佐藤 拓雄
2026/01/19
今年もよろしくお願いいたします。
年明け早々、久米宏さんの訃報が入りました。
面識はありませんが、テレビを通じ、アナウンサーとして、テレビに出る人間として、久米さんから、非常に多くのことを学んだ一人です。
あるテレビ番組で、アナウンサーのあり方について久米さんがおっしゃった言葉は、僭越ながら「我が意を得たり」というもので、後輩たちにも伝えています。
「何を言いたいかが無い人は、しゃべる必要ないんですよ。何を伝えたいか。「これだけは伝えたい」っていうことを伝える人が、 テレビとかラジオに出て話せばいいんですよ。」
裏を返せば、「伝えたいこと」がないのに、ただ喋っている人がいる、ということへの皮肉でもあるでしょうが、「伝え手」として最も本質的なことを、久米さんらしい表現でおっしゃったものです。
私は私で、アナウンサーの仕事の本質について考え続けるなか、一定の考えに至っていましたが、久米さんのこの言葉を聞き、やはりそうだ、私の考えもあながち間違っていないと感じて、少々自信にもなりました。
昨年末には、脚本家の内館牧子さんの訃報が入りました。
50代になってから東北大学大学院で学んだ内館さん。源氏物語の世界を見事なエンターテインメントに昇華させた「十二単を着た悪魔」は、その縁で、私の大学時代の恩師も助言をしたとのこと。浅からぬご縁を一方的に感じていました。
内館作品は、脚本はもちろん、小説、そして歯に衣着せぬエッセイも大好きです。
エッセイの一つ、「カネを積まれても使いたくない日本語」は、痛烈・痛快です。
特に私たち言葉で仕事をする人間は、なぜその言葉が「カネを積まれても使いたくない」のか、内館さんの意見に耳を傾ける必要があると思っています。
伝えることや言葉について、一方的に「師」のように思っていた方々の訃報。
残念でなりませんが、お二人の言葉や考えは、私の中で生き続けます。
【写真】は今年の初日の出です。
明日は、堤アナウンサーです。