アナ・ログ

受験

2007/02/23

「金澤後輩よ!大志を抱け!」

♪街の灯りがとてもきれいね~ヨコハマ~ブルーナイトヨコハマ~ いしだあゆみの名曲である。大学受験の年(正確に言うと大学受験1年目)昭和44年のヒット曲であった。受験会場から国鉄(JRでななく、国鉄といっていたのです)の駅までの帰り道、街に流れいたこの歌が、何故か?いまでも受験と聞くと甦る。でも、結果は灯りが見えなかった。みぞれが降る寒い日だった。「いつも、いつも、回り道の人生でござんす」おっと、鶴田浩二になってしまった。(笑)アナウンサー試験もそうだったなあ!最後の最後という感じだった。1次音声試験、2次音声試験、1次カメラテスト、2次カメラテスト、筆記試験、1次面接、二次面接、最終面接、健康診断なんでこんなにも関門があったのだろうか?(これじゃ、当時のアナウンサー受験仲間の呼びかけですね。失礼)諦めない気持ちと切り替える気持ちの持ち方が大事だと分かったのもこの時期かもしれない。
作家の山本一力さんを支え続けたのが、「明日は味方」という言葉だそうです。短いけど、いい言葉です。明日を味方にしましょう。
写真は、柴又帝釈天にて。皆さんの幸多かれを祈る。

金澤 聡

2007/02/22

受験でいい思い出はないっ!です。大学入試は1浪したし、就職試験は全国飛び回り金銭的に辛かった…。

さて、1浪時代、僕は東京の大手予備校に通っていました。当時、受験アイテムで流行していたのが、「黒の水性ボールペン」。
水性ボールペンは、普通のボールペンより芯の減り具合が早い。ですから、たくさん書く=たくさん勉強している=たくさん水性ボールペンを使用する=使い終わった水性ボールペンがたくさんの山となる、いわば、“俺はこんなに勉強したんだ”という自己暗示的な自己満足に繋がるわけです。
当時の友達との会話も、「もう俺なんて水性ボールペン100本使い切ったよ!」「すげ~」というのが挨拶代わりに行われていたものです。偏差値が上がったよりも、水性ボールペンの数が上がった方がちょっと嬉しかったりした様な…。まさに、本末転倒です。

いまたくさんの受験アイテムがありますが、やはり、最後は『自分の力』だと思います。もっと気づくのが早ければ赤門をくぐっていたかもしれません。それは…、ないですね・・・はい・・・。

今では、ボールペンの減りもかなり遅くなりました。それだけ飛躍的に記憶力が上がったと自分勝手に思っています。(ただ単に勉強していないだけですけど…)

次回は、赤門の先輩です、…違いますね…、色は近いですけど、オレンジ門(?)の同じ大学の先輩です、浅見アナウンサーです。

2007/02/21

私と受験。
最初の受験は小学校。いわゆる「お受験」でした。
もちろん落ちましたけどね!

「お受験」って面白いんですよ♪
体操の試験があったり、みかんの食べ方の審査があったり・・・。
また、受かったら電車通学になるので、家から小学校までの電車の乗り継ぎや、所要時間なども考慮されたと思います。

ある学校の試験で、ボールが2つ置いてあって、一つはテニスボール、もう一つがソフトボールでした。
ボールの種類を聞かれて、私はソフトボールが解りませんでした。今でも、このソフトボールのせいで、落ちたと思っています。

でも、これも「運」なのです。
結局、地元の小学校に通うことになりましたが、いろいろな思い出がつまった6年間となりました。

友達にもよく言われますが、私は「運」で生きてきた気がします。
「お受験」に受かっていたら、今ここにもいないかもしれないですしね!

運も実力のうち♪…かな?!

金澤アナウンサーは、受験で、いい思い出がないっていうけど、なんで?なんで???

佐藤 拓雄

2007/02/20

昭和(!)63年度、つまり1988年度、つまり19年前の手帳を発見しました。
「代々木ゼミナール 学生手帳」。
いたいけな浪人予備校生だった僕のものです。
裏表紙にはさまれていた「学生証」は、とてもお見せできない代物です。オレ、こんな顔してたかなあ・・・ビフォー・アフターの世界・・・。いやはや。

中を見てみました。

時間割。
土曜日も授業がありました。週休2日に慣れっこになってしまいましたが、当時は、日本中どこも土曜日はお休みではありませんでした。日曜日は毎週のように模擬試験があったし、そうでない日は、いつも予備校の自習室にいた気がします。よくそんなに勉強してたなあ、と思わずつぶやいたら、妻に「そりゃそうでしょ、浪人生なんだから」と言われてしまいました。まあそうなんですけどね。

予定はほとんど書き込まれていません。
「そりゃそうでしょ、浪人生なんだから」という妻の声が聞こえてきそうなので、声には出さないことにしました。
2月になると、試験本番の日程がポツポツと書き込まれていました。ちょうど今頃は私立の試験や発表の日程です。
進学した東北大学の試験は3月5日6日。前日3月4日の欄には「上野発12:20 やまびこ111号 8号車2-A」。東北新幹線の東京駅乗り入れ前でした。
降り立った仙台駅で東北大学応援団につかまらないようビクビクしながら素通りしたこと、刺すような風の冷たさ、高校時代の友人の家に泊めてもらったこと、試験の翌日に福島県郡山市に住む祖父母を訪ね、祖母とウナギを食べたこと。
昨日のことのように記憶がよみがえってきました。

とりとめもない話になってしまいましたが、人に歴史あり、ということで。

受験生の皆様、とにかく最後まで往生際悪く粘ってください。

次回は、理科系大学出身の水上アナウンサーです。

梅島 三環子

2007/02/19

受験生のみなさまおつかれさまです。
写真は起き上がり小法師です。

最近、コンビニにある合格祈願のお菓子コーナーを見ては、
「ああ、そんな時期だなあ」と感じる今日このごろです。
チョコにスナック…。
食べたら合格する、というわけではないけれど
なんか食べなきゃいけないような気がする。
わかります。その気持ち。
わたしも、人一倍願掛けをするタイプの人間です。

私の場合は、意味もなく試験の前はバッテラを食べていました。
バッテラを食べてから試験に行く。
そうしたら、その試験は成功する。
それが、自分の中での決まりごとでした。
しかもコンビニのバッテラ。
これじゃなきゃいけないと自分で決めていたものがあったんです。

がしかし、本命の試験の時だけ、ないんです。バッテラが!!
なんという、運命のいたずら…。
でもバッテラがなければ、受からない!!
パニックに近かった当時の私は、受験シーズンの寒い時期
夜な夜なバッテラを探しにコンビニを何件もはしごしたんです。
ですが、どうしてもなかったんですね。
試験前夜は睡眠も大事としぶしぶ諦め、試験会場に向かいました。
ですが、試験を受けていても、頭の中はバッテラのことだけ。
「どうしよう・・。バッテラ食べてないから受かるはずないよ。」

そして、結果は・・・。
自分を信じず、バッテラを信じて陥った痛恨の人生の失敗でもあります。
あの時、バッテラがあったら…。
バッテラを願掛けに選んでいなかったら…。
そんなバカなことを、一人思い悩んだ時期もありました。
でもまあ、今がよければいいんです。
私、運命は前向きに受け入れますよ。


バッテラ、バッテラしつこいですね。
ではでは、受験生の皆さん頑張って乗り越えてください♪
 
次は、決して試験前にあわてなそうな
冷静沈着!佐藤アナウンサーです。

2007/02/16

そうなんです、数々の伝説を残してきた出射です。ってこら!板垣!
私には、板垣と同い年の弟がいるので弟のようにかわいがってあげてるのに・・・、
もう少し先輩をたてなさい!!

さてさてこれから受験!という方にはぜひ、最大限の力を発揮していただきたいと思うのですが・・・
自分自身あまりいい思い出がありません(泣)
私の場合、人生で2回受験をしました。中学受験と大学受験。どちらも忘れられない思い出です。

中学受験のときは3校を受験。
試験当日東京で大雪!!電車が止まり、会場にたどりつけず、パニックに陥りました。
本命が二日目だったんですが、今度は道路が雪でシャーベット状態です。
私「きゃーすべっちゃうよー」
母「スベルとか言いなさんな!」
私「はい・・・。」
そんな感じで学校に到着。
無事受かりましたがそんな調子です。子供は精神的にまだ弱いんです・・・。

大学受験は、センター試験でまた大雪!遅刻しそうになりまた慌てる・・・。
一科目目は動揺のため記憶がありません。ということでセンター試験は無駄に終わり、そこから死ぬほど勉強。
そのほかの試験も前日まで一生懸命勉強していたためか試験中に睡魔が・・・(ありえないですが)。
でもなんとかその年の春には大学生になれました(汗)
備えあれば憂いなしですよね、受験勉強も試験当日も何もかも。

受験生のみなさん、そして受験生を抱えたご家族の方、
何かしらトラブルは起こりやすいのですが、大丈夫です!平常心であること。これにつきます。
例えば、付き添いの家族の方が落し物とかしてしまったりすると、本人も焦ります(実話)。
あと、私の必勝お守りは母が手渡してくれたキットカット(笑)
(ただし、ポケットに入れないこと!使い捨てカイロをうっかり一緒に入れてドロドロになる危険あり。)
定番ですがいい思い出です。
なので、今もここ一番の仕事の時は持参してます。

続いて、受験の日に、雪が降ろうがヤリが降ろうが全くお構いなし!であろう梅島三環子アナでーす☆

★写真は今度17日(土)に放送する「めざましテレビ公認 わがまま気まま旅気分」のロケにて。
仙台ガールズプロレスリングの里村明衣子さんと五重塔ハンバーグ。この写真でみなさまに元気とパワーを差し上げます!

2007/02/15

林姉さん、私そんなに胃、弱そうですか?悔しくも正解です。牛乳とかついつい一気飲みしてしまうと、トイレ直行です。昔からすぐお腹壊すんですよね。

受験・・・僕の人生を語る上では避けては通れません。前回のアナログでお話しした仏教校は中学受験で入学しました。さらに高校受験で念願だった慶應の付属高校に進学しました。朝から晩まで塾、帰宅したら家庭教師と復習という日々。あの数年間は本当によく勉強したなと我ながら思います。大変だったなぁ。

アナウンサーになるためにも各放送局を受験しました。アナウンサー受験の面接会場って凄いんですよ。何がって、女の子の華やかさ。みんなカラースーツなんです。リクルートスーツだと逆に目立ちます。白やピンクは当たり前。水色、緑、ラベンダー、オレンジ・・・目がちかちかします。髪も茶髪だったり、パーマだったり、今風な子ばっかりです。

忘れもしないのが某局を受けたときのこと。面接前の控え室で、一際目立つ子がいました。髪は真っ黒でショート、というか若干おかっぱ。他にも女の子は20人位いて『もうすぐ面接だよ~どうしよ~』なんて受験生同士でキャピキャピ話しているのに、その子は一人黙ってどっしり構えている。どこか80年代アイドルのようで、例えるならモーニング娘の中に薬師丸ひろ子がいる、といったところでしょうか。

そう、同期の梅島さんです。

今思い出しても異彩を放っていたなぁ。あ、また勝手なことばかり言うと怒られそうなので、やめておきましょう。

とにかく、私の人生は受験ありき。その辛さも喜びも知っているつもりです。親に多大な負担をかけますし、長く辛い戦いではありますが、合格の喜びは言葉では言い表せません。両親も心の底から喜んでくれて、今思えばそれも親孝行だったのかなと思います。
今、まさに受験をされている方、受験勉強をされている方、大変だと思いますが合格を目指してがんばってください。本当に応援しています。

写真は、アナウンサー受験で知り合った仲間です。同期で同じフジ系列!先日系列のスポーツアナウンサー研修がありまして、久々の再会を果たしました。左は
フジテレビの小穴くん、右はテレビ新広島の深井くん。共に厳しい受験を闘った、大切な戦友です。

さて次は、受験で数々の伝説を残したと豪語する、出射アナです!

林 佳緒里

2007/02/14

原アナの質問に対する答え!それは「物理」と「現代文」です。成績でクラス分けされる学校に通っていたのでたくさん勉強していました。懐かしい~。

受験でよく言われるのが、勝負に勝つ!から「カツ丼」、winnerから「ウィンナー」など縁起担ぎの食べ物を食べよう!という事。
でも私にとって受験に欠かせなかったのは「鉛筆」でした。受験の時は、必ず新しい鉛筆を10本削って持って行きました。(写真は小学生の時に買って20年以上未使用の鉛筆)

鉛筆って良いと思いません?だって・・・
★芯が折れにくいし★ノックの必要がないからイライラしないし★何と言っても「選択肢に迷ったら転がして答えをだせますから~」。何度お世話になった事か。
さらにちょっと調べたら、1本で書ける線の長さは、シャープ芯約240mに対し鉛筆は約50キロなんですって!やはり鉛筆はすばらしい!

とはいえ、今はめっきり鉛筆を使う機会も減り、右手中指にあったペンだこもなくなりました。これを機会に原稿書きも鉛筆を使ってみようかなと思っています。でもデスクの近くに鉛筆が見当たらない・・・。

次は、勝手なイメージですが「受験の時は緊張からお腹が痛くなっていそうな」(ごめんね)、弟のような唯一の男性後輩アナウンサー・板垣君です。

2007/02/13

寺田さん、
私の眼鏡姿なんて
貴重なものを見ましたね。
あれはさまぁ~ず大竹さんばりの
伊達眼鏡ですよ。フフ。


さてさて今は「受験」シーズン。
それで思い出したのが・・・
写真の「かまくら」!

お正月に実家に帰ったときに発掘しました。

私の実家がある東京の国分寺市は
東京ながらも都内の積雪プラス5~10cmくらい積もったりします。
中学1年生のちょうどこの時期
何年かぶり?の大雪が振りました。
あんまり積もるので、これはもしかしたら「かまくら」が作れるんじゃないかと思い立ち
写真の弟とともにレッツトライ♪(手前は愛犬ナナちゃんです)

雪を運ぶ為に洗面所から持ってきたバケツに雪を詰めていたら・・・あら?
大きな雪のブロックが出来上がり♪
その雪のブロックを、馬蹄形に並べレンガを積む要領で重ね、土台と壁が完成したらちょっとずつ内側にブロックをずらして乗せて、更に削る作業を数時間。

そして完成したのが、このちょっと、いやかなりいびつな(笑)「かまくら」です。

子供二人入るのがやっとの広さではあるものの、正真正銘本物?のかまくらです。
まあ作り方はかなり我流ですが内部は本当にあたたくて、この中で飲んだあったかいお茶の味は忘れられませんね~。

雪国以外でこうしてかまくらを作った方はいない・・・?ですよね????
テーマからかなりずれてしまいましたが(汗)
まあ冬の思い出と言う事で!

さて次は
高校時代の平均評定がほぼ満点の4.9!!だったという、恐ろしく優秀な先輩です。
・・・でも、いったい何が5じゃなかったんでしょう???
はやしさ~~ん!

寺田 早輪子

2007/02/09

 早坂アナ?私が『夜更かし受験生だった』って、なぜ分かるのですか?目の下のクマ?(;0;)
『受験』のため、私がバリバリ勉強したのは、中学3年生のとき。
高校受験を控え、午前2時、3時まで起きていることもありました。
眠気が襲ってくると、目の下に「キンカン」を塗り、撃退。(マネしないでね。)
眠る時は、布団の中で、歴史の教科書を読みながら…。夢の中では、聖徳太子と手をつないで歩いていたり…。朝起きると、教科書をギュっと、抱きしめていた日は、数知れず…。
 しかし、暗いところで本を読むのは、いけませんね。
『受験勉強』のせいで、てき面に、目が悪くなりました。
中学2年まで、「両目2.0」だった視力は、一年間で、「0.7」になり、メガネっ子に。
大人になった今、視力は「0.03」になってしまいました。
休みの日は、レンズの分厚い眼鏡を愛用しています。それをかけると、「目の大きさが半分になってしまう」くらい分厚いのです。眼鏡をかけると、「別人か?」と言われます。
薄いレンズに変えようと思うのですが、…意外と好きです。自分の眼鏡顔( ̄▽ ̄ )
 
続いては…、メガネ顔もイケてる原アナウンサーです!

2007/02/08

受験…といえば私にとって青春です☆
柳沢さん、情報ツウですね~!
高校生の時、私はタカラジェンヌになることが夢でした。

タカラジェンヌとは、兵庫県にある宝塚歌劇団の団員のことで、皆様よくご存知「女の園」です。

本気で舞台の道に進みたかった私は、試験科目であるバレエ・声楽・面接に備え、毎日お稽古に通っていました。
予備校ならぬ、宝塚を目指す学生のための学校が存在するのです。

もちろん、その稽古場も女の園。
女子校育ちの早坂にとっては、違和感がありませんでしたが、現在この話を人に話すと「え~青春時代がないの?!」と驚かれます。いやいや、女の園でも青春はありましたって!

宝塚受験を目指す子たちは、甲子園を目指す球児たちに似ているような気がします。
朝練をしたり、夜中までレッスンしたり、関東から関西まで模擬試験を受けに行ったり…学業との両立は大変でしたが、仲間と刺激し合っていたものです。
とにかく無我夢中でした☆

忘れられないのは、最終試験の朝。
会場に行く途中、私は憧れだった団員(宝塚用語では「生徒」と言いますが)の方に偶然会うことができて、
「笑顔で、思い切って頑張ってね!」
とのお言葉をくださいました。
おかげで私は全力を出し切ることができました。

しかし、結局はタカラジェンヌの夢は叶いませんでした。
それでも、あれだけの情熱を持って突き進むことができた「宝塚受験」は貴重な経験☆
毎年、4月頃に宝塚音楽学校の合格発表のニュースを見ると私は青春を思い出すのでした。

受験、それは青春の1ページ・・・なんちゃって(*^^)


さっお次は「勉強していない~」と言いながら夜中まで受験に備えてコツコツ勉強していそうなイメージがある寺田アナウンサーです☆

2007/02/07

ハーイ!トップ柳沢いきま~ス!!
今回のお題は「受験」

「受験」・・・・試験を受ければ…。結果は、受かるか?落ちるか?二つに一つ。誰もが落ちたくはないですよね~。で、自分の受かるのはどの辺りかを探る。「受かる・落ちる」の勝負の前のこの判断が、実は最大の勝負だったりして…自分の行きたい所と成績とのギャップ…。見栄もあるし…こだわりも…どんどん選択肢は狭まり、追い込まれていく。自分で自分をそこまで追い込まなくてもいいのに…でも本人にとっては一大事。
ここに受からなければ、俺の人生は真っ暗だ!と考えてしまう…。

でもね…「人間万事塞翁が馬」なのよね~!?

兎にも角にも残りあとわずか、頑張れ受験生!精一杯やってみて下さい!!

追伸:そう言えば今日は…おふくろの誕生日かぁ~?迷惑掛けたなぁ~受験の時…。久しぶりに電話でもしてみるか…?

さ~!続いては宝塚を受けたとか…?「マッコ~!早坂アナ!出番ですよ~」