)に所属していました。

今から10年前の話ですが、我が高校には冷房がありませんでした。
涼しいのは職員室と保健室、音楽室だけ。
神奈川県の夏は本当に暑かったです!
想像してください、30度近い8月でも冷房の無いところでダンスの練習をしていたんです。

ダンスの練習をする場所はほとんどが蒸し風呂状態。
朝9時から夕方5時まで、休憩を挟みつつも踊り続ける乙女たち・・・。
光る汗・・・というようなものではなく汗だくでした。
汗っかきの私は汗でびしょ濡れになってしまうので、毎日替えのTシャツを2,3枚は用意していました。
それでもみんな10月の文化祭に向けて、楽しく熱く練習できるんです。
自分のことながら、10代パワーってすごい!

汗臭い青春☆・・・それが夏休みの思い出です。
ちなみに現在は高校の全ての部屋に冷房が完備されているらしいです。
当時から考えると、とてもうらやましい環境ですねぇ。

でも共に蒸し暑い環境で汗を流し、踊り続けていた仲間たちは10年経った今も仲良しです☆


そして自然が豊かな場所に高校があったため、夏休みの練習中、たまにカブトムシを発見していました。
気がつくと校舎内に入ってきていたこともありました。

そんな高校生活の思い出をふっと振り返るきっかけをくれたのは、画像に登場の以前Movin’のモバイル中継でお邪魔した青葉区熊ケ根にある、カブトムシの森のカブトムシでした。



さてお次は、いつも涼やかな印象の浅見アナの登場です。
暑い日でも、スポーツ取材の時もあまり汗だくになるイメージが無いのですが・・・扇子効果でしょうか?