アナ・ログ

子ども時代の宝物

寺田 早輪子

2008/05/19

幼い頃の私は、どこに行くにも、いつも「女の赤ちゃんの人形」を肌身離さず連れていました。彼女の名前は「早輪美(さわみ)」。本気で「妹だ。」と思っていました。「早輪子」の妹だから「早輪美」。名付け親は、私です。
ご飯の時間も一緒。早輪美にご飯を食べさせる(フリ)が楽しかった…。早輪美の口周りは、だから、ご飯粒で、ぐちゃぐちゃ。
お風呂も一緒。でも、早輪美はお風呂に入ると、体重が重くなりました。その時は良く理解できなかったのですが、人形の早輪美は中が空洞なので、口や、腕と胴体のすき間からお湯が入り、早輪美からは「チャプチャプ」という音が…。
そのまま、早輪美を連れて寝床まで行くものだから、父は怒って、早輪美を乾かしてくれました。
そんな早輪美と、あまり遊ばなくなったのは、弟が生まれてから。
私が、幼稚園の年長だった5才の春、弟が生まれました。
当時は、早輪美のような「妹」が欲しかったのですが、母が入院していた産婦人科医院で初めて会った弟は、『早輪美よりもかわいかった』ことを覚えています。
大きな声で「オギャー!」ではなく、「ピー!ピー!」と泣き、泣くと顔が赤くなり、手足はプニプニ。人形ではない、初めて見るリアルな赤ちゃん…、弟はかわいかったのです。
両親ともに仕事をしていて、「かぎっ子」だった私たち姉弟は、キャッチボール、ファミコン、庭の穴掘り、おままごと…、いつも一緒に遊んでいました。
両親が残業になると、晩ご飯も2人で済ませる日もあったので、つくづく、「弟がいて、良かったな」と感じます。
「子供時代の宝物は?」と聞かれて、まず思い浮かぶのは、「早輪美」ですが、本当の宝物は、「弟」かも知れません。

佐藤 拓雄

2008/05/16

子どもの頃から、モノを大切にするタチでしたので、宝物はたくさんありました。
サンタさんにいただいた「パトカーの運転台のおもちゃ」や「マジンガーZのジャンボマシンダー」、小学校3年か4年の頃に流行った「怪獣スタンプ」などは、今持っていれば、別な意味でお宝なのかもしれませんが、どれもどこかへいってしまいました。なぜだろう。

それはともかく、小学校1年生頃、ものすごく大切にしていたのが、カメラです。父が買ってくれたものだと記憶しています。当時の父はかなりカメラに凝っていて、いつもペンタックスの一眼レフで運動会などの写真をたくさん撮ってくれました。父がカメラの手入れをしている姿もよく見ました。シュッシュッと空気を吹きかけてほこりを取ったり、レンズを磨いたり。そんな父を見ていたせいなのか、自分のカメラが欲しくて欲しくて・・・という経緯で買ってもらったものだったはずです。おもちゃではなく、子ども用でもありませんが、操作はほとんどシャッターを押すだけというもの。ピント合わせも必要なく、子どもでも簡単に操作できましたが、きちんとした写真が撮れました。
機種名もいまだに覚えています。「サクラパック100」。インターネットで検索してみたら、写真つきで見つかりました。そうそうこういう形だったなあ。コニカの製品だったんだ・・・非常に懐かしく、当時のことが思い出されました。
撮った写真で今も印象に残っているのは、6歳年下の弟が赤ちゃんの頃、風呂上りに素っ裸で部屋中を楽しそうに這い回る姿。祖父と散歩に行ったときに写真を撮ったことも、心に残っています。それにしても、フィルム代・現像代のことなどあまり考えず、パシャパシャ撮っていたなあ。
ただ、子どもの頃のカメラはこの一台だけ。カメラ少年になることもなく、中学、高校、大学、そして独身時代と、ほとんど写真を撮ることはありませんでした。
再び頻繁にシャッターを押すようになったのは、子どもが生まれてから。成長を残しておきたいという一心で、デジカメであるのもいいことに、膨大な量の写真を撮っている自分がいます。
デジカメも次々に買い替え、とうとうデジタル一眼レフまで買っちゃいましたが、その原点は、「サクラパック100」にあるのです。

次回は、このテーマのトリ、寺田アナウンサーです。

2008/05/15

子供時代の宝物というか、子供時代から使い続けている宝物。ご覧の通り、筆箱です。小学校3年生ぐらいから使っています。17年ものです。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、素材はデニム生地。本体とは別に、コンパスや小さな定規くらいなら入る小物入れがついていまして、本体に差し込めるようになっています。色の違い、わかりますか?小物入れの一部分だけ濃いブルーですよね?もともとは全部この色だったんです。差し込んであったので色が落ちていないんです。他の部分は17年間外気に晒されて色褪せてしまっています。我ながらよく使い込みました。まるで長年履きつぶしたジーパン。さすがに角に穴が開いてしまい、ペンが抜け落ちてしまうこともしばしばありますが。

なぜ今の今まで買い換えなかったのか。特にこの筆箱じゃなきゃ絶対だめ!というわけではなかったんですよね。誰かに買ってもらったとかではなくて、友達に、いらないからあげると言われて貰ったものですし。単純に使い勝手が良くて、使っていくうちに段々愛着が湧いて手放せなくなりました。何より、思い出がたくさんつまっている。中学受験も、高校受験も、運転免許の試験も、大学の授業も、就職試験も、この筆箱と一緒に乗り越えてきました。もはや人生のお供。鞄に入っていないと落ち着かないのです。あるのが当たり前、そんな存在です。多分、ペンも入れられないくらいの大きな穴でもあかないと、買い換えないでしょう。使えなくなっても、絶対捨てないと思います。たかが筆箱ですが、僕にとっては、17年の時を一緒に過ごした宝物なのです。

お次は、同じく物もちが良いという佐藤アナ!宝物もたくさんあるみたいですよ。

梅島 三環子

2008/05/14

人には、なかなか伝わらないのですが私は“石”が好きです。
宝石ではなく、普通の石。
変わった形の石やきれいな形の石、珍しい色のものや手触りのものがあると、ついつい集めてしまいます。
最近では、この収集癖も落ち着いてまいりましたが、子供のときは海などに行くと何かしら拾ってはポケットに詰め込んでいました。
重たいくらい持ってきたことも多々。
石って 見ていても、飽きないんですよ。種類も半端なくありますしね。

先日、河原に行く機会がありまして久々に石と写真を撮ってみました。
いいですね。
石を手にすれば、子供も大人もみんなにっこり☆(取っ手付けですみません…)
ただ、久しぶりに石投げをしたり、砂山を作ったりして癒しの休日となりました。

高校のときは、さすがに石ではありませんが“岩を見る”というツアーに行った記憶が…。
地元の珍しい岩を見ながら、その下に転がる石を拾っていました。
他人にはわかりづらいかもしれませんが、今も実家の学習机に眠るいくつかの石は、今も私の宝物です。
次は板垣アナウンサー、今も会社で愛用しているアレが宝物だったんですね!!


2008/05/13

おかげさまで先日、夜のニュースでデビューさせて頂きました。まだまだ拙い原稿読みですがこれからもよろしくお願いします!

子ども時代…保育園生の時を思い出してみると、当時、クラスで『トントンブーム』が起きていました。
たまたま最近も話題になっていましたが、トントンとは弟のユウユウとともに上野動物園で大人気だったパンダです。テレビに映るトントンの愛くるしい姿は園児のハートをガッチリと掴みました。
そのトントンの話で教室は持ちきりに。実際に見た子は英雄気分で自慢します。私も両親にねだってトントンを見に行きました。水遊びしているかなぁ?もぐもぐ笹の葉を食べてるかなぁ?胸躍らせて向かった上野動物園。父親に肩車されて見たトントンは微動だにせずイメージ通りではありませんでしたが、この思い出は今でも鮮明に覚えています。

さて、その時に買ってもらったのが写真にあるトントンの財布です。
絵柄が可愛いという理由だけで買ってもらったこの財布。保育園時代はお金を持つ機会はなく、小学生になっても100円玉をズボンのポケットに入れるくらいで財布を持ち歩くことはありませんでした。しかし、お年玉をしまっておく銀行の役割としてトントンの財布はタンス預金を守り続けてくれました。
中学校時代。部活動の遠征に、初めて財布を携え外出しました。そこで本来の財布の役割としてデビューしたトントンの財布ですが、周りに比べてあまりにも可愛らしすぎました、笑。またもやタンスに戻るはめになったトントン。しかしその後も長年、銀行代わりとして活躍してくれたのです。
時は経て社会人に。仙台へ引っ越す際、身の回りの整理を行いました。部屋にあったほとんどのものがゴミ袋に入れられる中、トントンは生き残りました。最近では便利なATMが増えたためタンス預金は0です。もはや何の役割もありませんが、慣れ親しんだ手触りと触れたときに頭に浮かぶ思い出がトントンの行き先を決めました。

代わりなんていつでも見つかりそうなトントンの財布。長年ひっそりとタンスにしまわれていたトントンの財布。それでもいつの間にか保育園時代からの自分を知る唯一のものになったトントンの財布は、仙台での春を過ごし、きっとこれからも引き出しの中から私の人生を見守り続けてくれると思います。

続いては梅島さんです。どんな宝物か楽しみです♪

2008/05/12

私にとって宝物はこれしかありません。
クラシックバレエを習う者にとっては重要な『トゥシューズ』

皆さんも靴は人それぞれ形や癖が違うので、快適にはけ靴に出会うと嬉しいものですよね?
このトゥシューズという靴もベストの物になかなか出会えないものなんですよ。

回転しやすい、バランスをとるのに適している、足を美しく見せてくれる、これらの条件を全て兼ね備える優秀な相棒探しは長いことかかるものなのです。

日本製からイギリス、フランス製まで試したこと何足でしょう・・・。
もう数え切れないほど、20足以上だと思います。
ほとんどが職人さんの手作りなので、同じ人が作ったものでも履き心地が異なるのです。
ですから「あ!これ良い!」と感じて同じ靴を買っても「あ~前回のほどはしっくりこないなぁ・・・」この繰り返しなのです。
バレエ経験者ならばこの感覚分かることでしょう。
しいて例えるなら・・・「しっくりと手の感触に合う万年筆を探す」このようなかんじでしょうか?

でもある日突然、バレエの先生からも「軽やかに見えるわ」とお褒めの言葉が!
ようやく出会えた私の相棒はロシア製でした。

ようやく出会えた運命のトゥシューズ。
大切に慎重に履き続けても、長くもって半年ほどなんですがその期間は本当に気持ちよく踊れた記憶があります。

だから大切にいまでも宝物のトゥシューズは保管しているのでした☆


さてお次は、もう仙台に慣れたかな?新人・広瀬アナです。
どんな宝物ですか~?

2008/05/09

子どもの頃、これ!といった宝物は無かったですね。今でも、物などには執着したりしないですし・・・。一応大人になり、友達やアクセサリーなど大切なものはありますけどね♪

宝物ではないですが、小学生の頃集めていた物ならあります。
それは、「カードダス」!!
ドラゴンボールのカードダスです!
小学生でも買える小銭で、お菓子屋さんや商店街の中に、ガジャガジャと並んで、カードダスも売っていました。
集めていたら、いいことがあるわけでは無いのですが、10枚に1度キラキラしたカードダスがでるのです!これが、欲しくて何枚も買った記憶があります。
また、学校でも、普通のカード20枚とキラカード1枚を交換するといったことも行われていました。
まぁ、盗まれたり無くなったりと、喧嘩の原因にもなっていましたが・・・。
しかし、子どもだったこともあり、みんなが持っているものが欲しくて、結構お金使っちゃいましたね。
カードダスのブームも去り、あのカード達はどこにいったのでしょう・・・。

明日はどんな宝物が出てくるのでしょう??
早坂さ~ん!お願いします!

2008/05/08

はい、「愛犬家」の原です!つい最近も愛犬エアリーに似合いそうな服を見つけて衝動買いしてしまいました…写真のものともう2着ほど。早く着せたい今日この頃です。

さて!
小さい頃から女の子らしい事よりも木登りや鬼ごっこなど外で走り回るのが大好きだった私。
習い事のない日は必ず友達と午後5時の鐘がなる迄遊んでいました。

特に泥遊びが好きでした。
なかでも泥団子作りには誰にも負けない!?自信がありました。つやつやに表面を手で磨き上げた傑作を、倉庫に隠してコレクションしていましたっけ…

この泥団子、今思うと非常に奥の深い作業でした。

まず土選び!そんじょそこらの土ではすぐポロポロと崩れてしまうので、ある程度の粒子の揃った良質な土が求められます。そしてそこに水をかけて練って粘土にしたら、団子状に丸めます。
表面にはパウダーのような乾燥した土を振り掛け、手で磨く作業を繰り返して強度を高め硬くてつやつやでまあるい団子を完成させるのです。
こうすると、
落としても割れないほどの硬さになるんです。


…ああ、けっこうオタクな私(笑)

それを大事に大事にしていました。

しかし、それも引っ越すときにおいてきてしまったのでどうなったのか。
もうとっくの昔に風化して、土に戻っているでしょうね(><)!

しかしあの土を練って粉を振りかけて磨く無心の作業で、ものすごく集中力が養われたような…

今作ったら当時のような傑作は出来るのかしらん?


さてお次は
最近ネット通販でいい買い物をしたという水上さん。
子供時代の宝物は何でしょう!

林 佳緒里

2008/05/07

皆さんどこにいるか分かりますか?久しぶりにわが愛ウサギ“アリス”登場。体長は頭から尾っぽまで30センチ弱、体重1キロ、可愛い盛りです。
そして一緒に写っているのは、今大切にしているテディベアです。

子ども時代の宝物は「プーさんのぬいぐるみ」でした。あまりに愛用しすぎてボロボロになり、見かねた母が捨ててしまったようで、写真でお見せすることが出来ないのが残念ですが・・・(涙)。

私が3歳までずっと一緒だった「プーさん」は、体長40センチほど。黄色のプーさんが着ていたのは赤の半そでTシャツ。そこに黄色の文字で「POOH」と書いてありました。鮮明に覚えています。クラシックなプーさんでした。

どこに行くのも一緒。寝にいく時も愛用のタオルケットを片手に、もう一方の手にプーさん、とこんな感じ。小さい時を振り返ってみて、同じような格好をしていたな~という人いませんか?ぬいぐるみとタオルケット定番ですね。

そして私の友達「プーさん」との最後の思い出は、3歳の時に一緒に飛行機に乗って旅した事。それほどいつも一緒だったプーさん。一緒に過ごせば過ごすほど、可愛がれば可愛がるほど、反対によれよれになっていったプーさん。たくさんの思い出をありがとう。私が最初に出会った宝物でした。

前回のアナログで梅ちゃんが書いたようにぬいぐるみは、いくつになっても女性の宝物。今のテディベアも大切にしようと思います。

次はウサギではなく、「愛犬家」原ポンです。

金澤 聡

2008/05/02

私の宝物は『図鑑』です。
子ども時代は決して宝物とは思えなかったのですが、いまとなって思えば宝物かもしれません。

小さい頃、誕生日やクリスマスのプレゼントと言えば、我が家では『図鑑』でした。
『昆虫の図鑑』、『植物の図鑑』、『宇宙の図鑑』、『鉄道の図鑑』、『飛行機の図鑑』などなど。
当時は“超合金”のおもちゃが欲しくて欲しくてたまりませんでしたが、親は絶対買い与えてはくれませんでした。
記念日には必ず『図鑑』でした。
子どもは親を選べない、子供心の分からない親のところに生まれてきてしまったなぁ、なんてため息まじりに思ったりしたこともありましたが、子供心は移ろいやすいものでありまして、結構『図鑑』で楽しんでいました。
暇ができると兄と一緒に『図鑑』を見て「あれがカッコイイ!乗りたい!」と楽しい空想の世界に浸ったり、虫を捕まえてきては名前を調べたり、宇宙の神秘に驚いたりしていました。
実は、楽しみながら勉強していたと今になって思っています。もしかしたら、それが親の狙いだったかもしれず、結局、子供心を手のひらで転がされていたのかもしれませんが…。

いまでも『図鑑』は実家にあります。開くと相当汚れています。
“超合金”だったらこんなに長く付き合えたかどうか分かりませんが、
色々なことを教えてくれていた『図鑑』がいまでも宝物として残っています。


次回は林アナウンサーの宝物です!

2008/05/01

子どもの頃は、あまり執着心がある方ではなかったのでしょうか?いやいや、欲しいものがあっても手に入れる環境になかったのか?
当然、いまの子どものように高価?なものなんぞは、一切ないのです。

ベイゴマも、メンコも、わっかも、宝物ではあったが、それほどクラスのチャンピオンとして君臨していた訳ではないので、ザックザックと持っていた記憶もないし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時流行りだった切手集めも、財力!を考えると無理だったですね。

西部劇映画にあやかったピッカピッカのモデルガン!
もちろんベルトケースを腰につけ、颯爽と・・・・「ローン・レンジャー」か「ローハイド」か「ララミー牧場」気取りか!!!!!!!!
これは大事にしていた宝物。

アイスホッケーゲームはその後の宝物。
「王子製紙」か、「国土計画」か、「西武鉄道」気取りか?
ゲームでは見事なスティックさばき!!!!!!

「子ども時代の宝物」こんなものでしょうか?どうもあまり記憶になくて、すみません。

最後に、写真の説明をしておきましょう。
マイデスクの宝物は、大石内蔵助良雄(おおいし くらのすけ よしたか)の起上り小法師。
「あら楽し思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし」ですね。
この話は長くなりますので、この辺で止めましょう。

あすは、金澤アナウンサーの番です。





2008/04/30

ゴールデンウィーク始まりましたね~!出かけるのにとってもいい季節です。今年はみなさんどちらかお出かけの予定はありますか?
連休の中でも「こどもの日」にちなんで、今回のアナログ、テーマは「子ども時代の宝物」です。
改めて「こどもの日」とはどんな祝日なのか調べてみました。
『こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する(内閣府のホームページより)』日と定められています。
母の日とは別に、こどもの日は母にも感謝する日だったんですね。ふむふむ。

子どもの頃の記憶の中には母との思い出もいっぱいです。よく宝物を使って母と遊びました。
宝物というのはぬいぐるみ。
赤ちゃんの頃からよく遊んだのは、当時の私の体と同じくらいかそれよりも大きいピンクのクマさんでした。ぬいぐるみの足の裏には青のコーデュロイの生地がついていて、それを触っているのが好きでした。大きくてうまくつかめなくて、よく母に助けてもらいました。今はどこにいったんでしょうか。母にあっさり「捨てたわよ」と言われたような・・・。
シルバニアファミリー、レゴ、ローラースケート、ピーターラビットのお皿、おひなさまも宝物です。
今もあるのかなぁ・・・。
大人になった今は家族や友達と撮った写真も宝物なんです。
今回載せた写真も新しい宝物。
先日、めざましテレビで一目千本桜から生中継をしました。取材でもプライベートでも何度も足を運びましたが、こんなにキレイに見えたのは初めてで感動しました。大好きな桜スポットです。
いつもお世話になっている大好きなスタッフとちゃんと写真を撮りたかったのですがバタバタしていたのでこっそり・・・失礼しました。
という風に(?)宝物はどんどん増えていきます。幸せなことです。

さて、浅見さんの子どもの頃の宝物というと、なんですか~?