アナ・ログ

合格発表

2009/03/19

「合格発表」
今回は、嫌なテーマですね。これが一番緊張したかもしれません。それでは、前回のテーマですね。
どうも私の場合は、「不合格発表」の方が多かったものですから・・・・・・・どうしましょう????
いつも、いつも最後の最後なんですね!!!!!
「最後の砦」です。
最後の「転失気」(てんしき)で何とか救われたという人生だったのです。(笑)
所謂「さいごっぺ」ですね。
野球で例えると、9回サヨナラ押し出しという感じでしょうか?
その分、喜びも大きかったような気がします。
と同時に、涙の分だけ強くなれたのかも知れません。
ですから、ニュースの合格発表シーンでも、いつも気になるのが不合格者の思いですね。
でも絶対に挽回可能ですから、捲土重来という気持ちを持ってくださいね。

そんな少ない私の合格経験の中で、意外と嬉しかったのは、運転免許試験でしょうか。
何しろ、昔の教習所は、教官と生徒の関係は、一触即発の状況でしたからね。
よく我慢したのと、免許証がもらえるという喜びだったのでしょうね。

暫く、合格の喜びを味わっていませんので、何かに
挑戦してみようかなあ・・・・・といった気持ちにもなります昨今です。

とうことで、「合格発表」ネタはここまでです。

来週、23日からは新ネタで、林アナウンサーからです。

2009/03/18

先日、両国国技館で行われた「林家三平 襲名記念公演」に行ってきました。
三平さんは以前、母・香葉子から「三平の名は周囲に認められて初めて名乗ることが許されるもの」と、襲名の申し出を断れたといいます。その後、時を経て襲名を許され開かれた記念公演、林家一門の絆の強さを感じました。

さて私ですが、試験をほとんど受けたことがなく、合格するよりも他の人の合格の知らせを聞くことが多くありました。
というのも私は大学時代に、大学受験向けの月刊数学問題集(毎月発売される数学問題集。世の中にはこんなものもあるんです)で、添削問題の出題と丸つけをしていました。そこに毎月応募してきた学生から2月になると合格の便りが届くわけです。

私が出題したものの1つが
『5人用のあみだくじで真ん中に当たりがある場合、どこを選べば当たりの確率が最も高いか?』

正解は「真ん中に近いほど当たる確率が高い」です。イメージしてみて下さい。1億人であみだくじをすると、真ん中近くの人に比べて一番端の人は、中心に近づくだけで相当苦労します。というわけで、あみだくじは当たりに近い人が有利です。では当たりの真上がいいのかというと、人数や当たりの場所によってはそうではありませんし、当たりの場所が分からなければ結局みな平等です。この問題を考え付いた時は世紀の大発見だと驚きましたが、先人がすでに解決していました(^^;

大学時代は数学の問題作りばかりを考えていた毎日。身近な題材を扱った出題を通して一人でも多くの方に数学に親しんでもらいたいという思いでしたが、それを一生懸命解いてくれた全国の高校生から「大学に受かりました」という報告を受けることは、それは嬉しいことでした。
2007年末には、ビートたけしさんが出演なさっているフジテレビ番組「たけしのコマネチ大学数学科」がテレビ界のアカデミー賞と言われるエミー賞にノミネートされ、話題を呼びました。数独の流行もあり、数学にスポットが当たる機会も増えまてきました。そんな私は大学卒業後、数学の知識が役に立ったことは一切ありません。笑

合格報告をくれた皆が今、何をしているのか分かりませんが「ねぇねぇ、あみだくじって平等じゃないんだよ。知ってた?」なんて、どこかで話しのネタにでもしていてくれたら幸いです。

続いては浅見さんの合格話です。

寺田 早輪子

2009/03/17

父が泣いている姿を見たのは、後にも先にも、あの日が最後でした。
高校の「合格発表」の日。
その日、合格者氏名が貼り出された掲示板を見に行く前に、同じ高校を受験した友達から「早輪子の名前も、あったよ!合格したよ!」と電話がありました。

「お母さん、お父さん、私、受かったって。」

電話を切った私がそう言うのを聞いて、驚き半分、笑みを浮かべた母。
一方、父は、笑顔でスッ…と、隣りの部屋に…。

泣いていたのです。
なぐさめに行った母は「良かったね。良かったね。」と声をかけていました。

こっそり覗いた隣りの部屋で、父は、笑いながら、顔を真っ赤にして、びっくりするほど泣いていました。
入試後の自己採点の結果が思わしくなく、「落ちたかも…」と意気消沈していた私以上に、両親は落ち込んでいたので、余計に、うれしかったのでしょう。

ただ、生まれてきてそれまでに、「泣き笑い」「うれし泣き」「男泣き」して、喜びを表現する父を見たことがなかったので、やはり、父のその表情は驚きでした。

私の父は、日常の9割を「怒」の表情で生きているような人でした。「喜怒哀楽」の「怒」。
眉間にしわを寄せて、口数も少なく、私がわがままでも言おうものなら瞬間湯沸かし器のように怒る。…今、思えば「極度の照れ屋の照れ隠し」なのでしょうが…。

 当時の父は50歳になったばかり。今、父と同じように仕事を持ち、働くようになって、父の「泣き笑い」の意味が分かるような気がします。

「働く」ということは厳しく、ストレスも溜まる。
思い通りに行くことは少なく、本当は夢もあったのに…。
色々な思いを抱え生きる日常の中で、「長女が志望校に合格した」ことは、50歳の父にとって「泣き笑い」してしまうほどのニュースだったのだな……と。

 今年も、高校「合格発表」のニュース取材をします。
思い出してしまうのは、父のあの「うれし泣き」。
 父が亡くなって、もう8年になります。でも、今でもあの表情は鮮明によみがえります。

 さては、あすは、つい最近、仙台放送・アナウンサー採用試験の「合格発表」で、ドキドキを味わったばかり!広瀬アナウンサーです!

林 佳緒里

2009/03/16

最近嬉しかったこと、それは★写真★。3人の中では一応先輩ですが、この日は2人にごちそうになってしまいました。誕生祝いとして。とても嬉しかったです。ごちそうさま~。

そして本題、一番嬉しかった合格発表を・・・。
「仙台放送のアナウンサーの内定をもらった時」。
合格発表とは違うかもしれませんが、就職試験に合格したということで。

アナウンサーを目指すきっかけは、高校生の時。
テレビに映っていたフジテレビの「八木さん」「河野さん」「有賀さん」の女性アナウンサートリオを見て(年代が分かりますね)。女子アナは華やかだな~という第一印象。自分もこの職業につけたらいいなと思ったのがきっかけでした。極めて単純です。でも憧れているだけでは・・・。大学生の時に、実家近くの鎌倉のコミュニティFMでラジオリポーターのアルバイトをしたり、マスコミ塾に通ったり。何せ大学では、ウニの研究なんかをしていたので、情報が集まらず、一応、いろいろなところに顔は出していました。
話すだけではない、華やかだけではない仕事もたくさん。かえってそれが魅力に。

就職試験本番、今から10年ほど前のアナウンサー採用試験は、4年生になる前の2月から3月に行われました。東京、大阪、名古屋そして仙台と系列各局を受験していきます。
アナウンサー試験は、面接、カメラの前にたってのカメラテストが中心。(カメラ前でフリートークや原稿読みなどですが上手に出来るわけありません)。もちろん筆記試験もあります!
某テレビ局では、その時はやっていた「青汁」を飲んで一言!なんていう試験がありました。ちなみに仙台放送は作文もあり、お題は「情熱」でした!

運命の仙台放送は8社目。それまでの試験とは違い、順調に面接が進んでいきました。“面接はお見合いのようなもの”と言われるのが妙に納得できたりして。
さすがにカメラテストは緊張しましたが、面接では自分の思いを存分に言えた気が。これで悔いはないと会社を後にし、翌日朝戴いた“電話での合格発表”。本当に嬉しかったです。
その仙台放送に入社して11年。“お見合い”で相性がよかっただけに、仙台放送に入社してよかったと実感しています。仲間、上司、働きやすい環境に恵まれアナウンサー生活をエンジョイしています。

次は、そんな大切な仲間の一人、寺ポンです。

金澤 聡

2009/03/13

15歳で初めて味わった人生の岐路。当時、高校受験は自分にとって大きなイベント。
合格発表当日。合格掲示板に自分の受験番号はあるのか。自分の目で確かめたい。
突発的に襲ってくる不安感、背を丸め視線を足元に落としながら受験した高校の正門まで緊張の足取りで近づきました。
すると前方から友人の声が。
「金澤の番号あったよ」
自分の目で確かめることなく合格を知りました。

19歳のときに味わった人生2度目の岐路。一浪していたため、これが背水の陣。大学受験は自分にとって大きな壁。
今回、合否は通知書を郵送してもらい確認することにしました。通知書にサクラサクはあるのか。自分の目で確かめたい。
郵便配達のバイク音。家の呼び出し音が「ピンポーン」 もう浪人はできない。祈るように自分の部屋を出て階段を下りていきました。
すると母親の声が。
「合格していたよ」
今回も自分の目で確かめることなく合格を知りました。

意外と人生の岐路なんてこんなものです。


次回は林アナウンサー。そこには、劇的な合格発表が!!!!!あるかもしれません。

佐藤 拓雄

2009/03/12

はい。宮城マスター検定は僕も2級です。

特に意味はありませんが、「仙台放送前」バス停を撮ってみました。後ろの建物が仙台放送。文字通り、目の前です。

さて、合格発表。
大学に入るまでは東京に住んでいたのですが、東北大学の合格発表は、わざわざ仙台まで見に来ました。すでに合格した私立の入学金納付の締め切りがちょうどその日だったから、というのが理由だったと記憶しています。でも、実際には、その入学金は親がその前に納めてくれていました。「締め切り当日の納付では、何か手違いがあったら大変」という親心です。本当に感謝しかありません。
なのにわざわざ仙台へ見に行ったのは、一つは、少しでも早く見たかったということ。インターネットなんてない時代。「レタックス」というFAX+電報のようなものがありましたが、見に行った方が早い。もう一つは、福島県郡山市に住む祖父母を訪ねてきなさい、というこれまた親心でした。
片平キャンパスで合格を確認し、NTTの臨時公衆電話に並んで親に報告(携帯電話もない時代です)、すぐさま新幹線で郡山へ。
祖父母宅の玄関先で靴も脱がないまま「おじいちゃん、東北大に受かったよ!」と報告すると、その言葉にかぶるぐらいのタイミングで祖父が言ったのは、「うん、見たぞ、文学部、○○番、佐藤拓雄。あった」。「・・・はあ???」なぜ祖父がすでに知っているのか?母から電話があったのか?それにしても受験番号までなぜ知っているのだ?
そのわけは、「東北大学合格発表」という名のテレビの特番でした。当時、そんな信じられないような特番が存在したのです。おそらく東北各県にネット放送していたのを祖父が見たのでしょうが、そんな番組があることすら知らなかった僕には、かなりカルチャーショックでした。
後で知ったのですが、合格発表の掲示板を延々映し続けていくという、スペクタクルな内容。そんな番組が成立したのも、今では考えられないことですが、当時は、合格者の受験番号のみならず氏名、出身県まで貼り出されていたからです。個人情報丸出しです。今は掲示板すらないそうで…
でも、おかげで祖父母を早く喜ばすことができました。
そんなわけで、僕は、合格発表というと、この日の祖父とのやりとりをまず思い出すのです。

続いては金澤アナウンサー。「親切な」周囲の人たちのおかげで、感激が半減したとか?

梅島 三環子

2009/03/11

人生初の合格発表は、今からちょうど20年前。小学校のお受験です。
野菜嫌いの少女は、給食がないという理由だけで受験を決意しました。完全に不純な動機です。受験といっても、東京などドラマでよく見る厳しい受験戦争とは違うのでしょうか?
静岡の私の母校では、ボールを投げたり、でんぐり返しをしたり、先生とお話をしたり…という課題だけだった気がします。

思いついたように、何の対策もせずの受験。ですから、結果発表もドキドキせず迎えることができました。あまり、発表の日も覚えていないというのがホントのところです。
結果は、無事合格。初戦は快勝でした。ここから、楽しい小学校生活が始まっていった♪というわけです。実に楽しい6年間を送ることができました。

ただ、一つだけ計算はずれなことが。
それは、給食は“ない”のではなく“少ない”ということを入学後に知ったこと。週に2回、給食の日があったのです。私が、野菜嫌いを克服したのは大人になって働き始めてから。つまりは、週に2回の給食を前に私はいつも固まっていたのです。
お米だけ食べて、そっと回収BOXにお弁当箱を戻して
先生に見つかっては、怒られるお昼休み。
「ゆっくりでいいから、食べなさい」と
給食を広げたまま午後の授業を受けていたこともありました。好き嫌いはよくありません。先生が正しいことも十分わかってはいたのですが、この給食と私の戦い6年間繰り広げられることになります。

以上、今日は私の初合格は勘違いの受験から始まったというお話でした。
写真は、1番最近合格したもの。宮城マスター検定です。ちなみに1級ではありません。2級です。

次は、確かマスター検定を受けていたと思います。拓雄さんです。お願いします。

2009/03/10

もちろんありますとも!合格発表の思い出。
私の1番思い出に残る合格発表は『宝塚音楽学校』の合格発表です。

皆さん毎年4月始めごろ以下のような内容のニュースで見たことありませんか?グレーの制服を着た本科生と呼ばれる代表者の先輩が、多くの受験生や報道陣の前で
「ただ今より、合格者の発表をいたします!!」
と明瞭ではつらつとした発声方法で言います。
その後合格発表の紙が張り出され、あちらこちらから
「キャー!!あった~~!!」という喜びの声…というより叫びが聞こえてくるのです。
ある人は涙を流し、ある人はお母さんと抱き合ったり。合格者は、先輩たちの花道を通って校舎へと入っていく…。
こんな情景が毎年4月、兵庫県にある宝塚音楽学校で繰り広げられます。

高校生の頃、タカラジェンヌを目指した早坂は2000年のこの場面にいました。しかもテレビ局がずらーっと並ぶ光景にテンションが上がり、ちゃっかりテレビカメラに1番近い場所で合格発表の時を待っていました。
発表予定時刻の30分前には到着し、緊張しっぱなし。ノー天気な早坂は(万が一テレビ局にインタビューされたらなんて答えよう…?)とまで考えていました。

しかし、合格者の表に自分の名前はありません。不合格を知ったその瞬間はショックで涙が出ませんでした。「え?どういうこと?」と受け入れられなかったのです。魂が抜けたような時間が過ぎていき、もちろんテレビ局にインタビューされることもなくトボトボ帰りました。
涙を流したのは伊丹空港に着いてからです。

今までの人生で1番悔しい涙を流しました。
1番長く泣き続けました。
1番元気になるのに時間がかかりました。

それでも、あの経験があったからこそ今がある。今を生きよう、と思います。このアナログを書いていても涙が込み上げてきました。

私の合格発表は、「清く悲しく美しい」思い出でいっぱいです。

※画像は3月8日『デザインリーグ建築設計日本一決定戦』の会場にて。
今年もせんだいメディアテークで行われて、日本一を競っていました!建築設計の世界の甲子園!!
放送は4月29日午前10時予定です☆


お次は、梅島アナです。
どんな思い出があるのかな?

2009/03/09

合格発表!ありましたよ、ええありましたとも。
掲示板に張り出された自分の番号をみつけた時のあの喜び。歓喜の声をあげて涙を流しながら母親と抱き合う…忘れられません!。
…って、ん?…あれあれ?あったかな?

と言うのも、いわゆる掲示板に張り出されて合否を確認する受験は私は高校受験の時のみ。文化祭を見に行って絶対ここに行こう!と固い決意をした第一志望の大学付属の高校です。受験番号は「2194」、語呂合わせで、そう○○高校「に行くよ!」

その発表日は電車を一時間ほど乗り継ぎ両親と私の3人で見にいきました。父のスーツのポケットには厚い封筒が入っていて、合格していた場合その場で収める入学金がきちんと用意されていました。準備はバッチリ!受験番号の「2194」ただそれを見つけるだけ。

まだ寒い2月、最寄り駅を降りて3人で歩いた15分間。
「あれだけやったから絶対大丈夫、当日の手応えもあったし今日はただ掲示板を見に行けばいい」
そうは思っても心臓はドクドク脈打ち、はやる気持ちが前へ前へと足を進めます。両親と並んで歩いていたはずがいつの間にか5m、10m先行してしまうのです。

早く結果を知りたい!でもこれでもし落ちていたら…
木製の掲示板に貼られた白い紙の上に合格者の受験番号の羅列が見えます。体全体、指先までもが心臓のように感じられ、握り締めた受験票は汗でシナシナに。2194、2194、2194…!!! 果たして私の受験番号は?

「あっ!!あった」
…え?
「あったよ英里奈!2194 !!」
…って、えええええ~~( ̄□ ̄;)!!!!!
そう、私よりも母親が先に見つけてしまい、なぜか私よりも先にキャーキャー喜んでいるのです。
母上…あたしゃ自分で見つけて喜びたかったのに…
喜ぶ母の隣、嬉しさいっぱい、切なさいっぱいの複雑な15歳の春でした。ですからいわゆるコマーシャルなどで見る「合格発表」は私も体験しておりません。
あしからず。

さてデスクが隣の同期・早坂アナは、いわゆる合格発表を経験しているのでしょうか?

2009/03/06

今日から新テーマ!『合格発表』です!やはり今の時期は受験シーズン。そして今日は3月6日、世間では国公立大学・前期日程の合格発表が続々と始まっています。明か暗か、天国か地獄か、期待と不安が入り混じり、緊張で喉がカラカラ、胃液が出そうな何ともいえないあの瞬間!受験に限らず、車の免許や就職試験など、皆さんも合格発表には様々な思い出があるのでは?

私の場合、思い返せば自分で見に行った合格発表は合格した覚えがない!自分でもびっくりしました。

中学受験では、1番の志望校の発表に母と見にいきました。今でも覚えています、番号は「353」、見込みあり!です。皆さんも一度は語呂合わせしたんじゃないでしょうか?(笑)
しかし結果は、見込み全くなし!あっけなく落ちて、母と二人泣きながらトボトボ帰りました。

ならばとリベンジ!迎えた高校受験、またも1番の志望校の発表!塾の友達10人位で見に行きました。番号は覚えていませんがこれも見込みなし!返り討ちに遭いました。しかも10人のほとんどが落ちたような…。当時も帰り道、涙を流していたと思います。家に帰ったらベッドに飛び込み、枕に顔を埋めて泣き叫んでたなぁ。

しかし2番目の志望校(母校)には受かりました!ただ発表は何と見ていません!なぜなら補欠で繰り上がり合格、電報で合格通知が届いたからです。補欠の発表は、他の学校の試験と重なって行けず両親に見に行ってもらったのです…
というように、母と子が受験票を握り締め、目を輝かせながら数列から自分の番号を探し出し、見つけては二人抱き合い歓喜の涙を流す…そんな、いわゆる合格発表を経験したことがないのです。
でも電報が届いた私は、やはり号泣していました。どんな形にせよ、合格の二文字は最高に嬉しいものですよね。以前にも少し受験について書きましたが、長く苦しい戦い、辛い鍛錬を乗り越えて合格した時は、何と人生は素晴らしいものなのかと思います。あの解放感、高揚感、充実感、今でも忘れません。
受験生の皆さん、本当に頑張ってください!

ちなみに写真は社内での1枚。WBC日本対中国が始まり、TVの前に人だかりが。浅見アナ、早坂アナ、広瀬アナ、そしてスポーツ部長も、皆さん神妙な面持ちで観戦してらっしゃいました。

次は原さんです!原さんはいわゆる合格発表を経験されたんでしょうか?